第十二話
「どうしてあそこで退いた! 答えろ、エーベルケイン!」
全く、煩い事かな。
教団の薄暗い拠点の一室で、私は内心溜息を吐く。
別段クルティエル様は暗いのが好みという訳でも無いはずなのだが、どうも拠点は薄暗くしておくもの、というのが彼等の考えであるらしい。
理解出来ない異教徒気取りに、今度は実際に溜息。
「なんだその態度は! あそこで貴様があの妙な剣士を倒していれば、生贄の入手は確実だったのだぞ!」
「そうは言うが。あのままでは、相打ちになっていた可能性もある」
「相打ちならば上等だろう。後は、我らが生贄の小娘を捕獲し、儀式を遂行すれば良い話だ」
また別の団員が此方を責め立てる。が、それがどうしたものかな。
「そんなに私の判断に文句があるのなら、君達だけで生贄を手に入れてくれば良いのではないかな」
「ぬっ、それは……」
「最も。あの二人だけでも手子摺っていたというのに、彼まで加わった今、出来るのならばだが」
そう言えば、皆黙ってしまう。
「と、とにかく。次の戦いでは、あのような無様な姿は晒すなよ! クルティエル様の為なのだ。その命、惜しむは背信なるぞっ!」
下らない捨て台詞を吐いて、愚者達は部屋から出て行った。
結局は私頼りという事だ。帰光楼との戦いで此方も主力団員の大半が壊滅した事が、何とも悔やまれる。
「何も出来ないくせに口だけは喧しい連中ですね~、エーベルケインさん」
「君も文句を言いに来た、という訳ではなさそうかな、亜滝」
「そりゃ勿論。エーベルケインさんに文句を付けるなんて、とてもとても」
入れ替わりで入って来たのは、団員の一人――鳴蛇亜滝。
短いホットパンツに胸元の大きく開いたシャツ、髪は金と茶の混じりに染められ、何時も飄々とした態度を崩さない。信徒らしく無い、そこいらの不良のような外見をした、チンピラ染みた女性だ。
最も、クルティエル教の教義には特に外見に関する制約など存在していないので、そこら辺は団員の自由ではあるのだが。
「あまり責めても仕方が無い。彼等は所詮、信徒もどきだ」
「そりゃまた、厳しいお言葉で」
「正しく言っているだけ、かな。彼等はクルティエル様を崇拝しているのでは無い。『滅びを崇拝する自分』に酔っているだけだ」
「ま、そうでしょうね」
とはいえそれでも、一応はクルティエル教の信徒。
主の復活に協力してくれるというのならば、あまり無下に扱う訳にもいかないかな。
「そう。帰光楼を裏切り此方についた、君のように」
「はは、随分と昔の事を。といっても、まだ一年程っすか」
彼女が協力してくれたからこそ、帰光楼の施設の場所やその内情について知れたのは事実だ。
生贄を二人捕獲出来たのも、その後の帰光楼壊滅も、彼女の手柄と言って良い。
だからこそ、教団に籍を置く事を許している。クルティエル様を本心から崇拝している訳ではなく、その狙いも定かでは無いとしても、だ。
「残るあの二人。彼女達とは、親しかったらしいが」
「あ~、まあ小さい頃は面倒見たりもしてましたからねぇ。もしかして自分達をも裏切るんじゃあ、って心配してたりします?」
「いや。君の事は信頼しているよ」
何故かは分からないが、彼女がクルティエル様の復活を願っている事は紛れもない事実だ。
そこにどんな狙いがあるのかは関係ない。主が復活すれば、結局はどんな目論見も纏めて滅亡するのみなのだから。
だから私は、彼女を信頼している。クルティエル様の復活という一点においてならば、他の団員達よりも余程強く。
「それにしてもエーベルケインさん」
「何かな?」
「傷、もう大分良いみたいっすね」
しな垂れかかるようにその身を寄せながら、彼女が此方の首に触れる。
わざとらしくその豊満な胸を押し付け、耳元で囁くように言葉を吐いて来た。
「ああ。と言っても完治にはもう少し掛かる、かな」
「ならその間暇でしょ? どうです、俺と一晩……」
するりと、元から露出の激しかった服を更に肌蹴て体を密着させてくる亜滝。
またか、と思う。
その気持ちを隠す事無く溜息として吐き出し、私は彼女をそっと離す。
「遠慮しておこう。これでも司祭として、淫らな行為は避けているんだ」
「え~。でも教義にはそれを制限するような事は書いてないっしょ?」
「だからといって流されれば、教団自体が淫蕩な方向に傾きかねない。所詮残った団員達は敬虔な信徒でも無い、退廃的な連中だ。ちょっとの切欠で堕ちかねない、かな」
「なら淫らじゃなくて、愛のある行為なら?」
此方の体をまさぐる彼女の手を、呆れと共に抑える。
「そういう言葉は、もっと真摯な態度で言うものだ」
「キスの一つもしてくれない何て、ほんっといけずですねぇ。エーベルケインさんは」
諦めたのか服の乱れを直し、部屋から出て行こうとする彼女を呼び止める。
「亜滝」
「何すか? やっぱり気が変わりました?」
「次の襲撃の時には、君にも出てもらう」
ぴたり、動きが止まった。
「私は彼の対処で忙しい。あの二人は、君に任せる」
「……りょーかい。必ず生贄を確保してみせますよ」
そう言って、彼女は今度こそ部屋を出て行く。
馴染み同士でぶつかる訳だが、仕方が無いかな。それが一番有効だ。
「とはいえ、私も他者の心配をしている余裕は無いか」
件の生贄の少女は、治癒の力を扱えるという。
きっと、彼も次の戦いまでには万全の状態に仕上げてくることだろう。
「クルティエル様の御力も、お借りしなければならないかな」
取り出した大鎌の手入れをしながら、私は呟いた。
~~~~~~
「……これは何だ?」
「うっ……に、肉じゃがだ。私の作った」
夕食に並んだ謎の物体を指差し、俺は百合さんに問い掛けた。
丸いボールの中に、ペースト状の茶色い物体が満ちている。試しに箸を付けてみれば、ぬちゃりと音を立てて形を変えた。
肉じゃが? これが、肉じゃが?
「ミキサーにでも掛けたのか?」
「そ、そんな訳あるか! ちゃんと調理したんだ、したはずなんだ。そしたら、こうなった……」
自分も居候であるのに佐久埜ちゃんだけが家事手伝いをするのは不公平だと、自ら夕食の手伝いを名乗り出た百合さんであったが、そういえば聞くのを忘れていた。
そもそも料理は出来るのか、と。
この結果には、流石の母も苦笑いしている。顔が無いので多分だが。
「焦げるなら分かるが、何故ペースト状になるんだ」
「た、多分力を入れて混ぜすぎたんだと……」
頬を引くつかせた佐久埜ちゃんが答えてくれる。
「佐久埜さんは知っていたのか? その、百合さんが」
「料理が出来ない事、ですか? それが、その。帰光楼に居た頃は、百合ちゃんは食事当番に入っていなかったんです」
詰まり、知らなかったという事である。
恐らくだが、帰光楼の人々は何かのタイミングで彼女が料理に向いていないと気付き、当番から外したのだろう。
賢い選択だ。どんな料理をするにせよ、混ぜるという行為が出来ないのは致命的である。
「これ、どうするにゃ? 捨てるにゃ?」
「幾ら何でもそれはもったいないだろう」
「た、試しに食べてみてくれ! 味は、味は美味しいんだ!」
必死で訴える百合さん。
「味見したのか?」
「勿論だとも。味見もしないで料理を出すような真似をするか!」
胸を張られた。
思わず胸部に視線が行くが、今はそれ所では無い。
ついでに言えば、何も誇れる状態では無い。むしろ謝るべき場面だ。
「なら、いただきます」
このままという訳にもいかないので、意を決して肉じゃがもどきに挑みかかる。
箸で掬うように取れば、高い粘性のせいか小さな塊が箸の先にくっ付いた。
丁度一口サイズ。皆に見守られながら、口へと運ぶ。
「んっ」
「ど、どうだ美味いだろう!?」
「だ、大丈夫ですか秋菜さん」
「どうだにゃ、死なないで済みそうにゃ?」
もぐもぐ、もぐもぐ、ごくり。
たっぷり味わって、(意味があるかは分からないが)良く噛み締めて、呑み込んで。
それから俺は、ゆっくりと口を開いた。
「――微妙だ」
「び、微妙?」
「ああ。美味くもないし、不味くも無い。正直、反応に困る微妙さだ」
当然かもしれない。何せ材料や調理方法自体は間違っていないのだ。
きちんとした肉じゃがをミキサーに掛けたようなものなのだから、不味くは無い。
しかし美味しいかと訊かれれば、首を傾げざるを得ない。
総じて、微妙。
「一番困るパターンだにゃ。いっそ吐く程不味ければ捨てられたのににゃ」
白玉の言う通りだった。
食べる分には問題無いのだから、食べないという訳にもいかないのである。
こうしてその日の夕食は、涙目の百合さんを囲んで口数少なく過ぎて行った。
当然この後、彼女にはもう料理はしないと誓わせました。まる。