表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/57

元亨二年(1322)湯浅合戦とそれに続く連戦

 さて、時は流れて翌年元亨二年(1322)、俺は北条高時の命で、紀伊の湯浅の所領を差し押さえにいった。


 すでに正和5年(1316)越智邦永が越智氏の所領「根成柿」を取り上げられて代替地を与えず、そのうえ、闘犬の飼料を賦課してきたことに憤り、「根成柿」駐留の六波羅代官を討取って、粉盛山の城館にこもって反旗を翻した時、六波羅は二度軍勢を送るが、二度ともに敗退し、3度目に送った軍の中に俺が加わったが、俺は間者の情報で越智勢がわずかな兵しか居ない事を確認し六波羅のほかの御家人に正面から攻めさせながら、俺は背後をついて邦永を討ち取った。


 その時の恨みなのか、手が回らないだけなのかはしらないが当然湯浅は反抗する。


そしてくだされるのは湯浅討伐の指示だ。


「やれやれ、簡単に言ってくれるな」


 こっちは河内を主にしてして摂津・大和・和泉・紀伊・伊賀の楠木に縁のあるものが少々寄せ集まって、3千の兵。


それに対して物見の探ってきた所、湯浅の軍勢は、7千であると俺に伝えられた。


「2倍以上の相手にまともにやりあっても勝てるわけはないわな」


 とはいえ、指示が出た以上やらないきゃならないのがサラリーマンもとい、被官に預かったものの努めだ。


そこで俺は、集まった3千の兵をを率いて、湯浅の構えた陣から四里(おおよそ10Km)ほど手前まで兵を進めた、そこには高い山と川があった。



 俺はこのあたりのの地理に詳しい者を呼んで聞いた。


「ここの地名は何と言うんだ?」


 そのものは


「ここは勝尾(かつのお)です」


 と答えた。


「ほう、勝尾か。その名といい、地形といい、陣をしくのに最適だな」


 俺は兵を二つに分けて、1000の兵は嶺々に堅く陣を取らせ、残りの2000は麓に陣取らせた。


 そしてこのあたりの地理を徹底的に調べさせた。


兵の行動を阻害する深田や沼地、川、の場所と人が通れる大小の道だけなく漁師などしか使わないであろう獣道もすべて調べさせた。


川?があり、そこに細道があり、といったことを残す所なく偵察し、その後は前後三里(約1.6Km)の谷・嶺を見てまわり、茂みの自分が行けない所があれば、足軽どもを遣わして、これらを見せてから、軍勢の陣を定めたという。


 同時に敵の陣地の兵や武将の配備状況を調べさせた。


河内・摂津・伊賀などの忍びを潜入させて敵の陣を見させ、紀伊の野伏にも金銭を支払い協力を請う。


紀伊の野伏に道を案内させて、忍びの者は獨酒売りや遊女などの姿で敵の人へと潜り込み、やがて戻ってきた者が敵陣の様子を報告した。


 さて、報告の結果だが、こちらが少数と侮ったか、城郭も少なく、陣の張り方も統一性のないもだった。


「なめられてるのか、単に知識がないのか、深く考えて陣を張っているわけではないらしいな。

 ならば、油断しているすきに夜討をかけるか」


 そのために忍びをもう一度敵陣に向かわせようとした所、湯浅の兵が押し寄せてきたと言う報告があった。


「ふむ、向こうから仕掛けてきたか、ならばここで迎え撃つぞ」


 川の向こう岸には湯浅の兵が陣を二つに分けて構えていた。


俺は俺の手勢ではない、俺が声をかけたことで集ってきた諸国の豪族に伝えた。


「俺の兵の300余騎を川から一町(約100m)付近に構えさせる。

 あなた方は敵の先陣が備えを乱して向かってくるのを、引きに引いて退却してくれ」


 俺がそういうと頷いた彼らは蜘蛛の子を散らすように、四方八方へ逃げはじめた。


「はは、楠木などおそるるに足らん、川を渡りうちとれい」


 敵は勝ちに乗って追いかけてこようとした、敵兵が半ば川を渡ったところで、俺は秩序なく攻めかかってくる湯浅の軍へ攻めかからせた。


「よし前進せよ!」


 俺の手勢が槍を構えてを構えて整然と前進すると、秩序なく攻めかかってきていた敵は、踏み止まることはできなかった、しかし、後ろは川でしかも、その後ろは川を渡るの途中だった。


多くの兵は槍で串刺しにされ、なんとか川を渡って対岸の後陣がへと逃げ込んだが、それにより後陣の備えも乱れた。


 その様子を見た峰に陣取っていた兵が密集したままで山を降り合流すると、逃げ出した諸国の豪族の軍勢も、取って返して、湯浅の軍のへと攻めかかり、敵は混乱したまま四散し潰走した。


 そしてひたすら逃げる湯浅の軍は、逃げ帰って自分の館に籠ったのが、最後まで付き従ったのは主従で100に足らない数しかおらず皆、安田の城にて自害した。


「まあ、こっちの被害が少なくてよかったぜ」


 こうして俺は俺が総大将として参加した合戦で無事に勝利した。


 同年、おれは京の六波羅に反抗する大和国の越智四郎を討ち、さらに幕府の命令で、摂津国の渡辺右衛門尉を討伐した。


 この結果として俺は紀伊の荘園を領地として受取り、官位は左兵衛大尉兼河内大掾へと昇進した。


これは御内人としてはかなり高い官位だな。


しかしまあ、合戦は疲れるし、銭や米が派手に吹っ飛ぶ。


たしかにこれはたまらんな。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ