性転換病? 女になった奏
ドアを開けると、突然床がふかふかの絨毯になっていた。
ここからは特別室ということか。
さすが小早川家……。
ふと奥を見ると、見たことがある人が座っている。
奏のお姉さん、由貴子さんだ。
真っ黒髪の毛をひとつに束ねていて、部屋着のような簡単は服装をしているが、なぜか美しい。
「こ、こんばんわ」
「了太さん」
由貴子さんが立ち上がる。サッと立ち上がる姿も美しい。
俺は慌てて頭を下げた。
「奏、了太さんにしか会いたくないって」
「なんですか、それ」
奏は何を言ってるんだ。
「こんなこと押しつけて悪いんだけど……とにかく、お願いします。あの子、私には出ていけとしか言わなくて」
由貴子さんは長いまつげをふせた。
その表情に疲労が見えて、俺は無理矢理笑顔を作った。
「任せてください」
由貴子さんは伏し目がちに優しく微笑んだ。
促されて、部屋に向かう。
一番奥にある特別室と書かれた部屋。
入り口にはセキュリティーがある。
さすが小早川家(二度目)。
由貴子さんが触れるとドアが開き、そこにベッドに座る奏が見えた。部屋は間接照明で、かなり暗い。
その姿は、いつもと何も変わらない奏に見える。
「じゃあ、私は出るわね」
由貴子さんは奏に声をかけて、外に出た。
カシャンと自動ロックの音がする。
俺はつかつかと奏に近づいた。
「お前、大丈夫かよ」
奏は何も言わない、動かない。
「何だったの? しかし、残念だったな、コンサート。とりあえず生きてて良かったわ」
俺は手土産のパンフレットや、グッズを布団の上に置いた。
「ほれ、土産」
奏はそれを手に取って見る。
俺はすぐ近くにあった椅子に座る。
「またチャンスはあるさ、夏にもツアーあるって。ていうことは、アルバムも出るってことだ」
掌を奏に見せながら、顔を覗き込む。
いつもならここで手を叩いてイエーイ! だが、奏は何も言わない。
「……奏? どうしたんだよ」
見ていたパンフを閉じて、奏が顔を上げた。
部屋は電気が最小限にされていて、奏の顔は半分影が落ちている。
奏の顔は、白く見えた。
「やっぱ顔色悪いな、大丈夫か」
「俺、女になった」
「女に。へーー。……へ?」
俺は袋の中から限定のうちわを出しながら、それよりもこれ見ろよ限定品だぜ? と言おうと思いながら、は? と聞き直した。
「何? もう一回言って」
「俺、女になった」
「いや、だから、何ソレ」
本気で何を言っているのか分からない。
無言で見つめ合う。
ピッ、ピッという無機質な音だけが響く。
「何いってるんだ、お前」
奏は無言で、俺の腕を掴んだ。
そして、自分の胸にそれを誘う。
俺が座っていた椅子がガタンと音を立てる。
俺の掌にふわりと柔らかいものが触れる。
姉貴たちが、ほれほれ柔らかいぞ~~と乗ってくるから知ってる。
そこには紛れもない、胸があった。
俺は慌てて手を引く。
そして奏を見る。
「……なんだこれ」
「病気だって、性転換病」
奏は俺をまっすぐに見ている。
「は……?」
開いた口が塞がらない。ただただ、は? と言うしかない。
「原因不明、思春期に一定数の男に見られる奇病」
「奇病」
言葉を繰り返す事しか出来ない。
渡された資料のようなもの。
性転換病とある。
めくろうとしても、それは紙1枚で、裏にも何も書かれてない。
要するに、情報が少ない。
俺はその紙を見つめた。
「なんだよ……これ……」
「家を出ようとしたら、倒れて……了太ごめん」
奏は頭を下げた。
了太、と俺を呼ぶ声。
いつもの奏で、いつもの奏じゃない。
いつもの奏より、間違いなく声が高い。
「ちょっとまてよ、奏……声も変わったのか……?」
俺は奏の声が好きで、歌声が好きで……。
奏はあごを上に向ける。
そして言った。
「のど仏、ないだろ」
そこには真っ直ぐに細い、首があった。
「まじで?」
「大マジ」
奏は首を元に戻した。そして俺の目の前に掌を広げた。
「指も細い」
そこには細く長い指。
爪のカタチも丸くて長い。
関節もゴツゴツしてない。
「奏、なんだよ、それ」
俺は現実を受け入れられない。
でもこんなの……。
「女の指だ。姉ちゃんより、綺麗なくらい」
「いやいやいや……」
俺は何度も首をふる。
「何を言ってるんだ、奏」
「俺も信じられない。でも、もう事実なんだ」
「何言ってるんだ」
目の前にいるのは、いつもの奏で、でも奏じゃない。
俺が10年以上、一緒にいた奏じゃないのか?
お前は、誰なんだ。
さっきまで当たり前にそこにいた奏が、全く知らない人に見える。
俺は無言で奏を見つめた。
ベッドに上には西川美和湖のパンフレット。
奏はそれをもう一度開いた。
「……【あの雲の向こうに】、生はどうだった?」
奏はぽつりと言う。
そんなことはどうでもよくて、俺は、俺は……。
「聞きたかったなあ、生で」
俺は何も答えられない。
ピッ、ピッ…という機械的な音に広い部屋は支配される。
すう……と奏の息を吸い込む音がする。
「雲の、先には~~あなたがーいてー…」
奏が歌い出した。
広い部屋に、妙にこだまする。
でもいつもの声じゃない。
でも、この歌い方は、間違いなく奏のものだ。
これは奏の歌い方だ。
女の声になったから? 少し高音が高めに出ていて、でもやっぱり綺麗な声で。
ブレスの場所も同じで、全部同じで。
「だから、わたしは、いきていく」
奏は、俺の手を強く握った。
これは奏なんだ。
ほんとうに奏なんだ。
「……奏、お前、どーすんんの……?」
俺は完全に苦笑といった顔で、奏の顔を見た。
「やっと認めてくれた」
奏はにこりと微笑んだ。
それはいつもの奏の笑顔で、それでもいつもと違う笑顔で。
「どーするんだよ……」
「ほんと、どーしよ。とりあえず、チラシ全部見せて? あー、行きたかった。うちわ、いいね」
奏はそれを手に取って、写真を見た。
「西川美和湖、どうだった? 可愛かった? てか、見えた?」
この話し方、間違いない、奏だ。
「奏……」
「今度は一緒に行こう。夏?」
俺は黙り込む。
夏、そうだ、ツアーがあるって……。
鼻歌を歌いながらチラシやパンフレットを見る奏を見る。
奏は、顔のゴツさが消えて、よく見ると本当に女の人に見えた。
女の子の奏と俺が、一緒に……? いや、友達で居られるのか?
「了太、ラジオが始まる!」
時計を見て奏が言う。
「出して出して! 俺、スマホ、ハセさんに渡したままだ」
「あ、ああ……」
俺はポケットからスマホを出して、ラジオアプリを立ち上げた。
いつものこの時間に西川美和湖はラジオをしている。
今日はライブがあったから、尚、テンションが高くて可愛いだろう。
こんばんわーー、西川美和湖ですーー! 今日のライブどうだったかな?
その声に
「あーー、行きたかったですーー」
と奏が答える。
いつも言う。
そう、いつも奏は言う。
いつもライブがあった夜は俺の部屋にきて、一緒にラジオを聞く。
いつもの奏だ。
じゃあ俺がいつもの俺じゃないのは、きっと違う。
奏は、奏だ。
「夏は、一緒に行こう」
俺はハッキリと言った。
「今度は俺が当選しないかなーー」
奏は嬉しそうに言う。
俺、じゃないよな。
思うが、言えない。
でも奏が私って言うのか?
「ああ、もう……」
俺は小さく首を振った。
奏が無事だった。今日はそれで良しとしたい。
いや、もちろん良しじゃないけど。