第八話
百合ちゃんの背中に守られながら、私はあの人の戦いを見ていました。
秋奈さんの足がトトンと音を立てて地を蹴れば、身軽なはずのコッテゥエスよりも尚早く、彼の身体が踊ります。
燃え盛る炎の光を反射して、刃が煌きました。直後、彼の至近に居た三匹の獣達が二つに別たれます。
ずっと、百合ちゃんの戦いを近くで見ていたから分かりました。あの人の剣が、いかに常軌を逸したものなのか。
今もそうです。新たに切り裂かれたコッテゥエスの身体からは紫色の体液が飛び散りますが、彼の刀には綻び一つありません。
あの体液は、触れたものを腐蝕させる溶解液だというのに、です。
事前に邪神の眷属について秋奈さんに話した時、当然コッテゥエスについても話しました。その時、アルマーナで刀を保護しなければ直ぐに使い物にならなくなる、と主張した百合ちゃんに、あの人はこう言ったのです。
ならばその体液ごと斬れば良い、と。
その時は、理解出来ませんでした。でも、今なら分かる気がします。
あの人は、コッテゥエスの体液が持つ『溶かす』という力に、『斬る』という力をぶつけ、勝っているのだと。
そうすれば、負けた『溶かす』力はその効果を発揮できず、斬り裂かれるのみ。秋奈さん風に言えば、それが道理という事なのでしょう。
何とも無茶苦茶な理屈です。でも、そもそも刃の潰れた模造刀で『斬る』事が出来る時点で、私の常識など意味が無いのかもしれません。
また一つ刃が走り、二体の獣が闇に還りました。
一体のコッテゥエスが彼を大きく迂回して此方に来ますが、アルマーナを使った百合ちゃんが三度の斬撃で切り伏せます。
守られている――何も出来ない自分の無力さに唇を噛みながら、私は祈ります。
どうか二人が無事でありますように、と。
~~~~~~
犬である。特に変哲の無い、犬である。
それが、俺がコッテゥエスという獣に抱いた感想だった。
確かに普通の犬に比べれば、速く力も強いだろう。が、戦闘方法は特に変わりない、爪と牙。
最大の特徴である体液も、事前に知って対策が出来ていればどうというものでも無い。
要するに、そこいらの犬と戦っても同じだろうな、というのが実情であった。
しかし、邪神は随分と多くのペットを飼っていたようだ。既に二十は倒したが、まだ湧き出る勢いは弱まらない。
一番良いのは奴等を操っているであろう、教団の者を倒す事なのだが――佐久埜ちゃんを守る事が第一である以上、下手に此処を離れるわけにはいかなかった。
この獣達全てに襲い掛かられれば、流石に百合さんでも佐久埜ちゃんを守りきる事は出来ないだろうから。
そんな訳で、俺はひたすらに獣を両断する作業に従事していたのだが。
「――素晴らしき刃、かな」
知らない男の声が、聞こえた。
同時、コッテゥエスの発生がぴたりと止まる。
顔を上げれば、燃え盛る廃屋の頂上に、一人の青年。
「クルティエル様の眷属に抗うその気概、悪く無い」
「意外だな。信奉者ならば、受け入れて死ねと言うかと思ったが」
そう返せば、青年は小さく笑う。
「残念だが、私は自分が異端だと良く理解している。ついでに言えば、他の神やその信奉者、そしてその考え方を否定する気も無い」
動きやすいようにだろう、改造された黒い神父服の裾が僅かにはためく。くすんだ銀の髪が、さらりと揺れた。
真っ直ぐ此方を見下ろす瞳も、また銀色。顔を斜めに走るように大きな傷跡が刻まれていたが、それでも分かる程整った顔である。
ちょっと嫉妬した。俺もあんな風に鼻が高ければ、と。
「理解した上で、我が神の邪魔をするのなら――叩き潰す。それだけの話かな」
しゃなり、闇から刃が現れる。
月光と業炎に彩られ、鈍い光を放つ大鎌をその手に持って、青年は誰憚る事無く己が存在を世界に示す。
「私はエーベルケイン・フォン・ジットウス。クルティエル教団の、司祭を務めている。覚えなくても構わないが、覚えてくれると嬉しい、かな?」
「覚えられれば、覚えるよ」
昔から、人の名前を覚えるのは苦手だ。相手がイケメンともなれば、特に。
軽く地を蹴り、加速する。身を傾けて、更に速く。
真っ直ぐ炎に向かって突っ込むと、その直前で勢い良く地を蹴った。
浮かび上がる身体。ばちりと音を立てて燃え崩れる建材を足場に、もう一度跳躍。
月への飛翔を決めた俺は、その手の刀を走らせる。
振るわれた刃は呆気なく男の頭部を、
「流石にそれで取られる程、未熟では無い」
落とさなかった。否、落とせなかった。
銀に輝く大鎌が、俺の剣を止めていたのだ。
やはりこの男、強者か。
歓喜する。鬼だの泥人形だの犬もどきだの、録でもない相手とばかり戦ってきたが、ようやくまともな相手とやれそうだ。
ぐいと刀を軽く押し、その反発で浮き上がる。
ふわりと月夜にムーンサルトを華麗に決めて、俺は燃え上がる屋根の上に着地した。
「この戦場も長くは持たないかな」
振り向いた男――エーベルケインが言う。
同意見だ。きっともうすぐ、この廃屋は崩れるだろう。
「交わせるのは、後一撃。付き合ってくれるかな?」
「ああ。その命、貰い受ける」
「それは無理だな。私の命は、クルティエル様のものだ」
一際強く吹いた夜風を受けて、轟と炎の勢いが増していく。
嫌な音を鳴らし、廃屋の下部が崩れていくのを感じた。だがそれでも、俺もエーベルケインも向き合ったまま動かない。
熱気が寄り付けない程、場が張り詰める。勝負は、一瞬。
がらり――遂に廃屋全体が崩壊する。崩れ落ちる屋根、その刹那。
俺は、エーベルケインに向かって踏み込んだ。
落ちる屋根に合わせるように、斜め下へと跳躍する。距離を詰めながらも落下する屋根に足を着けた俺は、最後の一歩を踏み込んだ。
同時、エーベルケインが跳ぶ。崩れ損ねた支柱を足場に、大鎌を構えて。
月に重なるように、正位のエーベルケインと、逆しまの俺が交差する。
「秘技・首落とし」
「ラ・シュメルナ」
銀閃が二つ、闇夜に瞬いた。