2-4
リーゼンラールの衝撃の過去。
でも、シエルの恋心はいかに……?
「仏頂面が、随分にやけてるじゃないか。可愛い子だな? 西方のアリアバードの姫君が来ているとか言ってたから、その従者か。いや、でも……もしかして、リゼの隠し子か?」
そう言いながら立ち上がったサイレルは、とても小柄だった。ユーリシエルと殆ど変らぬ身長だ。
ユーリシエルは、あまりに想像と違う姿にぽかんとしていたが、傍らのリーゼンラールが物騒な唸り声を上げたのでびっくりした。
「笑えぬ冗談はよせ。明日にはその話が城中に広まりかねない」
「既に、十分噂になっているぞ? 堅物が、年端も行かぬ異国の少女に入れあげて、公務をおろそかにしているが、実はそれが異国で作った隠し子だとか」
「この年で、こんな大きい子供がいるわけないだろうがっ!? どう考えても、計算が合わない」
「そうか? そっちの少年なら、十分あり得るだろう?」
「あり得ないっ!」
「何を今更真面目ぶる? 学院時代のおまえの所業ときたら、ウジェスの求婚だったくせに?」
言い合う二人のやり取りを茫然と聞いていたユーリシエルだが、聞き慣れぬ言い回しに首を傾げた。
「ウジェスの求婚?」
サイレルは驚いたようにユーリシエルを見やる。
「ラーゼルの言葉を喋れるんだ?」
「は、はい。あ、あのう、ウジェスの求婚って、何のことですか? 比喩ですか?」
「それは……」
「気にしなくていい」
説明しようとしたサイレルを遮ったのは、リーゼンラールだ。
「子供に聞かせるような話ではない」
不機嫌極まりない声音と物騒な面持ちは、初めて見るものだった。
だが、サイレルはそんなリーゼンラールに怯むこともなく、嬉々としてその意味を説明した。
「疑問にはちゃんと答えてやらなきゃ駄目だろ? リゼ。ウジェスというのは、ラーゼルの山間地に多く生息する鳥で、発情期になると雄鳥は見目麗しい紫の羽の色と美しい歌声で、雌鳥を呼び寄せ、番になる。でも、雄鳥は大変な浮気モノで、一度番になる目的を果たすと、直ぐに別の雌鳥を探して再び恋の駆け引きを仕掛けるんだ。リーゼンラールは今じゃ真面目そのものだが、昔は言い寄られれば次から次へと相手を変え、舞踏会に連れて出る女も毎回違うというような奴だったんだよ。だから、どこかに隠し子が居たとしても何の不思議もないのさ」
ユーリシエルは、サイレルと話しているという事実と、リーゼンラールの衝撃的な過去に、すっかり混乱し、返す言葉も見当たらない。
「いい加減なことを吹聴するなっ!」
リーゼンラールは、大げさすぎると抗議したが、サイレルは事実だろうにと言うように、肩を竦めた。
「私が知っているだけでも、両手の指じゃ足りないぞ? なぁ、エルウッド?」
「確かに」
「エルっ! おまえはどっちの味方だっ!?」
「俺は、真実の味方だよ」
エルウッドは、肩を竦めて苦笑する。
「まぁ、それももう時効だろうけどね。それにしても……べっぴんさんだ。美女の卵を育てることにしたのかい?」
そんなにいきり立つなと笑いながら、サイレルはユーリシエルを覗き込む。
「誤解を招くような言い方をするなっ!」
ムキになって言い返すリーゼンラールを無視し、サイレルはぽかんとしているアリへ視線を移すと、にっと笑った。
「こんにちは」
アリアバードで使われる西方言語で挨拶され、アリはぎこちなく頷く。
「ここ、こんにちは。アリです」
「私は、アンジェリカ・サイレルだ。よろしく」
差し出された手に、アリは自分も手を差し出して、握手する。
「で、そちらのお嬢さんは……」
「あっ!」
ユーリシエルは、自分が名乗っていなかったことに気付き、慌てて軽く頭を下げた。
「わ、私はシエルです。あ、あの、そのっ、わ、私、あなたの本を読みましたっ!」
憧れの人が目の前にいるのに、ぼーっとしているなど勿体無い。ユーリシエルは、リーゼンラールの過去も非常に気になるが、そちらは後でも確認できると思い切った。
「へぇ? それは嬉しいね。何を読んだのかな?」
サイレルは首を傾げてにこっと笑う。
「神は万能か、ですっ! 少し難しかったですけれど……人が神に何を求めるのかとか、神が人に何を与えるのかとか、そういう色んなことが興味深くて、もちろん登場人物もみんな魅力的で。実在する人たちを模倣しているんですよね? だから、ラーゼルへ来ることになったとき、あのお話に出て来る誰かに会えたらいいなぁって、それに、出来れば著者であるあなたに会えたらって、思っていたんですっ! こんな風にお話が出来るなんて、夢みたい……」
一気に言い募ったユーリシエルに、サイレルは目を見開いていたが、朗らかな笑い声を上げた。
「わお。異国にも、こんな可愛い信奉者がいてくれたとは、知らなかったな」
そう言うサイレルは、リーゼンラールをちらりと見やる。
「可愛い子猫ちゃん。登場人物に会いたいという、その望みはもう叶っているよ?」
「でも、私のような下働きの侍女は王女様や英雄の騎士なんて、見たこともないです」
宴席に出ることが許されているのはごく少数の侍従や侍女たちだけだ。洗濯係にお呼びが掛かることなどあり得ないとユーリシエルが戸惑いを見せると、サイレルはにやにやと笑って、ユーリシエルの横を示した。
「そこに一人、いるよ」
「え?」
驚き、見上げた先には不愉快極まりないという表情のリーゼンラールがいる。
「リージェも本に出て来るの?」
アリが、それは凄いと素直に驚く。
「ああ。お話の主人公の一人である英雄キースランドはリーゼンラールの弟だしね」
「英雄が弟なの?」
更にびっくりしたと目を丸くするアリに、リーゼンラールは頭を振る。
「あれは英雄なんてもんじゃない。その辺の小生意気なクソガキと変わらない」
「おいおい。ラーゼル救国の騎士を英雄と言わずして、誰を英雄と言うんだ?」
エルウッドが、そんな言い方はないだろうと苦笑する。
そんなに凄い人が弟だなんてリーゼンラールも凄いんだねなどと、アリはわけのわからない感心をして、会ってみたいと無邪気に口にした。
「あの話は、実在の人物を数百倍も美化して書かれた代物だ」
リーゼンラールは、よほどサイレルの書いた話が気に入らないのか、弟であるキースランドに会わせてやれぬこともないが、期待しないようにとアリに釘を刺す。
「リゼ! そうやって、自分の都合で私の作品を捻じ曲げるな。私は、何も偽っていない。実際にあったことを忠実に書いただけだ。真実でない部分は、唯一おまえの名前だけだ」
サイレルの抗議を聞いて、ユーリシエルは俄かには信じられず瞬きする。
実際にあったことを忠実に書いた?
ということは、神やら魔術やらも本当にあったことなのか。
とても信じ難いと目を見開くユーリシエルの目の前で、リーゼンラールはサイレルに再び噛み付いた。
「あんな恥ずかしい内容の本に、実名が出るなど、御免被るっ! あちこちの劇場で、大げさな芝居をされて、ありもしない噂が広まるなど、まっぴらだ!」
「おまえの恥ずかしい噂なんか、とっくに広まってるだろうに? ウジェスの求婚で、人妻専門で、しかも誠実になろうと心を入れ替えて尽くした恋人に逃げられたことを知らない人間は、城中に一人もいないぞ。ま、過去の悪行を思えば自業自得だな。この悪人」
「悪行など重ねていないっ! 大体、どれも合意の上だっ!」
「リゼに迫られて、嫌と言える女性はそうそう居ないよ? それに、リゼが悪い男じゃないなら、世の中の男はみんな善良で誠実だってことになるねぇ」
エルウッドのんびりした口調が、余計辛辣に聞こえる。
ユーリシエルは、リーゼンラールが一人や二人、いや三人や四人、あるいはもっと多くの女性と恋をしていたとしても、全然不思議はないのだし、『大人』なのだから、深い関係になっているのは当然で、美しい女性に言い寄られて嬉しくない男性はいないと、そう納得すべきと自分に言い聞かせた。
だが、項垂れたユーリシエルの様子を見たサイレルがにんまり笑う。
「おや。もしかして、リゼのファンだったのかな? がっかりした?」
「い、いえ! そういうわけでは……」
「ま、今は心を入れ替えたみたいだから、大丈夫だよ」
サイレルはユーリシエルに耳打ちし、片目を瞑ってみせると、次の予定があるので、もう行かなくてはならないと詫びた。
「さすがに、国王陛下の呼び出しを無視するわけにはいかないだろうし」
「南方から戻ったばかりだろう?」
リーゼンラールが、随分と忙しいものだと怪訝な表情になる。
「そうだよ。昨夜戻った。で、戻るなりの呼び出しさ。なんだか、石がどうとか、贋物がどうとか言っていたな。あの人は、私が何でも知っていると思っているらしい。その内、どうすれば機械仕掛けの人間が作れるかなんて聞かれそうで、恐ろしい」
サイレルならば、どんな問いにも答えを持っているのだろうと、ユーリシエルは最早神を崇めるような気分で目の前の小柄な女性を見つめた。
「シエル。もう一度会えればいいけど、それが適わなかったら、アリアバードの住まいをリーゼンラールに伝えておいてくれないかな。新作を書いたら、必ず送るよ」
「ありがとうございますっ!」
それこそ、舞い上がりそうな気持ちでユーリシエルは叫んだ。
サイレルは、アリにも簡単な本を贈ると約束し、面倒臭いという気持ちが如実に現れているのんびりした歩みで去って行った。
少しずつ、関係を深めていく二人を見守っていただければ嬉しい限りです。
この先も、お楽しみ頂けるよう引き続き投稿します!