第五話
まず、正しく現状を把握しよう。
時刻は恐らく朝である。部屋は薄暗かったが、カーテン越しに差し込む明るい日の光がそれを証明してくれている。最も、既に昼という可能性も無きにしも非ず、だが。
同時に、此処が間違いなく自分の部屋だという事も確認出来た。寝ている間に全く別の場所に拉致られた、という事は無さそうだ。
自分の体にも、何ら異常は無い。寝起き特有の気だるさはあるものの、特に痛みは無いし、拘束されている訳でも無い。いつもの起床通りだ。
さて、では問題の猫耳少女であるが。
「にゃー?」
突然の事態に硬直する此方を、まるで猫のような鳴き声と共に眺める少女は、全裸である。全裸なのである。
此方とそう変わらない年頃の少女が裸で覆いかぶさっている、というだけでも頭が停止しそうな事態だというのに、加えてその少女がスタイルが大層良くそこいらのアイドルなど話にならない程可愛らしいのだから、手に負えない。
彼女の体重によって潰れた大きな胸の感触に、心臓は高鳴るばかり。思わずその元に目が向きそうになり、俺は慌てて顔を横に逸らした。
危険だ。何がどうしてこうなったのかはさっぱり分からないが、手を伸ばす所か視線を向ける事すら危険だ。
下手な事をすれば、即座に手錠を付けられかねない。漫画の主人公のように、女の子の胸を揉んでおいて事故で済む程、この世界は甘くないのだ。ちょっとでもミスすれば即逮捕、現実は非情である。
「どうしたのにゃ?」
猫耳少女が僅かに体を持ち上げ、此方の顔を覗き込もうとする。
その隙を、俺は見逃さなかった。
手、脚、更には尻の筋肉までもを総動員して、するりと上へと移動。少女の下から脱出する事に成功する。
そのまま勢いを殺さず身を大きく逸らし、ベッドから落ちた俺は、迫る床に両手を着いて華麗な後転を決めると、前方に目を向け掛けて――直ぐに逸らす。
丁度目線の高さの先に、少女の肢体があったからである。そうして九十度、首を曲げたままで彼女に問い掛けた。
「貴女は、誰ですか」
「にゃ? にゃにを言ってるにゃご主人様。私にゃ!」
そう言われた所で、頭に猫耳を付けた少女――それも、朝から全裸でベッドに潜り込んでくるような――に心当たりなど無い。
「すみませんが、心当たりが……」
「にゃ!? そんな酷いにゃ、もう二年以上一緒にいるのに分からないにゃんて!」
ぐい、と少女が顔を近づけて来た。ついでに此方の顔を掴まれ、目を合わせられる。
あれ、もしかして……。
「白玉?」
「にゃ! 大正解にゃー!」
飛び上がり、猫耳少女は喜びを露にした。
きちんとその顔を観察すれば、気付けた事である。ショートカットの髪は真っ白で、しかしその中に一房、茶色い髪が混じっている。
更に、瞳は綺麗な黄金色。加えて猫の耳を持ち(最初は見えなかったが尻尾も)、二年以上一緒に居たともなれば、候補は一人……いや、一匹しか居ない。
成る程、納得。昨日は一緒に寝た事だし、確かに朝起きて白玉が人間に成っていれば、あのような体勢にもなるだろう。
何故人の姿に成っているのかは定かでは無いが、まあそれはそんなに重要な事でも無い。こんな世の中だ、猫が人に成る事もあるだろう。きっと成長期と言うやつだ。
「しかしそうなると、もうあのもふもふは味わえないのか。残念……」
「それなら安心して欲しいにゃ、猫の姿にも戻れるのにゃ!」
何と、良い事を聞いた。もふもふは、生きる気力の一つなのだ。無くなっては非常に困る。
「というかご主人様、せっかくこんなに良い女が目の前に居るのに、もふもふの方が大切なのかにゃ?」
「だって白玉なんだろう?」
身体を見せ付けるようにポーズを取る彼女に、そう返す。
正体が判明した今、特に焦る事も視線を逸らす事も無い。可愛い可愛い家の猫なのだから当たり前である。
「むむむ。何だか複雑な気分にゃー!」
「よーしよし」
飛び込んできた白玉を抱きしめ、頭を撫でてやる。
髪はさらさらだった。もふもふとは違うが、これもまた悪く無い。
と、そこで気付く。
「とりあえずご主人様には、私の秘密について話さなければならないにゃ。突拍子も無い話かもしれにゃいけど、最後まで聞いて欲しい……にゃっ!?」
「その前に」
白玉を抱え上げる。猫の時に比べると大分重いが、持ち上げられない程では無かった。
驚きながらも大人しい白玉を抱えたまま足で扉を開け、部屋を出て一直線。
「何処へ行く気なのにゃ?」
「まず、お風呂に入れ」
ちょっと汗臭い白玉に、そう告げた。そういえば最近、お風呂に入れて無かった気がする。
「にゃっ!? お、お風呂はちょっと……」
「駄目だぞ。今は人の姿なんだから、舐めて綺麗にする訳にもいかないだろう」
昔から、お風呂はあまり好きではなかったなあ。
そんな風に思い返しながら、俺は暴れる白玉を抑え込みお風呂場に連れ込んだのであった。
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「うう、酷い目にあったにゃ」
「これからは毎日入るんだぞ」
にゃっ!? と目を見開き凝視してくる白玉を無視し、朝食の席に着く。
並ぶ食事は三人分。俺、母、白玉の分である。
どうやら人の姿の時は食べる物も人に準じるらしく、母に頼んで一人分増やしてもらったのだ。姿の変わった白玉にも驚かず、まあ大きくなったわねぇと素直に受け入れ服まで用意してくれた母に感謝。
そうして三人席に着いた所で、白玉が秘密とやらを話し出す。
「実は私は、宇宙から来た宇宙猫人なのにゃ」
へーそう、と相槌を打ちながら、食パンにジャムを塗る。苺ジャムが最近の広野家の流行である。
「宇宙猫人はこの太陽系から大きく離れたとある銀河に住んでいるのにゃけど、最近になって近くの銀河に住むゴーンド星人と戦争になってしまったのにゃ。それで、戦場近くの星に居た白玉は疎開する事になったんにゃけど……」
やはり、苺ジャムは美味しい。だが近頃、ちょっと物足りなさを感じるようにもなってきた。
これは工夫が必要かもしれない。ピーナッツバターを混ぜてみるとか。
「その時乗った宇宙船が故障して、あらぬ方向にワープしてしまったのにゃ。そうして辿り着いたこの地球に不時着したのは良いんにゃが、その時の衝撃で私達乗員はバラバラに散らばってしまって……どうすれば良いのか分からず困っていた私を拾ってくれたのが、ご主人様という訳にゃ」
成る程、と頷きながらピーナッツバターに手を伸ばすが、母に叩き落された。
曰く、二度塗りは厳禁らしい。串カツでも無いのに、酷い話だ。
「こんな私にゃけど……この家に置いてくれますかにゃ?」
「勿論。白玉は家の子だ」
即答すれば、嬉しそうに白玉に抱きつかれた。母がナイスとばかりに親指を立てサムズアップ。
最早家族の一員である白玉を、今更追い出す訳が無い。ついでに言えば、猫とはいえ可愛い女の子が同じ家に住む、というのもプラスである。
「安心したらお腹が減ったにゃ! いただきますにゃ!」
一際長いフランスパンに手を伸ばす白玉を見て、ふと思い至る。
「なあ、白玉。お前に一つ聞きたいんだが」
「? 何ですかにゃご主人様。私に答えられる事なら、何でも聞いて欲しいにゃ!」
元気良く応える彼女に頷いて、母を指差す。人を指差すんじゃないの、と叩き落された。
「母さんを、どう思う?」
「母上ですかにゃ? とっても若くて綺麗で優しくて、素晴らしいお母様だと思うのにゃ!」
あらやだこの子は、と上機嫌で身をくねらせる母。
と同時、ピンポーンと聞き慣れたチャイムの音が鳴る。誰か訪ねて来たらしい。
急いで立ち上がる母の傍ら、呟いた。
「世の中、やはり不思議な事ばかりだ」
首から上の無い母を見送り、白玉と共に朝食に手を伸ばした。
――なお、訪問者についてだが。
「秋奈、あんたにお客さんよー」
「……ふん」
「お、おはよう御座います」
あの少女二人組みだった。どうやら朝から、一波乱ありそうである。