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学問と兵法の習得・その道は厳しいが

 さて、俺は幸いなことに学問や兵法の師匠がいる。


 楠木正成がなぜ兵法などというものを知っていたのかと疑問に思われることも多いが、俺は小さな頃から観心寺という寺などで学問や武術を習っていたんだ。


 因みに師匠は後の戦国大名毛利元就の先祖の大江時親(おおえときちか)だ。


 俺は8歳から観心寺の塔頭中院(たっちゅうなかのいん)で、学僧の龍覚(りょうかく)の元で仏法などの教授を受け僧としての修養も行った。


 滝行とか山中走破とか坊さんの修行というのは結構辛い、その後に河内で隠棲(いんせい)していた大江時親の元で兵法や武術を学んでいる。


 大江時親は比叡山で教円について天台宗を学んでそれをきわめた後、鞍馬山に籠もって京流の武術の修業に励み、其の後鞍馬山を下山して河内に(あん)を結び、大江という一族の大江広元(ひろもと)から代々伝わる大江兵学の研究に入った人物で彼は闘戦経とうせんきょうと呼ばれる兵法書を伝える一族でもある。


 源八幡太郎義家が大江匡房に兵法を教わり、後三年の役の際に雁の飛び方で伏兵を知ったという話もある。


 それが事実かどうかはわからないがな。


 で其の孫とされるのは源頼朝の元で働いた大江広元で彼は政所初代別当を務め、幕府創設に貢献した。


 そこまで有名でないのだが木曽義仲に兵法を教えた岳父の中原兼遠(なかはらのかねとお)とは親戚で元々は中原を名乗っていたらしい。


「さて、闘戦経の第一章ではこう言われています。

 すなわち武は秩序を取り戻すために自然に発動される。

 我が武は天地の初めに在り、しかして一気に天地を両つ。雛の卵を割るがごとし。

 故に我が道は万物の根源、百家の権興なり。と。

 武とは矛を止めるという文字からできているとおり争いを収めることです。

 武とは全ての物事の根源となるもので、雛が卵を割って生まれ出るかのように自然に現れるすべてのもとになるものものだとされます。

 混乱を収めるために必然的の存在するものが武であり正しい力があれば矛を止めさせ世界に秩序を取り戻すことができるのです」


「なるほど、たしかにその通りです」


「孫子の兵法は相手を欺むき、戦いに勝てるときにしか戦わないことをといています。

 これは書かれた当時においては正しかったのかもしれませんが日本においても正しいとはいえません。

 そうであれば源氏が平家に勝つことはできなかったでしょうね」


「まあ、源氏は結構卑怯なだまし討をしていますけどね。

 一の谷合戦とか」


「ええ、だまし討ちのようなことばかりをしていた義経は結局武家の支持を得られず頼朝によって討ち取られることになります。

 結果的に勝っても其の騙し討ちという行いをしている者は結局評価はされないということですね」


「しかし、負けてしまっては意味が無いようにも思いますが」


「その通りです。

 結果にこだわりすぎて騙したり裏切ったりしてばかりでもいけませんし、行動にこだわりすぎて負けてしまうようでは意味がありません」


「なんとも難しいですね」


「その通りです」


 うーむ、結局のところ何がなんだかよく分からん。


 章が進めばわかるようになるのかもしれないがなぁ。

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