僕らの未来
「俺って、頭、カッチカチ?」
七月に入ると最終進路相談が始まる。
放課後の教室。
俺と浜崎と川村は、面談の順番を待っていた。
クーラーが切られた教室はクソみたいに暑くて、みんなズボンを膝の上までめくっている。
女子が居なかったら、ズボンを脱ぎ捨てたい。
「了太は、頭でっかち。思い込みが激しい。考えすぎ」
浜崎が文庫本を読みながら言う。
おいおい、酷いな。
「頭が固い……とは思うけど」
うちわでパタパタ扇ぎながら、川村も言う。
美穂ちゃん、今日の帰りアイスでもたべない~~?
遠くで匠がクラスメイトをナンパしている。
「頭からっぽって……良いよな」
「いいか?」
「同意しかねる」
二人は同時に言う。
俺みたいに脳内でグルグル考えてばかりより、良い気がしてしまう。
黒板にぼんやりと書かれた進路相談の文字を見る。
奏が性転換したのは、四月。
「もうこんな時期か……」
「了太は、専門学校だっけ」
川村が言う。
「うん、決めたわ」
俺は来年から製菓の専門学校に通うことにした。
きっかけは小早川家のお菓子だ。
とにかくあの家のお菓子とパンが旨くて。
先日ついに小早川家、製菓担当の安堂さんに会わせてもらった。
物腰柔らかいおじいさんで、俺を調理場に入れてくれた。
部屋中が良い香りで、その手から生み出されるお菓子やパンの美しさに感動しっぱなし。
奏は「うちに嫁入りするか」とずっと言っていたけど、それは無視して。
安堂さんは東京に本店を持つ職人さんで、そっちは娘に譲って、昔から知り合いの小早川家で静かに暮らしている……という話だった。
ここに通えばいい、教えるよ? と安堂さんは言ってくれたが、何の知識もなく出入りするのは迷惑だと思った。
だから安堂さんに紹介された製菓の専門学校に通いつつ、たまに小早川家の調理場に勉強に行かせてもらう。
俺は小者なので、自分の店とか大それた夢は持たない。
とりあえず、大好きな安堂さんのお菓子をマスターして、自分で食べるのが目標だ。
「そんなに旨いの? 今度持ってきてよ」
川村も興味津々だ。
「ていうかさ、今年の文化祭。安堂さんに基本を教えて貰って、カフェやらないか?」
俺は提案してみた。
実はずっと思ってた。
あんな美味しいパンとお菓子が、本店と小早川家にしか流通しないなんて、もったいない!
「なんだよ、今年はドールズのコピーしようと思ったのに」
川村が立ち上がってエアギターを始める。
ドールズというのは、フランス人形のような衣装とメイクをした男達がギターを振り回しながら夏メロを歌うクソバンドだ。
「いや、カフェにしよう」
静かに文庫本を読んでいた浜崎が言う。
「カフェにしようよ、なあ」
「何の話?」
先に面談を済ませた奏が戻ってきた。
「今年の文化祭。安堂さんに教えてもらってカフェがやりたいなーって、言ってたじゃん?」
奏には相談済みだ。
「ああ、安堂さん気合い入って、高校生でも簡単に作れるレシピ、何個か書いてたよ」
「マジかーーー! 今日取りに行く!」
「いいよ、行こう」
最近は奏も【日常】という意味では慣れてきて、二人で小早川の家に行くことも増えた。
まあ調理場とハセさんの部屋がメインだけど。
「ドールズやろうよー」
川村がまだ言っている。
「ドールズって……あれ?」
奏が表情を眉間に皺を寄せる。
「夏メロギターのフランス人形」
「ひとりでやれよ!」
奏が椅子に腰掛けて笑いながら言う。
「奏なら似合うって!!」
「衛藤さんに頼めよ」
「殺される」
衛藤さんがフランス人形メイクをしてギターで川村を殴っている絵が浮かぶ。
「いい……」
「間違いなくいいな……」
妄想が止まらない。
三年生、最後の夏が始まる。
「今年も夏祭りがくるな……」
帰り道、俺たちは自転車をとめて、川沿いの木陰でアイスを食べていた。
「いいじゃん、川村。今年は衛藤さんがいるから」
「来てくれるかな……」
川村はガリガリ君を食べながらうつむいた。
「暗い! ものすごく暗い!」
匠がつっこむ。
この地域の夏祭りは、変なイベントがある。
高校一年生から三年生の男子が、沿道にいる人たちに、ひたすら水をかけられながら神輿を担ぐのだ。
厄よけとして長く続いている行事らしいが、天気が良いならまだアリだけど、夏だって寒い日がある。
去年がまさにそれで……沿道の人たちはヤケクソになって水をかけてくるけど、俺たちは寒くて死にそうだった。
「今年で終わる……来年からはかける側に回れるんだ……」
浜崎はブツブツと言う。
気持ちはよく分かる。
確かに見ていると盛り上がるけど、とにかく寒い。
「やった。今年から出なくていいじゃん」
奏が雪見だいふくをミョーンと伸ばして食べながら言う。
「そうか!!」
俺たち四人は同時に振向いた。
「ずるい、奏もやれ!」
匠が叫ぶ。
「そうか……女の子だもんな……」
と浜崎。
「うらやましいな……」
と川村。
正直俺も同意見だ。
あの水かけイベントは勘弁してほしい。
なんで男だけなんだ。
じゃあ女もなんかやれよ! と思うが、女の子は別班で神社さんに食事作りとかあるんだよなー、確か。
どっちもこっちも面倒くさい……。
「衛藤さん、来てくれるって!」
彼女が居るとゴール地点で待っていて、タオルをかけてくれる。
告白のチャンスとしても有名で、女の子が好きな男の子のために、タオルをもって待っているのも、この祭りあるあるなのだ。
だから彼女がいないヤツは、誰かタオルをもって待っててくれるんじゃ無いか?! と期待している。
まあ、ほとんどあり得なくて、凍えながら来た道を帰るんだけど。
これがこの街の男子ヒエラルキーを決定づける恐怖の水かけ夏まつり!!
「奏あ……タオル持って来てくれよお……」
匠が泣きつく。
「断固断る」
奏はにっこり微笑む。
「僕は彼女が来てくれるから」
「えええええ?!」
みんなが一瞬にして浜崎を見る。
「お前、いつの間に彼女出来たの?!」
「春」
「しらねーんだけどーーー!!」
大騒ぎが始まった。
俺と奏は、川辺にある石を拾いに出た。
水切りが昔から好きだ。
まず薄い石を探す。
小学生のときは、奏と毎日川辺に通って、石を拾いまくった。
投げることより、石集めにハマって、随分遠くまで河原を歩いたり。
「お、了太、これ良くね?」
薄い石を見つけて、奏が微笑む。
「俺だってもう見つけてるもんねー」
「よし。せーの!!」
俺たちはステップをふみ、一斉に川に石を投げる。
1.2.3……!
俺の石は3回跳ねて沈み、奏の石は4回跳ねて沈んだ。
「へぼ!」
「もっと探そうぜ」
河原を歩く。
奏の伸びてきた髪の毛がフワフワと風に揺れている。
「奏は、進路、決めたの?」
俺は、なんとなく聞きにくかったことを、後ろ姿の奏に聞いた。
小早川家は、高校三年生まで自由で、そこからは東京にいく。
親の仕事を手伝いながら、いずれ取締役……というのが、決まりだった。
でも、奏は女の子になった。
だから第一継承者は姉の由貴子さんになり、由貴子さんは最近東京で仕事を始めたらしい。
あの家にも、ほとんど居ない。
だったら奏は……?
気になってたけど、ずっと聞けなかった。
「私、徳広の薬学部に推薦決めた」
背中を向けたままの奏が言う。
「え? 徳広……ってこっちじゃん。ていうか、薬学?」
あれ、何か聞いたことあるぞ。
「竹中と同じだけど」
「ええええーー……」
そうだ、なんか聞いたことある大学名だと思ったんだ。
「あそこは財閥系の大学だから、ウチは金さえ出せば入れるし。それに私は自分の病気に興味があるから」
「え、その理由で……?」
奏が定期的に病院に通っているのは知っていた。
でも、病気自体を気にしてるとは、俺は思っていなかった。
「私自体が貴重なサンプルなんだ。それに、もし気軽に性転換できたら、世の中面白くないか?」
ふと海翔先輩が浮かぶ。
「まあ……したい人は一定数いるだろうな」
俺は河原の石を拾って、軽く投げる。
ポチャンと石は水に沈む。
「竹中は大丈夫だ。あいつは、親元から逃げる理由に私を使っただけだ」
それは何となくわかる。
教室でも竹中は女の子と戯れてるだけで、俺たちにはあまり近寄らない。
まあ、ありがたいんだけど。
「だから、来年からも、よろしくね」
奏は石を拾って、勢いよく投げた。
1.2.3.4.5.6……と石が跳ねた。
「やり!」
奏は振向いて、微笑んだ。
「……嬉しいよ、なんかほっとした」
俺は言った。
奏はクルリと背を向けた。
「私が居て、嬉しい?」
石の上をフラフラと歩き始める。
「嬉しいよ、本当に」
俺は後ろから奏の頭に手を乗せて、ワシャワシャと撫でた。
奏が、その手を掴む。
掴んで、離さない。
俺も、ふりほどかない。
「手……つないで、いい?」
「……足元、気をつけろよ」
俺は流木に引っかかりそうになりそうな奏を、手ごと引っ張った。
そして、手をつないで、歩いた。
俺は緊張すると、右手が熱をもって熱くなる。
奏と手をつなぐと、右手の指先が痺れるほど、緊張していた。
でも不思議とここち良くて、ずっと手を離さないで、俺たちは川辺を歩いた。
水面の反射が美しい。