1 序章
あたたかな光が差し込む部屋で、一人の令嬢が窓際の椅子に座り、熱心にベッドカバーに刺繍をしていた。
柔らかな光に彩られたその令嬢は、月の光のような淡い金髪に、澄んだ空色の瞳をしている。そして、その面差しはまるで天使のように美しく清らかだった。
令嬢がようやく刺繍を完成させ、自分の作品をしみじみと満足そうに眺めたとき、部屋をノックする音が響く。そこで彼女はドアの方に目をやり、「はい、入って」と鈴が鳴るような声で入室を促した。
「お嬢様、入りますよ」
そう言って濃い茶色の髪にわずかに白髪が混じり始めた、四十代くらいのエプロンをした女性が入ってきた。
「やっとできたの。ほら、ドリー見て」
令嬢はたった今完成させたばかりのベッドカバーを、嬉しそうにドリーと呼ばれた女性に見せた。
「まぁ、ほんとに……。いつものことながらよくできていますね」
「喜んでくださるかしら」
「花嫁道具として誇らしいんじゃありませんか。早速、ほかの物と一緒にマクシミリアンのところに持っていきますね」
「ええ、お願い」
マクシミリアンとは、王都でハンドメイド専門店を開いている店主の名前で、令嬢がつくっていた刺繍はそこに持ち込むことになっている。
令嬢が刺繍道具を片付けていると、ドリーは思わずといった様子で呟いた。
「しかし、子爵家ご令嬢であるお嬢様が内職なんて、亡くなったお父上様には本当に申し訳ないですねぇ……」
「いいのに、そんなこと気にしないで。趣味と実益を兼ねているんだし、私も皆のお役に立ちたいの」
令嬢はにっこりと笑い、立ち上がってドリーの手を握る。
「それよりも、ドリーには私のお世話の他にお掃除だとかお料理だとか、本当に色々任せてしまって申し訳なく思っているの。だから、せめてできることはやらせて……?」
その言葉にドリーは改めて心優しき自分の主を見た。
ドリーが仕える令嬢マリア・アジャーニは、このアストリア王国の由緒正しきアジャーニ子爵家の令嬢で、現在16才。天使のように可憐で心優しき美少女。
そしてアストリア王国には珍しい金髪碧眼をしている。これは今は亡き母親が、隣国の王家の人間であり、それがマリアに遺伝したためだ。隣国の王家は天から降りてきた存在と言われ、王家の人間は皆一様に天使の色彩と呼ばれる金髪碧眼をしている。
こんなに素晴らしい自分の主が、他人の花嫁道具のベッドカバーを刺繍してお金を稼がねばならない現状にドリーは思わず嘆息する。
「私としてはお嬢様の幸せな花嫁姿を見たいものですけど…」
「それは無理よ。持参金も払えないし、そもそも社交界デビューもしていないのだから」
マリアが言うように、彼女は社交界デビューもしていない。デビューに際して準備できるだけの先立つものがないからだ。もし仮にマリアが社交界に出ていたら、貴公子たちが殺到していただろう。
たとえ、子爵家の内情が火の車であろうと、そんなことはマリアの美しさや気立ての良さの前には、些細なことだと思わせるものがマリアにはあった。