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日常がほしい

「おじゃまします」

 奏は靴を脱いで丁寧に揃えて、靴下を脱ぐ。

 そしてハセさんから新品の靴下を貰って、履き替える。

 ちなみに、この行動はいつもする。

 お邪魔する時のルール、らしい。

「麗しい……」

 華英が後ろでそれを見ていて呟く。

「なんだよそれ」

 男から女になっただけで、何が麗しいだよ、意味わかんねー。

 むしろ男に使う言葉じゃねーの? 麗しいって。

 後ろにいたハセさんは大きな荷物を持って台所に入ってきた。

 ふわりと良い匂いがする。

「もしかして!」

 俺は椅子に座った。

「お持ちしました」

 ハセさんが微笑む。

 バスケットが出てきて、そこから焼きたてのパンが出てきた。

「キターーー!」

 俺は思わず身を乗り出した。

 たまに朝から奏が来る時は持ってくる、小早川家の焼きたてパン!!

 都内から連れてきたパン屋さんが小早川家には住み込んでいて、毎朝パンを焼いている。

 これがものすごく良い匂いで、奏からかすかに香るいい匂いは、このパンの匂いじゃないかと思うほどだ。

「今日はコーヒーもお持ちしました」

 ハセさんが大きなポットを出す。

 オカンがまたガタタタと立ち上がって、我が家では一番きれいなマグカップを二つ出す。俺と奏に渡す。

「皆さんもいかがですか?」

 ハセさんは微笑む。

「いいんですか!」

 華英とオカンは自分のマグカップを持ってくる。

 華英のマグカップは南高等学校卒業記念と書かれたショボいものだし、オカンはガソリンスタンドで貰った某アニメキャラクターが書かれたものだ。ああ、平民。

 ものすごくショボいマグカップに、なみなみとコーヒーが注がれる。

 このコーヒーがまた凄い。

 色々ウンチクがあるのは聞いているが、それを全部無視しても、とにかく旨い。

 このコーヒーだけは、俺はブラックで飲める。

「いただきまーす」

 俺は焼きたてパンに手を伸ばした。

 あー、ふわふわでサクサクで、それでいてくどくなくて、でも味が広がって……。

「まじうめー…」

「うんうん」

 いつの間にかオカンと華英も食べている。雪菜は一歩引いてシンクの後ろに立って苦笑している。

 さすがの長女、大人だ。たぶんオカンより。


「で、朝からお邪魔したのは理由がありまして、二宮の家に人たちにお願いがあるからです」

 奏は姿勢を正した。

「あん?」

 俺はパンをムシャムシャ食べながら聞いた。

「何あらたまって、気持ち悪い」

「はい、なんでしょうでごさいますか!!」

 華英が椅子の上に正座する。

 言葉も行動も全てがおかしいだろ。

 なんで男だった奏には興奮しないで、女になった奏に興奮するんだ。 

 奏はにこりと微笑んで言った。



「俺をこの家に置いて貰えませんか?」



「は?」

 俺はパンを食べながら口をあけた。

「何いってんの? 住むってこと? お前んち、目の前じゃん。なんでわざわざクソ狭い家に住むの?」

 コーヒーを飲む。

 俺は性転換した奏ショックを昨日くらってるんだ。

 こんなことで動じない。

「毎日遊びに来てるじゃん、何が違うんだよ」

 珍しく静かじゃん? と振り向くと華英とオカンは口を開けたままフリーズしている。

 トーテンポール一時停止。

「……なんの理由で?」

 唯一機能している雪菜がシンクにもたれたまま聞く。

「雪菜さん、お久しぶりです」

「この前会社であったねー、女になって尚、奏くん……じゃない奏さん? 美しいわ」

「ありがとうございます」

 雪菜も小早川財閥のひとつの会社に勤めている。

 この町で小早川の手が掛かってない企業なんて、存在しない。

 仕入れ先であれ、販売先であれ、みんな小早川が関係している。

「今、我が家は大騒ぎで」

 奏は、はー……と大きくため息をつく。

「オカンは寝込むし、オトンは東京に消えるし、姉貴は何か企んでるし、召使いは腫れ物触るみたいにビクビクしてるし」

 まあ……想像は簡単にできるな。

 我が家もさっきまで大騒ぎだったわけで(いや、今も?)。

「一番仲がよかった召使いがプルプルしながらスカート持ってくるの。なんだあれ」

「あはははは!!」

 俺は爆笑した。

 女になった=スカート持っていかないと! なのか。

 もしくは誰かの指示?

「母上さまからです」

 黙っていたハセさんが口を開く。

「母上さまも、奏さんを受け入れようと必死なのです」

 ハセさんは空になった俺のカップにコーヒーを注いだ。

「こちらのマフィンは、自信作らしいですよ?」

 ハセさんが指さすチョコがたっぷり乗っているマフィンを俺は口に入れた。

 あーー、うまい。

「だからって俺の家に逃げ込んでも仕方ないだろ」

 むしろ家に居ないと、女になった奏に誰も慣れないだろう。

「俺もキツイんだよ、頭も体もついていかない」

「まあ、そうだろうなあ。ていうか、退院して大丈夫なの?」

「検査には何度も行くけど、とりあえず女になった以外、何の問題もない状態なんだ。俺もマフィン食べよ」

「うまいわ、これ」

 俺と奏は二人でマフィンをもぐもぐ食べる。

 コーヒーを飲んで奏が言う。

「みんな俺に戸惑うけどさあ、了太だけは、変わらないじゃん」

「いやいや、驚いてるけど。てか、お前、口にチョコついてんぞ」

 ティッシュを箱で投げる。

「マジか、あはは」

「3歳か」

「了太もついでるぞ」

「ファッションチョコだから」

「バカかお前は!!」

 奏は声をあげて笑った。

 その笑顔は、やっぱり何も変わらない奏、そのものだ。

「あああああ………」

 後ろで聞いてたハセさんが突然上を向いて目頭を押さえる。

 なんて演技臭い動き。

「奏さんの笑い声……嬉しいです、長谷川は、嬉しいです」

「ハセさん、白々しいわ」

 俺は冷静に言って、残りのマフィンを口に入れる。


「いいじゃん、私の部屋、使いなよ」

 雪菜が言う。


「は?!」

 俺は振り向いた。

「私の部屋あいてるでしょ。奏くん、そこに入れば?」

「よろしいでしょうか」

「いやいや、豪邸が目の前にあるじゃん?」

 両方の指を立たせて、豪邸の方を指さす。

「奏くんは今【日常】がほしんでしょ」

 雪菜は自分のマグカップを棚から出して、ハセさんの元に持って行く。

 ハセさんがタプタプとコーヒーを注ぐ。

 真っ黒な海。

 雪菜はそれを口に運んだ。

「とりあえず落ち着くまで、日常を取り戻せるまで、一番日常に近い了太と暮すのは、悪くないと思うけど」


 日常。


 チラリと俺は奏を見る。

 いつも同じ服装をしているが、奏の頬の線は細く、なにより机に置かれた指は細い。

 表情も、いつもより、しっかりしようとしてしている、意思をもった顔だ。

「うーん……」

 なんか、可哀想になってきた。

 いや、可哀想という感情が正解かどうか、分からないけど。

「私の部屋の荷物、どうしようかな」

 雪菜は机に置かれたパンを口に放り込んで言う。

「よろしいですか?」

「よろしいも、何も……」

 後ろを振り向くと、オカンと華英は、無言でカクカクと頷いている。

 まあ、こいつらも日常になれる必要があるな。

「おはよー…なんの騒ぎ?」

 やっとオトンが起きてきた。

「オトンの部屋に私の荷物入れるから」

「は?」

 まだ寝ぼけているオトンの横を抜けて雪菜が二階に消える。

 まあ、奏は毎日遊びに来てるんだし、あんまり変わらない気がする。

「パンも運ばせますから」

 俺はぐるりんと振り向いてハセさんを見た。

「マジで?!?!」

 俺はこのパンがマジで大好物なんだ。

「食事も、お望みなら」

「助かりますうううう」

 今度はオカンが叫ぶ。

「いや、俺は二宮オカンの料理、すげえ好きだけど」

 奏が言う。

「ホントに~~? 奏くんってば、上手ねえ~」

 オカンはいつものように奏に言う。

 ほら、奏は奏だろ?

「奏」

 俺は呼ぶ。

「何、了太」

「お前、もう、俺じゃねーだろ」

 とりあえず気になってたことを言ってみる。

「え、ダメ? マジか、そうだよな」

 二階から戻ってきた雪菜が言う。

「せめて、私、にしよっか。これから華英が厳しく奏くんを見ないと」

「えーー……ええーーー……えーーー……」

 華英は顔を引きつらせている。

 なんだ、麗しいとか言っといて、嬉しくないのか。

 それにこいつには無理だろう、半分以上男だ、俺以上に。

 俺はにんまりしながら言った。

「ほら、奏、私って言えよ」

 なんか面白くなってきた。

 俺にほうが、ずっと【理想の女】を持っている。

 悪魔のような女に囲まれ続けたのだ、当然だろう。

「わかった」

 奏は椅子から真っ直ぐ立ち上がった。そして顔を上げる。




「これから私、ここでお世話になります。よろしくお願いします」



 俺がにまにましたのは、まったくイヤミにならない。

 鮮やかに、美しく、奏は挨拶した。

 なんだよ、いいじゃねーか。

「キャーー、よろしくね!!」

 華英とオカンは奏と握手した。

 なんなんだ、本当に、なんなんだ。


 そんなこんなで、奏は我が家に住み着くことになった。

 何も変わらない?

 そんなの俺の勘違いだった。

 だって今まで俺の家に来ていたのは、男の奏だったから。

 俺は本当に甘かった。



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