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数奇なる天命

作者: 燈雅papa

 ありふれた言葉をあれほど美しく響かせる男を僕は彼を除いて他にみたことがない。彼が口を開けば、まるでそれが聖なる言葉であるかのように耳にした者の全てがうっとりとしてしまうのだ。にわかに信じられないかもしれないが、彼が一言『やあ』と言うだけで誰もが平伏してしまいそうになる。当の本人はそれをひどく嫌っていて、言葉を発することもなくなり、ついには人前に姿を見せることもなくなってしまった。

 それでも人々は彼の言葉の魔力を忘れられなかった。彼は崇拝され、いつの間にか神の化身に違いないと信じられてしまっていた。

 彼を無理やり大衆の前に引き出したのは、悪知恵の働く耳の不自由な男だった。言葉の魔力を利用して金儲けを企んだのだ。悪知恵の働く男は巧みに彼を丸め込み、結果的に莫大な財産を築くことに成功した。彼はそれを気に病んでいたが、大衆は彼を信じて疑わなかった。

 神が彼に対して、どうしてあのような才能を与えたのかはわからない。彼自身はきっと普通の言葉で友人らと笑いあい、恋人に愛を囁きたかったに違いない。誰ひとりとしてそんな彼の苦しみに気をとめようとしなかった。

 彼は人知れず国を去り、言葉の通じない国へ行った。それは結果的に言葉を封印するのにも最適だった。生きるために出稼ぎ労働夫として働き、そして同じく出稼ぎの僕と出会った。

 最初の頃、無口で笑うこともしない彼を僕は無愛想な奴だと嫌っていた。でも、彼が仕事にとても真面目で誰に対しても思いやりのある男だと知ってからは、休みの日はいつも酒を飲みに村へ連れていった。僕も孤独だったので、彼とは意気投合して─とは言え彼は酒を飲むときも終始無言を貫いていた─すぐに仲の良い友人になった。彼は徐々にこちらの言葉を理解できるようになっていった。その頃には、本当に時折だが彼は声を出して笑った。その笑い声が無性に心地よくて、彼を笑わせることばかり考えていたのを覚えている。

 僕が彼の最初の言葉を聞いたのは、それからずっと後のことだった。僕はてっきり彼が口を利けないとばかり思っていたので、たいそう驚かされた。

 僕はそれまで彼の名前すら知らなかったのだが、彼は名をアドニスといい初めて口にするこちらの言葉で多少ぎこちないながらも、今まで口を利かなかった理由と彼の過去について話してくれた。

 そして最後に彼は村の娘と恋に落ち結婚するのだと言った。僕は彼の言葉に酔いしれながら、その言葉は全て真実なのだろうと思った。彼の言葉の魔力が人々を魅了するのも頷けるし、長い付き合いのなかで彼を信頼していたからだ。僕はアドニスの結婚を心から祝福した。

 間もなくして、彼とその妻に子供が出来た。母親に似た綺麗な瞳の女の子だった。相変わらず、僕と彼の妻の前を除いて彼は無口な男だったが、以前に比べてよく笑うようになったように思う。

 神は何故、彼に素晴らしい才能を与えて多くの代償を払わせるような真似をしたのだろうか。彼にはそんなもの必要なかったように思える。彼は妻と娘との暮らしのなかで初めて幸せを手にすることが出来たのだ。

 神は何故、与えては奪うのだろうか。僕たち人間は与えられたものを少しずつ没収されて生きている。僕は理解に苦しんだ。いずれ奪うのなら、どうして与えるのですか?

 残酷な神はまた奪っていった。彼がやっとのことで手にした幸せは長く続かなかったのだ。

 彼の娘が三つの年を数えたころ、少しずつ言葉を話せるようになった。幸いにも彼の言葉の魔力が子供に受け継がれていないとわかり、娘は彼と同じ苦しみを味わう必要がなくなった。しかし、彼に安堵している時間は与えられなかった。同じ時期に彼は、皮肉にも喉のガンを患ったのだ。彼の美しい言葉の響きは二度と聞けなくなり、それは死を意味していた。すでに手の施しようがなくなった病は足早に彼を連れ去っていった。間もなくして、気を病んだ妻も彼を追うようにして谷底に身を投げてしまった。呪われた天運としか僕には表現できない。忘れ形見の娘と僕だけを残し、数奇な物語の幕は閉じた。この悲劇の目撃者は僕一人なのであるが、こうして人に聞かせることはほとんどない。何故なら話してみたところで誰も信じないだろうし、出稼ぎ労働夫の僕の友人はアドニスただ一人だからだ。

 かくして不幸な娘は僕が引き取り手となり、今では目を見張るほどに美しく成長した。だからこうして君の両親の話をすることにしたのだ。君の言葉にアドニスと同じ魔力はないし、普通の女性と同じような幸せを手にしてほしいと願っている。君には父の分もたくさんの笑顔を見せてほしい。だが近頃、君が笑うたびに僕は背筋を凍らせるのだ。その笑い声があまりにもあのときのアドニスの笑い声に似ている。どうか神よ悲劇は終わったと言ってくれ。

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