序章
とある物語のスピンオフなのですが、まずはこちらから投稿してみることにしました。
元気で前向きな主人公が、民族の違いや年の差を跳ねのけ、幸せを手に入れるまで、お付き合いいただければ幸いです。
序章
「これが、女神ユーラのくれた石。『砂漠の月』ですよ」
寝台の上に座っていたユーリシエルは、乳母のルゼが差し出した耳飾りの輝きに目を奪われた。
黄金の鎖の先に揺れるのは、涙の形をした清らかな水の如く透き通っている石だ。
ほんの小さな、ユーリシエルの小指の先ほどの石は、淡い寝室の灯りでも眩い七色の輝きを放っている。
「剣をもってしても打ち砕くことが出来ない程、硬いんですよ。ユーリシエル様の耳にも同じ物があります」
優しく温かな手が右の耳に触れ、くすぐったくてユーリシエルは身じろぎする。
「自分では見えないわよ」
「そうですねぇ。でも、ちゃあんとありますよ」
ルゼの手から耳飾りを受け取ったユーリシエルは、ゆらゆら揺れる石に不思議な近しさを覚える。
それがどこから生まれてきたのか、その石がどうして輝くのか、知っているような気がする。
じっと見つめるユーリシエルに、ルゼは優しく微笑んで囁いた。
「今夜は、何のお話をしましょうかね?」
眠るまでの一時、ルゼに様々な御伽噺をしてもらうのが、ユーリシエルの楽しみだった。
不思議な石の輝きにうっとりしながら、この石に纏わる話をねだる。
「女神ユーラのお話がいいわ」
「では、そうしましょうか。昔、昔のお話です。男神ドールと女神ユーラがまだこの地におわした頃のお話です」
いつもの語り口調で、ルゼは今夜も御伽噺を紡ぎ出す。
アリアバードという国が出来る遥か昔。人間たちの暮らしを護り、大地を支配していたのは男神ドールだった。
男神ドールは、人間たちに火を与え、実のなる樹木を与え、雨を降らせて大地に緑を育て、川には魚を放ち、その命を繋ぐために必要なものをすべて与えていた。
人々はドールの恵みに感謝し、日々平穏な暮らしを営んでいたが、いつしか平穏に慣れ、与えられることに慣れると、分かち合うことを忘れ、奪い合い、争い合うようになった。
ドールは、人間たちの争いを憂え、幾度も人間たちが荒廃させてしまった土地を甦らせたが、とうとう一向に行いを改めない人間に怒り、天へ帰ってしまった。
人の営みに必要なものを与えていた神がいなくなった世界では、長い間、雨が一滴も降らず、人々は乾いた大地で水を求めて彷徨い、行き倒れた屍を覆うように砂漠が広がり、大地のすべてが砂に覆われた。
羊飼いの青年ムハディールは、アリアバードという一族の出身だったが、長きにわたる旱魃のせいで家族、一族の者はみな死に絶え、遺されたのは一頭の羊だけとなってしまった。
小さな池のあった最後のオアシスが砂嵐に埋もれてしまい、水を求め、草を求めて砂漠を彷徨っていたムハディールは、最後の羊が力尽きたのと同時に、自らも力尽きて砂漠の中で行き倒れてしまった。
このまま、永久の国へと旅立つのかと思ったムハディールだったが、長い眠りの後にふと冷たいものが自分の額に落ちるのを感じた。
重い瞼を引き上げると、月の光のごとく輝く髪を持つ美しい娘がムハディールを見下ろし、涙を流していた。
その涙は、ムハディールの乾いた唇を潤し、それだけで喉の渇きが消えた。
雨の如く降り注ぐ娘の涙は、ムハディールの頬を伝い、砂へ落ちると澄んだ音を立てた。
驚くムハディールに、娘は『砂の中に輝く石を集め、一つにすれば大地に水が戻る』と告げた。
ムハディールは、夢でも見ているのだろうと思い、またとても起き上がれない程疲れ果てていたので、そのまま再び眠ってしまった。
翌朝、太陽に照り付けられ、皮膚が焼ける痛みで目覚めたムハディールは、自分が生きていることに驚き、昨夜見た夢を思い出した。
見渡すと、砂漠の中に輝くものが点在している。
ムハディールは、娘に言われたとおり、砂の中に輝く透明な石を拾い集めた。
石は、互いに触れ合うと溶けて一つになり、目に留まる分をすべて拾い終えたときには、手のひらほどの大きさになっていた。
その石を持っているだけで、何故か渇きを感じることはなく、石を持って歩き出したムハディールは、夕日が落ちる頃、朽ち果てた神殿の跡に辿り着いた。
不思議と疲れは感じておらず、飢えも感じることはなかったので、あの娘に感謝の祈りを捧げた。
すると、突然足元の大地が裂け、大量の水が噴き出した。
噴き上げた水は、天から降り注ぐ雨のごとく瞬く間に乾いた地面を潤し、あっという間に小さな池を創り出した。
そして、いつしかそこはオアシスとなり、やがて大きな都となった。
それがここ、アリアバード王国の王都、水の王宮があるハレルだ。
ムハディールは、アリアバードの最初の王となり、ムハディールに恵みを与えた不思議な娘は、女神ユーラとして、広く西方の土地で崇められるようになった。
その女神ユーラがムハディールに齎した石は、『天の光』と呼ばれ、今でも秘宝として王宮の奥深くに眠っている。
そして、ムハディールが拾いきれなかった女神の流した涙は、『砂漠の月』と呼ばれる宝石となり、今でも地中深くから掘り出され、アリアバードを潤す糧となっているのだと、ルゼは話を締めくくった。
「これも、『砂漠の月』です」
ルゼはそう言って、ユーリシエルに耳飾りと同じ意匠で作られた首飾りを見せた。
「陛下からの贈り物ですよ」
だが、その輝きを見たユーリシエルは首を傾げた。
「違う。ルゼ」
「はい?」
ルゼは、何を言っているのだと目を丸くしている。
ユーリシエルは、耳飾りと首飾りを交互に見やって、首を振る。
「違うの。同じじゃない」
「違うって……石が違うと言うんですか?」
何故か、ルゼは声を潜めた。
「そう。七色じゃないの」
首飾りの方は、ユーリシエルの目には七色の輝きを持つようには見えなかった。
触った感じも、どこか余所余所しくて冷たい。
ルゼは、ユーリシエルの手から首飾りと耳飾りを取り上げると、見たこともない程恐い表情で囁いた。
「ユーリシエル様。石が違うということは、他の人の前では言ってはいけませんよ」
ユーリシエルはびっくりして、ただそれだけで頷いた。
「違いが分かっても、決してそれを人前で言ってはいけません」
あまりにルゼが恐い顔をしているので、何故なのか問うことは出来なかった。
ただ、大好きなルゼを怒らせたり、困らせたりするのは嫌だった。
「約束してくれますね?」
「うん」
大好きな乳母を安心させたい一心で、何度も頷く。
「さぁ、もう寝ましょう。女神ユーラのご加護がありますように」
いつものように、額にキスをもらい、ユーリシエルは目を瞑った。
心臓が、いつもと違う鼓動を刻み、とても眠れそうになかったが、ルゼが部屋を出てしまうまで、じっと目を瞑って大人しくしていた。
やがて、静かな足音に続いてそっとドアを閉める音を聞いて、ユーリシエルはそっと目を開けた。
灯りは消されていたが、窓から見上げる満月の光が部屋を満たしている。
それにしても、どうして『違う』と言ってはいけないのだろう。
ユーリシエルは、女神が住むという月を見上げながら、その夜しばらく眠れなかった。
本題へ入る前の神話でした。ユーリシエルの魅力が全開!になるのは、もう少し先です。
気長にお付き合いいただければ幸いです。