特別室
「ね、奏さん、遠くに大きめの女子トイレがあるから、一緒にいかない?」
衛藤さんが転がってる奏に声をかけてきた。
最近衛藤さんが気をつかって、トイレに誘ってくれる。
帰りも前で待ってくれるみたいで、俺はとても感謝している。
「そうだな、すませとくわ」
奏は立ち上がった。
「よろしく」
俺は衛藤さんに軽く頭を下げた。
まさか黒歴史と宣言した衛藤さんが、こんなに懐くなんて。
奏の人間操作術は、半端じゃないな。
「そこのトイレ、狭くてヤバいんだよ」
衛藤さんはしかめっ面をした。
とにかく、ありがたい。
俺はトイレに付き添うことは出来ない。
でもやっぱり心配だったから。
「キャーーー、落ちた!!」
叫び声がして振り向くと、大きなネットで出来た遊具の頂上に西野さんが居た。
よく見ると靴がひとつ下に落ちている。
その高さ、10m以上。
そして右足が完全に網にはまっている。
「それに取れないーーー」
「あーあー……」
周りを見ても誰もいない。
みんな竹中と一緒にローラー滑り台に夢中だ。
ていうか、西野さんは何であんな場所に上ろうと思ったんだ?
「今行くよ」
俺は下から声をかけてマットから立ち上がった。
ネット遊具は、太めのネットが複雑に織られていて、かなり大きなテントみたいな形状になっている。
ぐるぐる上っていくと、頂上まで登れる仕組みだ。
しかし、なんでこれに?
俺は落ちていた靴を拾い、ネットを上り始めた。
どんどん視界が高くなる。
「抜けないんだけど、どうなってるの?」
西野さんが笑っている。
よく見ると、ズボンの腰の部分、装飾の紐が、ネットに絡まっている。
だからどうしてそういうオシャレな服で、こんな遊具に上るかな。
「なんでここまで来ちゃったの」
俺は言いながら上がる。
「上れるかなーって」
「しかもヒールじゃん、これ。意味がわかんないよ」
「上れるかなーーーって」
西野さんは繰り返す。
上れたけど、下りられなかったら、上るって言わないよ?
靴を片手に、なんとか上った。
靴をここまで運んできた思ったけど、靴いらなくね?
ヒールじゃなくて、靴下のが降りやすくね?
「ねえ、両方の靴、一回下に落とそうか」
「えーー? なんでーー?」
ほぼ頂上だ。
「……ああ、でも景色はいいね」
「でしょ?」
西野さんが微笑む。
西野さんは、あれだ、パンダみたいな垂れ目なんだな。
それがチャームポイントか。
いや、パンダみたいで可愛いねなんて言ったら殴られるのは華英と雪菜で勉強済みだ。
「ヒールじゃ降りられないから、脱いで」
「はい」
西野さんは反対の靴も下に落とした。
コーンと間抜けな音が響く。
俺も持ってきた靴を落とす。
そして引っかかってる部分に向かう。
ズボンが引っかかって、パンツが見えている。
「……うーん、ごめん、見えてるけど、ちゃっちゃといくね」
「キャーーーー」
西野さんが悲鳴を上げる。
こういう時はさっさとやるに限る。
色々言うと、更に叫ぶんだ。
見ると怒るくせに、見られるような状態でウロウロして、キレる。
それが女って生き物。
俺の結論だ。
さっさと紐を緩めて、ズボンを元に戻す。
パンツは白かったけど、あれはただの布。布、布、布!!
華英の伸びたパンツを思い出せ……よし、暗示終了。
「取れたよ」
「ありがとう」
華英の伸びたパンツも、たまには役に立つ。
西野さんは足を戻した。
風が吹き抜ける。
遠くの山並みが綺麗に見える。
「……ほら、海!」
西野さんが指さした方向に、小さく海が見えた。
「おお、見えたね」
俺も頂上に座ったまま言う。
「見えるかなーって」
「……今からいく温泉って、海沿いじゃん?」
西野さんがむくれる。
すると更にパンダに似ている。
言わないけど。
「それとこれは、違うでしょ」
そうだろうか。
きっと同じ海だが、まあいいや。
「とりあえず下りよう」
「うん」
下を見ると、奏と衛藤さんが見える。
トイレから戻ってきたようだ。
「おーーい」
手を振っている。
「何やってんのーーー!」
衛藤さんが笑う。
「ごめん、私、ひっかかって! 靴、下!! 取ってーーー!」
西野さんが叫ぶ。
「ぎゃははは、バカなの?!」
衛藤さんが笑って、靴を取りに行く。
俺が奏に手をふると、奏は小さく微笑んだ。
バスは今度は山を下りて温泉に向かう。
俺と奏はスマホで西野美和湖の曲を聞いていた。
俺は体を使ったせいか眠くなり、うとうと……。
お腹がいっぱいで、西川美和湖の歌。
あー……きもちがいい。
目がさめると温泉に着いていた。
みんなが鞄を持って降りていく音で目が覚めた。
「おお、ごめん」
俺は完全に奏の肩に頭を乗せていた。
「いいよ」
奏は静かに答えた。
窓の外に、見事な滝が見える。
バスから降りると、細かい水しぶきが飛んでいる。
空気が澄んでいて、気持ち良い。
これがマイナスイオン。
最近色々ありすぎて疲れた。
超癒やされます……。
そこに輝く【滝修行できます】という文字。
「よし、俺が打たれるか」
はいきました、やっぱり竹中。
キャーーーー! と女の子集団。
何がキャーーだよ。
滝だよ?
そんなの見たいの?
中原先生も一眼レフを片手に準備万端だ。
「いいねえ!」
ありなの?
先生まで竹中にやられちゃったの?
「絶対やりたくねえ……」
俺はベンチに座った。
奏も俺の隣に静かに座った。
罵倒しそうなのに、何も言わない。
「……どうした? 酔った?」
奏の顔色が悪いようにみえて、顔を覗き込んだ。
「いや、ちょっと眠いかな」
「ごめん、俺が重くて寝られなかっぐええええええ」
襟元を引っ張られて、振り向くと竹中。
俺、最近服ばっかり引っ張られてないか?
「レッツ滝修行」
「何言ってんだ、お前!!」
俺は叫ぶ。
「人生において滝に打たれる必要が有るときが、二度ある。今と、今だ!!」
「お前、本格的にアホだろ」
竹中は圧倒的な体格差で俺を滝修行受付に引きずり込む。
「奏ーーーー!」
奏は苦笑いして俺に手を振っている。
竹中、お前、本気かよ?!
受付内にある狭い部屋に通される。
「はい、これに着替えてね」
渡されたのは、白い胴着のような服。
「盛り上がる~~」
竹中はポイポイと服を脱いで、着替え始める。
俺はその隙をついて、逃げだそうとする。
「おえええええ」
また襟首掴まれた。
俺は猫じゃねーぞ!!
「はい、着替えようか」
「一人でやれよ!!」
「人生ネタを沢山もってるほうが、モテるよ」
「いや、モテなくていい」
ネタないとモテないなら、モテなくていい。
平凡で平和が一番いい。
「これ温泉水だから。寒くないよ。少しだけ入ってみたら?」
受付の人に促されて、俺は結局着替えることになった。
俺は決めた。
帰ったらお前がうちの高校にいるって、由貴子さんに知らせる。
由貴子さんはコンピューターおばあちゃんなんだぞ!!
一歩水に入る。
……ん、確かにぬるい。
これは温泉だ。
「イヤッホーーー!!」
竹中がザバザバ歩いて滝に向かう。
「竹中くーーーん!」
川の向こう側。
みんなが見ていて、女の子集団が叫んで手を振っている。
「行くよーーー!」
竹中は一気に滝の中に入る。
ババババと派手な水音と水しぶきが飛ぶ。
「ギャーーーー新感覚ーーーーー!」
竹中が叫ぶ。
俺はその叫び声を聞いて足を止める。
俺、別に人生において新感覚求めてないし。
「いけーーー! 了太ーーー!」
振り向くと匠と奏と衛藤さんと西野さんが笑って見ている。
なんだよ、おもしろがりやがって。
「二宮くん、ファイトーー!」
一眼レフをもった中原先生も笑っている。
もう……行けばいいんだろ。
滝に近づく。
おおおお冷たい……いや温かい……?
肩にドドドドと水が触れ始める。
イタタタタ!!
「痛いじゃねーか!」
「新感覚ーーーー!」
竹中は叫び続けている。
「冷たっ!! いや、熱っ!! いや、冷たっ!! やっぱり熱い!!」
どうやら上に源泉があって、それを水と混ぜて流しているのだが、超熱いお湯と水が交互に落ちてくる。
確かに間違いなく新感覚だ。
「し……新感覚」
不覚にも同意だ。
「ぎゃはははは!! でしょ?! 新感覚でしょ!!」
竹中は爆笑している。
俺も苦笑い。
中原先生がバシャバシャ写真を撮っている。
もう……なるようになれー……。
俺と竹中は、着替えに戻った。
「な? 面白かっただろ?」
竹中は興奮している。
「……面白かったか、つまらなかったか、と聞かれれば、まあ、面白かったかな」
「だろーーー?」
竹中はニカッと笑う。
コイツは本当に人生イージーモードだな。
「……由貴子さんに連絡は?」
意地悪で聞いてやる。
「もう見つかったよ」
「ぎゃははは、ざまーみろ」
思わず言う。
「でも、すごい根性じゃね? あんな目に遭わせたのに、また連絡してくるなんてさ」
「コンピューターおばあちゃんみたいになってるらしいぜ」
「なんだそれ」
竹中は心底不思議そうな顔をした。
「お前、しらねーの? 女子に見せて貰えよ」
「オッケー!」
竹中はノリノリで更衣室から出て行った。
ああ……滝に打たれたからか、心底疲れた。
もう温泉には入った。
寝たい……。
外に出ると、奏が居なかった。
「あれ、奏は?」
衛藤さんが近づいてきた。
「個室で待ってる」
俺はグインと高速で首を動かして、衛藤さんを見た。
衛藤さんは真顔だ。
「奏が?」
「約束したんでしょ?」
滝が水を落とす音が響く。
小さな水しぶきが頬に当たる。
心臓が脈打ち、痛い。
マジか。
……マジだよな。
「あっち。個別に予約してあるから」
指さす方向には、特別室という表示が見える。
「……マジか」
「待ってるよ、奏さん」
「……マジか」
「早くいけ」
衛藤さんに背中を殴られて、ふらりと動く。
動くというより、反動でよろめいた。
それでも動けなくて、衛藤さんを見る。
衛藤さんは腕を組んだまま動かない。
「ちゃんと話、聞いてあげて」
衛藤さんは、俺の目を真っ直ぐ見て、言った。
俺は目だけで頷いて、特別室に向かった。
心臓が痛い。