第十話
「さて。それじゃあ、作戦会議という事で」
母大喜びの朝食を終えた後、一息ついた所で俺は二人に切り出した。
母は既に自室に戻っていつもの朝番組を見ている。白玉は、猫の姿になって俺の膝の上。
彼女のもふもふとした感触を堪能しながら、続ける。
「とりあえず、昨日の男についてだが。何か情報はないか?」
「……エーベルケイン・フォン・ジットウス。クルティエル教団の中でも特に敬虔な信徒で、その戦闘能力を以って最大の脅威と目されてきた男だ」
語る百合さんに、少々眉を顰める。
「そんな重要人物なら、どうして事前に教えてくれなかったんだ?」
「それは完全に此方のミスだ、すまない。あの男は既に死んだものだと思っていたのだ」
苦虫を噛み潰したような顔でそう言われれば、此方としてもこれ以上責める事は出来なかった。
もっと有益な時間にしようと更なる情報を求めれば、彼女はゆっくりと語りだす。
「封印の適合者である佐久埜とその護衛である私は、帰光楼の中枢にはあまり関わっていなかったから詳しい情報までは知らないのだが……それでも伝え聞く程に、有名な狂信者だ。曰く、邪神への供物として一晩で三百を越える人々を虐殺した。曰く、破壊と滅びを司る神に仕えるが故に、毎日己の身体を傷つけている。曰く、心臓を貫かれて尚、平気で行動する」
「狂信者というより、化け物だな」
「間違ってはいないだろう。あの男は邪神の加護を特に色濃く受けている。既に、半分人では無いんだ」
半神半人、という奴だろうか。
成る程、ならば昨日のあのタフさも納得がいく。
「何より恐ろしいのは、あの男の精神だ」
「精神?」
「そうだ。数多の人間を無慈悲に殺し、しかし罪など何一つとして感じていない。それは邪神の為であり、絶対的に正しい行為だと、そう自分の中で完結しているのだ。だからどんなに泣いて慈悲を請われても、高名な司教が教えを説いても、決して揺るがない。躊躇わない」
確かに、実に厄介な精神構造だ。
話が通らない事が問題では無いのだ。邪神の為ならば一切の躊躇いが――それこそ、恐らく命を投げ出す事でさえ――無い、というのが問題なのである。
それは、極限の戦場における強大な武器になる。普通の人間ならば必ずある一瞬の逡巡が、ほんの僅かな躊躇いが、あの男には存在しないのだから。
同時に、それだけに狂わない、冷静な判断力も持っているのだから尚更性質が悪い。
昨夜、あの男は無理をせず退いた。主の為にと、ただ状況も見られず突っ走るのではなく、より確実な道を選んだのだ。
厄介で済ませて良い相手では、無さそうだった。
「……私と百合ちゃんは昨晩以外にも一度だけ、あの人と会った事があります」
「佐久埜以外の二人の適合者が教団に捕まった、奇襲の時。逃げる私達の前に現れたのがあの男だった」
そうして、百合さんは語る。かつて起こった邂逅、その全てを。
~~~~~~
けたたましい警報が鳴り響き、紅蓮の炎が燃え上がる。
私と佐久埜を始め多くの人々が暮らしていた帰光楼、その施設は正に崩壊の一途を辿っていた。
原因は長く争ってきたクルティエル教団による、奇襲攻撃。
何故この施設の場所が分かったのか、それは今をもって定かでは無い。内通者が居ると騒ぐ声も聞こえたが、本当かどうか、既に確かめる手段は皆無に等しい。
主力があらかた出払っており、碌な戦力が残っていなかった事もあって、瞬く間に破壊されていく馴染みの施設。
その混乱の中で他の適合者やその護衛と逸れながらも、私と佐久埜は上からの指示に従って、二人で施設からの脱出を試みた。
私達を逃がす為にと、命を張って時間を稼ぐ帰光楼の皆の悲鳴を背に感じながら、私達はひたすらに走り続ける。
そうして遂に、地下の秘密通路から外に出た私達を出迎えたのが、
『君が、最後の適合者かな』
神父服の男。エーベルケイン・フォン・ジットウスだったのだ。
勝てるとは思えなかった。それでも、切り抜けるしかないとも思った。
背に佐久埜を庇い、覚悟を決めて仕掛けようとした、その時。
『行けい、百合! 佐久埜を連れて、主力連中と合流しろ!』
現れたのは、私達を拾って育ててくれた初老の男性――凪爺だった。
教団との戦いで負ったのだろう、数多の傷から痛々しい真っ赤な血を流しながら、それでも真っ直ぐに立つ凪爺。
その背に、躊躇いを抱く。だが、
『早く行けいっ!』
もう一度怒鳴られ、私は唇を噛み締めると、佐久埜の手を取って駆けだした。
術者タイプの凪爺では、この距離この状況であの男には絶対に勝てない。それが分かっていても尚、生き延びる為には見捨てて逃げるしかなかったのだ。
『……すまんかったな、二人共』
その手の杖を振り上げ、全身のアルマーナを活性化させる凪爺の、最後の呟きが風に乗って耳に届いた。
~~~~~~
「――その直後、凪爺達の居た場所で巨大な爆発が起こった。直ぐに察したよ、凪爺がエーベルケインを巻き込んで自爆した、と」
苦渋の顔で、百合さんは両の拳を握り締める。
佐久埜ちゃんも、俯いて苦しそうな顔をしていた。
「それから何とか逃亡に成功した私達は、出払っていた主力達と合流し、教団との戦いに身を置いた。だが二人の適合者を生贄に捧げ、邪神の眷属を従えた奴等には対抗しきれず、徐々にその数を減らされて――残ったのは私達二人だけ、という訳だ」
軽く、一息。
「だがその戦いで、向こうの戦力も大分削れた。眷属を除けば、残っている団員はそう多くは無いだろう」
「そんな状況でも一向にエーベルケインさんが出てくる気配が無かったので、てっきり私達は凪爺の起こした爆発で死亡した、と思っていたんですが……」
「生きていた、と」
はい、と頷く佐久埜ちゃん。
重くなった場の空気のせいか、白玉が居心地悪そうに身じろぎする。
そのもふもふな背を撫でながら、俺は改めて切り出した。
「とりあえず、エーベルケインに関するそれ以上の情報は今は無いって事で良いのか?」
「はい。すみません、こんな役に立たない情報だけで……」
「いや、良いよ。佐久埜ちゃんや百合さんに責任がある訳じゃない。それに、向こうにしたって俺に関する情報は無いんだ。一方的に不利な訳じゃない」
俺と、エーベルケインと。互いに持っている情報はほぼフィフティ・フィフティだ。
ならば悲観する事は無い。ただぶつかり合った時の互いの実力で、全てが決定するだけの話。
その後もいざという時の対応や戦い方など、今後の方針を決める作戦会議は一時間以上に渡って続いた。
最終的な決定としては、百合さんが佐久埜ちゃんを守っている間に、俺がエーベルケインを仕留める。そうして残った教団員を打ち倒す、という事になった。
分かっていた事ではあるが、責任重大である。
これからの戦いに決意を新たにしながら、広野家の朝は過ぎていく。
「ニャー」
退屈そうに、白玉が欠伸した。