君の声を聞きながら
遠足の日になった。
それは見事な五月晴れで、一年で一番きもちがいい時期だ。
俺も奏もオカンが作った弁当を鞄に入れて、バスに乗り込んだ。
一番後ろのど真ん中。
竹中が座っていて、後ろはぎっちりと女の子で埋まっている。
まさに竹中ハーレム!
「おはよう、小早川さん」
「……おはよ」
奏は明らかに冷たい視線を送った。
まあ、正解な態度だろう。
竹中はリレーで完全にヒーローとなり、クラスの半分以上の女子が竹中落ちした。
写真判定で?
あんなギリギリの勝ち方で?
えーー? と俺と奏はさんざん笑ったが、女の子に囲まれて静かにしててくれるなら、それが一番良いという結論に至った。
俺と奏は前方の席に座る。
奏が窓際、俺が通路側だ。
これもいつもの事。
なぜか俺は、奏が左側にいるほうが落ち着く。
「おはよ」
後ろから声をかけられた。
振り向くと衛藤さんと川村が座っていた。
何を吹き込んだか知らないが、衛藤さんと奏は、すっかり仲良しだ。
女子ヒエラルキーの一番上に立つ衛藤さんが奏を女として許した。
ドミノ式にクラスの女子は奏に慣れ、今じゃ普通に会話している。
奏曰く「全て作戦」だそうで。
……いい、もうなんでもいい。
残り少ない高校生活が普通に過ごせれば、それでいい。
「竹中ハーレム、半端ないな」
川村が言う。
「写真判定でなあ」
奏が続く。
「超ギリギリだったじゃんねえ」
衛藤さんも言う。
一緒に走った三人が言うと重みが違う。
しかし三人は続けていう。
「とりあえず勝てたから、いいわ」
全くその通りだ。
レッツ温泉!
「おはよ」
通路を挟んで俺の隣。
衛藤の友達、西野琴子が座っていた。
「おお……おはよう」
三年間同じクラスだったけど、あまり話したことがない子だった。
キャハハハハ! と後方から大きな笑い声。
本当にうるさいな、竹中ハーレム。
西野さんはひとりで座って文庫本を読んでいる。
「竹中ハーレムに興味はないの?」
会話のきっかけに、俺は聞いた。
「竹中くんのおかげで旅行に行けるのは嬉しいけど、あんまり興味ないな」
西野さんは両肩をすくめて微笑んだ。
「それが普通の感覚だろ」
隣の奏がいう。
「正常だ」
俺の言葉は後方の女の子達の笑い声でかき消される。
竹中よ……転校してきて大正解だな。
でも正直俺は、今の状態を由貴子さんに知らせたくてたまらないよ。
バスが動き出した。
「……そういえば、由貴子さん、どうだった?」
俺は奏に聞いた。
奏はこの旅行の準備のために、何度か家に戻った。
「ああ、コンピューターおばあちゃんみたいになってた」
「は?」
俺は思わず吹き出す。
「こう、部屋中にパソコン並べて、ガタガタガタガタ調べごとしてた」
コンピューターおばあちゃん~、コンピューターおばあちゃん~。
脳内で映像と共に絵が動き出す。
あれって編曲坂本龍一なんだよなー……じゃなくて!
「大丈夫なのか、それ」
「すげえ元気だったよ、うん、色んな意味で」
「あはは……」
怖すぎて泣ける。
「竹中がいること、もう知ってるのかな」
小早川の情報網があれば、一瞬だと思うけど。
「さあ、どうかな。あんなフラれかたして、まだ執着を見せるのは……由貴子は嫌がるんじゃないか?」
「えー、だってオールユーザーメール送信でしょ?」
スマホパスワード勝手に解除してメール送るパワーがあれば、何でもしそうだ。
ハッキングが出来れば何でも出来る!
現代のストーカーはひと味違う。
バスがサービスエリアにつく。
俺たちはこういうとき、一番最後にゆっくり降りるタイプだ。
みんなが降りるのを待つ。
俺たちの後ろの席から、衛藤と川村が、手をつないで降りていく。
俺と奏は、顔を見合わせる。
「……これは、リレー効果でキスくらい行けたんじゃね?」
俺は小さな声で言う。
「距離感、縮まってるな」
奏も椅子に体を埋めながらいう。
奏。きょうは外の公園で遊んで弁当を食べるので、ズボンを履いてきている。
でも形はスリムで、今まで履いていたズボンとは明らかに違う。
それにくるぶしが見えてる、少しスッキリとしたデザインだ。
上もべージュのシンプルなカットソーだ。
これもこの前店で買った商品だ。
首元がスッキリ見えて、よく似合ってる。
「しかし衛藤もカッチカチだな」
奏と俺はバスから降りる。
駆け抜ける風が気持ちいい。
「いやー、竹中みたいにスッカスカより良くね?」
「まあな」
俺と奏は自然にアメリカンドックの売り場に向かう。
なんだろう。
俺たちは旅行といえばアメリカンドックなのだ。
小早川の旅行に何度も同行させてもらった。
車の中には高級なおやつが溢れてるのに、なぜか俺と奏はアメリカンドックを買って食べる。
なんでパーキングエリアで買うアメリカンドックは旨いんだ。
二つ購入してバスに戻る。
この外がカリカリで中がしっとり、そして天下無敵のウインナー。
あー、最高。
「あ、買ったんだ」
俺の横の席に、西野さんが戻ってきた。
手にアメリカンドックを持っている。
「なんか、美味しいよね。家でも作るけど、ホットケーキミックスだと、こうならないんだよね」
へえ、西野さん、料理するんだ。
実は俺も家でアメリカンドックを作ったことがある。
「……爆発しねえ?」
西野さんが振り向く。
「全部分解された!」
油の温度が低かったのか、高かったのか分からないが、俺が作ったアメリカンドックは油の中でバラバラになった。
「そして油に浮くウインナー……」
思い出しても悲しい。
後ろで勝手に待っていた華英に蹴飛ばされた。
「あははは! 超わかるよ」
西野さんが笑う。
おお、こんな風に女子のクラスメイトと話せるのは珍しい。
俺は常に奏の添え物だから。
いや、それに何の文句もないし、その方が楽なんだけど。
「おえ!!」
服を引っ張られて、首が絞まった。
奏が俺の服をグイグイ引っ張っている。
「なんだよ!」
「ケチャップ」
「ああ、ごめん」
俺の皿に山盛りのケチャップを持ってきていた。
奏はアメリカンドックをボチャリとケチャップの海に落とした。
「つけすぎだろ!」
「これくらいで丁度いい……」
奏は口の周りを真っ赤にして食べ始めた。
「おいおい」
子供かよ。
俺は鞄からウエットティッシュを出して、奏に渡した。
「了太くん、お母さんみたいだね」
隣で西野さんが笑う。
奏は再びアメリカンドックをケチャップに落とした。
「おい!」
食べ物で遊ぶな!
バスは俺たちを乗せて大きな公園へ向かう。
お弁当を食べる公園に着いた。
ここはアスレチックや大きな滑り台がある公園で、山の上の方にあるので眺めも最高だ。
バスでくねくね上がって来ただけのことはある。
「おおーー、気持ち良い」
俺と奏は芝生にマットを引いて転がった。
暑くもなく、寒くもなく。
最高の季節だ。
思いっきり空気を吸い込む。
少し濡れた芝生の香り。
二時間の自由時間のあと、温泉に向かう。
ああ……リレーの勝利万歳。
……いや、待てよ。
温泉は、奏と入るのか?
今まで意識的に忘れてて、すっかり無いことにしていたけど、急に心臓がどきどきしてきた。
奏は本気なんだろうか?
横に転がる奏をチラリと見ると、俺に気が付いて、にっこりと微笑んだ。
そして目を閉じる。
「気持ちいいな」
「……ああ」
お願いです、無かったことにしてください。
とりあえず、直前まで話題に出すのは止めよう。
今はこの五月の風を満喫だ。
パーキングエリアでアメリカンドックを食べると分かっていたので、お弁当は少なめにした。
とにかく俺たちは食が細い。
朝ご飯をちゃんと食べたら、昼過ぎまでお腹がすかないなんて、ザラだ。
小さなおにぎりと、卵焼きに、肉団子に、プチトマト。
それで十分だ。
奏も同じ内容。
なんだか兄弟みたいで楽しい。
作っているオカンも「こんなの華英の二分の一よ?!」と叫んでいたが、それでいい。
というか、華英はどれだけ大きな弁当箱で食べてるんだ。
俺たちは食事のセンスも似ているし、好きなものもそっくりだ。
おにぎりは昆布。
卵焼きは甘め。
肉団子はアッサリ。
プチトマトは二つ。
口の中に卵焼きを入れる。
ほんのり甘くて、美味しい。
あーー、平和だーー。
俺たちはボンヤリと山を眺めながら、お弁当を食べた。
「ヨッシャーーーー!!!」
後方から悲鳴が上がる。
かなり長いローラー滑り台があるのだが、それを一番後ろに竹中、前に四人くらいの女の子を並べて、列になって降りてきている。
「キャーーーはやーい!」
女の子たちの悲鳴が響く。
俺の気持ちは、今フラット。
竹中も許せる。
「新曲入れてきた。聞こうぜ」
奏がスマホからイヤフォンを出す。
「いいな!」
西川美和湖がツアーに向けて新曲を出した。
片思いのラブソングなのだが、これがまたいい。
イヤホンを、右側が俺、左側が奏が耳に入れて聞く。
曲が始まって、奏が軽くハミングする。
竹中たちの叫び声が遠ざかる。
「君が君じゃなくても、私は君を~、探しー、続けるー」
耳元に届く奏の声。
女の子になってから、奏の声はより高く、透き通るようになった。
俺はその声を、目を閉じて聞いた。
今すぐ眠りたいくらい、落ち着く。