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物語は序盤、ややゆっくりめの展開。でも、前向きで行動的な主人公が、ぐいぐいと話を引っ張って行ってくれる……ハズ。
世の中には、別世界というものがあるのだろうが、自分は一生この鳥籠から出られずに終わるのかもしれない。
薄い沙羅を幾重にも重ねた風通しのいい衣装の裾が捲くれ上がるのも気にせず、窓辺に膝を立てて坐っていたユーリシエルは、深々とため息をついた。
大抵の人間は自分が住まう世界の範疇から足を踏み出すことはなく、平穏な人生を送る。危険や苦難の連続である冒険や、我が身を蝕む悲劇などは、物語の中だけで楽しむ。
無茶をすれば怪我をするし、慣れないことをすれば痛い思いをするからだ。
でも、無謀とわかっていても、その別世界に飛び出してみたいと夢見てしまうのは、いけないことだろうか?
もしも自分が御伽噺の主人公ならば、そろそろ運命の相手とやらが現れて、ここから連れ去ってくれるはずなのだが。
ユーリシエルはいつもの空想を試みたが、肝心の『運命の相手』を詳細に思い浮かべることが出来ず、- 何故ならうっとりするような男性というものを未だ見たことがなかったので ― 、諦めて別の筋を考える。
めくるめく運命の恋の代わりに、国を揺るがす陰謀に巻き込まれ、艱難辛苦を舐めた果てに、救国の英雄になるという筋はどうだろうか。
不思議な力を秘めた魔法の剣を振り回し、片っ端から悪人共を懲らしめるのだ。
そんな力を手にすることが出来たなら、意に染まぬ結婚などしなくてもいいだろうし、望む相手を指名することも可能かもしれない。遠く東の大陸には、女王の国というものもあるらしいしから。
自分で自分の空想にくすりと笑ったユーリシエルだが、結局そのどれもが叶わない夢であると、再び諦めのため息をついた。
明日には、何十回目かのお見合い相手と会うことになっており、先ほどから侍女たちがああでもないこうでもないと言い合いながら、色とりどりのドレスを並べているのだが、着る本人としてはどうでも良かった。相手は、どこぞの有力な部族長で、ユーリシエルの三倍以上の年齢だ。着飾ろうという気も起きない。
大体、好きでもない男性相手に、何だって色気を振りまく必要があるのだ。そんなことをするくらいなら、本でも読んでいた方が、よっぽど気分が晴れる。
「ユーリシエル様。こちらの衣装はどうでしょう?ユーリシエル様の瞳の色と同じで、良く映えると思います」
侍女が差し出したのは、空色の薄布が幾重にも重ねられた衣装だった。
確かに、晴れ渡った空の青をしたユーリシエルの瞳と同じ色合だが、それを口にした侍女は、決してユーリシエルと目を合わせないのだから、真実同じ色だなんて分かるわけもないはずなのにと、冷めた気持ちで一面に施された細かな銀糸の刺繍を眺め遣る。
ユーリシエルは、この王宮では異端の王女として扱われており、一年前に亡くなった乳母のルゼ以外に、躊躇いなく触れ、見つめ合って話せる侍女は一人もいなかった。
その原因は、ユーリシエルの容貌にある。
空色の瞳と、眠る時以外はいつでもヴェールの奥に押し込められた銀色の髪は、異形の物であり、忌むべきものとして、嫌われていた。
アリアバード王国では、黒い髪と黒い瞳、浅黒い肌が一般的だ。大陸の交易路にも通じているため、もちろん他の種族の血が混じっている者も多いが、色を持つものは色付きと呼ばれ、他種族との混血として蔑視の対象になっている。
特に、純血種を維持することに固執している王族では、黒以外の色を持つ者は滅多に生まれない。
現国王アジディールの十一人いる子供の中で、黒以外の色を持つ子はユーリシエル一人で、そのためユーリシエルが生まれたとき、十番目の妾妃であった母レミアールには、アジディール以外の者と浮気したのではないかという疑惑が持ち上がった。
レミアールは否定したし、アジディールもその貞節を疑うことはなかったのだが、寵愛は失われた。
王の寵愛を失ったレミアールは、ユーリシエルが三つの時に、誤って王宮の塔から転落して死んでしまった。身投げだったという話もあるが、真相は分からない。
その後、ユーリシエルはひっそりと王宮の奥深くで育てられた。
待遇は、他の王女たちとさして変わらぬものだったが、華やかな宴席に呼ばれることもなく、他の王女たちのように、幼い頃から政略結婚の駒として求められることもなく、退屈ではあるが、穏やかな日々を送っていた。
ただ一つ、他の王女たちと違うことと言えば、限られた者だけが行き来する王宮の奥でも、人前に出る時に女性が顔や肌を人目に晒さぬために身に着ける長いヴェールで、銀の髪は常に覆い隠すようにと、きつく言い渡されていることだ。
薄い水色をした瞳を隠すわけにはいかないので、そのままだが、王宮内の殆どの者が、色付きのユーリシエルと目を合わせることはないため、何の問題もなかった。
色付きの瞳と目を合わせると、寿命が縮むだの、呪われるだのというくだらぬ迷信を信じている者は多い。
庶民の間では、多種族との混血も最早珍しいものではなく、王宮で料理や掃除などをしている下働きの者たちは、そんな迷信などとっくの昔に信じていないから、ユーリシエルに声を掛けられると恐縮はするものの、ちゃんと受け答えをしてくれるのだが、有力部族の娘などという、育ちの良い侍女たちは、古き迷信を信じて疑わない。
酷く傷つけられることはないけれど、まるで存在そのものをぼんやりとしたヴェールで覆われるかのように、人々からやんわりと無視されるのは、心地のいいものではない。
時々、酷く自分の存在が希薄に感じられ、ユーリシエルが入っている鳥籠の中には、何も存在していないのではないかとさえ思われる。
このまま、こうして人々の記憶から徐々に忘れられ、王宮の片隅でひっそりと一生を終えるのかと思っていたユーリシエルだが、十六歳になった半年前、突然父王アジディールは政略結婚の駒として、ユーリシエルの存在を思い出した。
色付きを妻に望む物好きなどそうそういるまいと思ったのだが、アジディールが第十一王女の結婚相手を探すと宣言するなり、ユーリシエルの予想に反して、数多くの立候補が現れた。例え色付きであっても、間違いなく王女の身分を有しているユーリシエルを、王との繋がりを求めるために貰い受けたいと望む部族は数多く、様々な贈り物がひっきりなしに父王アジディールの元へ届けられるようになった。
決められた相手と、決められた通りに結婚する。それが、自分の運命なのだとユーリシエルは諦めていたため、これまでも、そしてこれからも、見合いの相手がどんな人物かなど、考えるだけ無駄と思っていた。
「どれでもいいわ」
「こちらの衣装には、この宝石ではいかがでしょう?」
侍女は、恭しく紫の布の上に並べられた透明に輝く石を使った首飾りと耳飾りを差し出す。『砂漠の月』と呼ばれる、アリアバードでしか採れない希少な鉱石を使っているようだ。
その石は清らかな水の如く透き通っているが、陽の光で七色に輝き、剣をもってしても打ち砕くことが出来ない程硬い。かつて女神によって齎されたと言われている代物で、国宝である『天の光』のように抱えられるほど大きい石も、どこかに眠っているのかもしれないが、採掘される殆どの石はせいぜい親指程度の大きさだ。
そのため、頑強を誇る石ではあるが、武器として加工されることはなく、宝石として女性を飾るか、または工業的に発展している大国で硬いものを削る道具として重宝されていた。小さな石は、産業らしい産業が他にない砂漠の小国を支える、まさに至宝だ。
「砂漠の月ね?」
ユーリシエルは何気なく耳飾りの一つを手に取ったが、ふとその石の輝きが違うことに気付いた。
驚いて、もう一方の耳飾りと首飾りも手に取ってみるが、どれも輝きが違う。光の加減かとも思ったが、ユーリシエルの目はそれが『砂漠の月』ではないと判別した。
正しくは、『砂漠の月』と同じ系統の石ではあるが、別の鉱石が混じった純度の低い三級品。強い衝撃を受ければ脆くも崩れる程度の硬度しか持たない。アリアバードでは、贋物と呼ばれる品だ。
自分は、やはりこの程度のもので飾るくらいで十分だと思われているのか。
ユーリシエルは、ため息をつくとそれらを突き返した。
「本当に、どうでもいいわ。好きに選んで頂戴。少し、散歩して来ます」
「あっ、お供のものを」
「いりません」
いちいち付きまとわれたくないと、ユーリシエルはため息混じりに言い返し、部屋を出た。
砂漠の中に点在するオアシスを占領する形で生まれたアリアバード王国は、当然ながら王都のハレルも大きなオアシスにあり、王宮はその水源の上に建っている。
溢れる水を使った噴水や人工の池で彩られた王宮は、砂漠に在りながらも水の王宮と呼ばれる程だ。
熱い日差しに火照った身体を冷やすため、王宮の裏手にある大きな池では、侍女たちが素足を浸したり、侍従たちが泳いだりしている。
いつもなら、出来る限り目立たぬよう、そそくさと通りすぎるユーリシエルだったが、池の辺に多くの洗濯物が翻っているのがふと気になった。
翻っているのは、侍女や侍従の着ている簡素な白い服だった。
自分も服を替えれば、この髪を隠せば、王宮を抜け出せるのではないか。
ふと過ぎったその思いが、ユーリシエルの心臓を跳ね上がらせた。
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