由貴子さんの闇
学食へ向かう渡り廊下。
奏はまだ注目の的なのに、高校三年の春に転校してきた竹中朝陽、イケメンで金持ちとなると、珍獣様ご一行レベルの扱いだ。
食券売り場で並んでいると、俺たちが移動するのと共に人垣が動く。
竹中は「おおー、注目されてるねー」なんて軽い言い方で、女の子に手を振っている。
そして響くキャーーという歓声。
どんどん冷えていく奏。
二週間かけて、かなり減ったのに、また元通り。
はー……。
「ここの学食は何がおすすめなの?」
竹中は奏に聞いているが、奏は完全に無視。
そよ風ふいてますか? 的な表情をしている。
俺は真ん中で奏を睨むが、完全に無視。
「ラーメンですよ、ラーメン。とりあえずラーメンで」
俺は1000円札を食券販売機に入れて、三つラーメンを買った。
なんで一番貧乏な俺が、超金持ち二人にラーメンおごってるんだ。
もう何でもいいからここから逃げたい。
それぞれラーメンを抱えて、俺たちがお気に入りの席に座った。
いつもは左に俺、右に奏なんだけど、今日はそうもいかないので、左に奏、真ん中に俺、右に竹中。
奏も何も話さないし、俺に丸投げなの?!
「あの、ここのラーメンは恐ろしく味が薄いので、胡椒を入れたほうがいいです」
「ありがとう、二宮くんって、優しいね」
「あはは……」
乾いた笑いしか、ない。
渡そうとした胡椒を、横から奏が奪って、まず自分の皿にザラザラ入れた。
そして俺の皿に戻す。
そして無言。
うぐぐぐ……奏、お前態度が赤ちゃんにも程があるぞ。
「どうぞ」
俺は胡椒を竹中さんに渡した。
「あの、公立高校の学食なので、清永学園とはちょっと違うとは思うんだけど……」
ちょっとどころか、かなり違うと思うけど。
「清永にラーメンは無いからね。むしろ新鮮だよ。でも俺はラーメン好きで、執事の湊元に買いに行かせるよ、たまに」
「へー……」
「カップラーメンと午前の紅茶。なんであんなに不味いセットなのに、たまに食べたくなるかね」
「あはは……」
困ったことに、全く理解できない話じゃない。
俺は深夜にコンビニに行って、ピザポテトと午前の紅茶ストレートを買うのが好きなんだ。
「奏も午前の紅茶、好きだよなあ? いつも家で高い紅茶飲んでるのにさ」
笑って話しかけるが、奏は無言。
ああー……まず食べよう。
竹中さんと奏が食べ始めたのを確認して、俺も食べ始める。
うん、安定の学食ラーメン。
今日はメンマ大盛りじゃないから、普通の速度で食べ終わりそう。
「うん、シンプルでいいじゃん。他のも美味しいの?」
竹中さんはすごい速度でラーメンを食べた。
「お口にあって良かったです。他のは追々試してください。全て普通よりちょっと下くらいです」
学食には悪いが、それが本音だ。
反対側を見ると、食べ終わった奏が、外を睨んでいる。
やっと口を開いた。
「竹中、何をしにきた」
目は外をみたまま、全く動かない。
スープを飲んでいた竹中さんは、れんげを置いた。
「やっと話す気になった?」
「はやく清永に帰れ。お前、あそこから一度も出たことがないお坊ちゃまだろ」
「もう俺は清永に帰れないよ。大学も徳広の薬学に変えた」
俺もそれは疑問に思ってた。
二人が話しやすいように、少し後ろに体を持って行く。
出来れば席を外したいが、奏に怒られそうだ。
「複数の女に手を出したことがバレたのか」
「そりゃ何人かとは付き合ったけど、それは由貴子さんと別れてからだ」
ハセさんも、由貴子さんとは別れた……とは言ってたな。
「ちゃんと付き合ってたのか、お前ら」
奏は庭をみたまま言う。
裏庭では、数人がバスケをしている。
「一年半くらい? ちゃんと付き合ってたよ。それは小早川家も知ってるし、竹中の家も知ってる。公表されて無かったけど、婚約状態だったんだ」
「由貴子は何したんだ」
奏の問いかけに、ふー……と竹中はため息をつく。
「俺も悪いんだ、だから由貴子さんだけが、悪くないぞ?」
「前振りはいい」
俺はあまり聞きたくない。
女の人の黒い話は、もうお腹いっぱいだ。
特に子供の頃から俺に優しくしてくれた由貴子さんの黒い話は、本当に聞きたくない。
「……俺が女友達といるのを見て勘違いしてさ、俺のスマホから情報全部抜いて女全員にメール……みたいな」
「やりかねないな、あいつなら」
これがハセさんが言ってた、由貴子さまは竹中さんが好きで好きで……の内容?
「逆に聞きたい。なんで奏は、由貴子さんならやると思った?」
「お前さー、小学校の夏に車で東京帰るとき、大きな荷物、一つ忘れただろ」
「そんなこと忘れたよ」
「車に忍び込んだ由貴子が、荷物を運び出すのを、俺は見た」
「えーー」
竹中さんは大きな声を出して笑った。
「由貴子さん、そんなことしてたの? 俺の荷物?」
「荷物が無ければ、取りにまた来ると思ったんだろ」
「俺、結局戻った?」
「宅急便で送った」
「だよなーー」
え、本当に、由貴子さん、そんなタイプなの?
「それがきっかけで正式に別れたのは、去年の冬かな」
半年近く前だ。
「ちゃんと別れたんだけど、由貴子さんは納得しなくて。うちにきて泣き出したり。俺も本当に好きだったけど……だからこそキツかったわ」
あれか。
由貴子さんが熊切あさ美で、竹中さんが片岡愛之助みたいな感じか?
これで説明したらオカンが一瞬で納得してくれそうだ。
オカンはワイドショー見ながら熊切あさ美に同情してたし。
「まあ由貴子がやらかしたのは間違いないと思ってた。だってお前は由貴子から逃げても、何の得にもならない」
「そうなんだよ。そのまま結婚したほうが良かったよ、小早川と竹中の家も、ずっと何とかならないかって言ってたけど、無理だな、あれをやられると。それと……」
竹中はスマホを取り出して、掲示板にログインした。
「これ見てみろよ、清永学園の裏掲示板なんだけど……」
そこには竹中が色んな女の子と撮った写真が、無数に上がっている。
「お前、やっぱり取っ替えひっかえ……」
奏は竹中を睨む。
「写真の日付見てみろよ、ほら、かなり前とか、最近とか。時期がメチャクチャなんだ。そして何より怖いのが、この写真、全部セキュリティーの中にあるもので、友達じゃないと見られない。ちなみに俺と写真の彼女だけのアカウントで、他に友達はいない設定だ。だから見られないはずなのに、掲示板に上がってる」
「これも由貴子さん……?」
俺はうなだれた。
もう何も驚かない。
「由貴子さんが犯人の可能性は否定できないけど、こんなことをしたら俺の株が下がって、それと付き合ってた由貴子さんの株も同時に落ちる。意味があるかな」
「いっそ一緒に炎上してくれ……レベル?」
俺は無い脳みそで考えた。
「後半は完全に本人たちが便乗して写真をアップしてる。ほら、これなんて中学の時の写真だぜ?」
少し幼い竹中さんが、女の子と微笑んでいる。
どうでもいいが、女の子がみんな可愛い。
それだけで、もう羨ましい。
「ちょっとした人生のアルバムじゃないか」
奏は鼻で笑う。
「これのおかげで、俺は清永を退学処分。好きにしろって言われたから、ここに来た」
「だから、なんで由貴子も近くにいるここに来た」
「俺、初等部半分も行けて無くて、小早川の家ですごしただろ。だからここは、俺にとって第二の故郷だし」
「いや、東京に帰れ」
「なんだよー」
竹中は笑う。
奏はラーメンの食器を持って、片付けカウンターに置いた。
俺も続く。
中庭に続くドアから外に出る。
風が一気に吹き抜ける。
奏が振り向く。
「これが一番聞きたかったことだ。どうして俺にプロポーズした」
竹中さんは歩きだす。
「まだ俺と由貴子さんの婚約を推し進めようとする両家に対する嫌がらせが8割」
「残り2割は?」
足下にテン…テン…とバスケットボールが転がってきた。
それを竹中さんは持った。
地面に向けて、ボールを一度、二度、叩きつける。
そしてジャンプして、遙か遠くのゴールにそれを入れた。
おおお……ナイスシュート!
バスケをしていた人たちが拍手をする。
竹中さんは手を振った。
「残り2割は、奏に対する興味」
奏は無言で竹中さんを見ている。
「お前、いつか結婚させられるんだぞ。財閥の子供で免れるはずがない。病気は遺伝しないことが分かってる」
「分かってる」
「俺は、奏が男の時から大好きな友達だし、だから女になっても大好きな友達だよ」
やっぱホモ……!!
いや、友達としてだから、ホモじゃない?
華英が聞いたら喜ぶ……と思ってしまう自分が悲しい。
「お前の病気にも理解があるし、悪くない選択肢だってことだけは、頭に入れといてくれ」
「元男と結婚とか、お前気持ち悪いな」
奏は言い捨てる。
「今、奏は女の子だろ。制服もよく似合ってる。諦めろよ、お前、可愛いぞ」
「………!!! 死ねよ、変態」
「あははは、あー、スッキリした。ねー、バスケ混ぜて」
竹中はさっきゴールを入れたコートに走って消えた。
中庭には俺と奏が残された。
二人で脱力するように芝生に倒れ込んだ。
「今日は部活……」
「休もう、もう無理だ……」
俺たちは芝生に転がったまま、動けなかった。
流れる雲を見つめたまま、転がっていた。
「何が本当で、何が嘘か……何もわかんねー……」
奏が呟く。
俺はその横で転がったまま空を見ながら答えた。
「今ある事実だけを見ろって、前にお前が言ったぞ」
「……いい言葉だ」
「だろ?」
五時間目が始まるチャイムが聞こえても、俺たちは転がっていた。