迷惑って何?
ドアが開くと、奏の父親と母親が入ってきた。
俺は奏の両親とは数えるほどしか会ったことがない。
二人とも基本的には東京にいるのだ。
奏や由貴子さんのことは、ハセさんや、他の執事に任せっきり。
毎週末には来てるみたいだけど、ほとんど仕事だと奏は言っていた。
母親のほうは、すこし体が弱いらしく、夏は長くいるので、何度か話したことはあるが、父親のほうに関しては、本当に数えるほどだ。
見るからに高そうなタキシードを着た奏の父親は、入ってきて俺に一礼した。
「久しぶりだね、了太くん」
「お久しぶりです。本日はお招き頂きありがとうごさいます」
これくらいの常識は、俺にもあるぞ。
いや、昨日マナー本をネットで買って読んだ。
「奏が無理を言ったのだろう? 今回のことといい、二宮家の皆さんには、多大なるご迷惑をかけて、本当に申し訳ない」
父親は目をふせた。
迷惑……?
「迷惑は、特にしてません」
俺は言った。
「……君は、こういったパーティーは苦手だと記憶している」
父親は小さく首をかしげた。
その仕草が上品で、なんだかダンディーで、うちのジャージオトンとは天と地だ。
「苦手、ですね」
「奏に頼まれて苦手な場所にくるのは、迷惑だろう。そんなことまで、飲み込まなくていい」
なるほど。迷惑です、困ってますと言ってくれたほうが楽なのか?
「パーティーは苦手ですけど、家に奏がいるのは、騒がしくて楽しいです」
「そうか。それなら、僕は嬉しいよ」
父親に背中を押されて、母親が一歩前にくる。
明らかに顔色が白い。
俺の方を見て何か話そうとするのだが、奥にたつ奏をみて、視線をそらして、黙り込む。
「すまないね、まだ、体調が戻らなくて」
父親が母親の肩に手を置く。
なんだろう、この違和感。
性転換して、体調だって、気持ちだって、一番キツイのは奏なのに、なんでこの両親は一番被害者顔なんだろう。
「……本当に、ごめんなさい」
はらはらと涙を落とす。
いや、何にたいしての、ごめんなさい?
その横でハセさんも黙り込む。
困った時の華英来いや!!
振り向くと石のように固まっている。
使えねーーー!
その横で奏も背筋を伸ばして、立っている。
まっすぐな瞳で。
真っ赤な口紅で線を引かれた人形のように。
奏は、何も悪くない。
悪くないよなあ。
俺は奏に向かって歩いた。
そして奏の手を取った。
細い指。
奏が一瞬驚いた表情をする。
かまわず俺は、手を掴んで両親の目の前に連れてきた。
母親は目をそらしたままだ。
父親は、まっすぐに奏を見ている。
俺は口を開いた。
「僕たちは本当に、何も困ってませんし、謝られることも、特にないです」
「……そうか」
父親と母親は、じゃあ、パーティー会場で……と出て行った。
俺と奏は手をつないだまま立っていた。
俺の手を、奏が握る。
俺はその手を離して、奏の背中をドンと叩いた。
「手握るな、気持ち悪い」
「……最初に握ったのはお前だ」
「俺は掴んだだけだ」
「いーや、握った」
俺たちが照れ隠しにやりあってる間、華英がドスンとソファに座り込んだ。
「ぷはーーーー、疲れた」
「お前は何にもしてねーーーよ!」
俺は思いっきり突っ込んだ。
パーティーの会場にはすでに沢山の客が集まっていた。
「目がチカチカするな……」
女の人の海。
それにみんな色とりどりのドレスを着ていて、海の漂う花のよう。
頭にもみんな何か付けてるから、頭上まで華やか。
黒といえば、男性客のタキシード。
あとは全てドレス、ドレス。
部屋も桜のイメージで、全体的にピンクが多く使われている。
壁もピンク、机は全て大理石なのか? 白で、多くの料理が並んでいる。
旨そうなローストビーフやカニの手がさしてあるグラタンが見えるが、どれもこれも……胃にもたれそうだ。
庶民……俺は庶民だよ……。
今日はオカンがあの肉を煮込んだスープで作ったカレーだって言ってた。
うちのカレーはマジで旨い。
あれのために頑張ろう。
「これが財閥のパーティー……カルチャーショックすぎる……」
華英はふらふらと歩いている。
たしかに、俺の家から徒歩数百メートルにこんな世界があるとは。
「ごきげんよう」
色んな人が奏に挨拶する。
「ごきげんよう」
奏もすんなりと返す。
さすがお金持ちは違う。
奏が性転換して女になった姿を初めてみるだろうに、誰もガン見などしない。
穏やかに会釈をする。
壁際を確認すると、やはり数人はチラリと奏を見ているが、学校ほどじゃない。
あの食堂の人垣。俺は一生忘れない。
某エンタメランドのキャラクターはいつもあんな気持ちなんだろうか。
それが快感になったころ、あの黒い耳がはえてくるのだろうか。
金持ちはゲスを飛び越える。
コレも俺の人生語録に入れよう。
「よう、奏」
「藤間さま、お久しぶりです」
奏は立ち止まって挨拶する。
藤間京介だ。
「おいおい……本当に女になっちまったのか」
「このようなことになり驚かれたとは思いますが、これまでと同様、小早川家をよろしくお願い致します」
「マジかよ……」
「失礼します」
立ち尽くす藤間侍の横を、俺と華英は歩く。
近くで見ると藤間侍、顔がゴツゴツ、胸板も厚くて、何かスポーツしてる人かな。
体がしっかりしてるとタキシードも格好いいな。
俺? なんかペンギンっぽいよ。
いいんだ、付き添いなんだから。
庭に出る。
桜の花びらが一気に舞う。
今が満開。
ここからは散るだけの、桜。
よく見ると、かなり樹齢が長い木に見える。
何百年のレベル?
俺は立ち止まってその桜を見ていた。
「美しいな」
奏が言う。
立ち止まって桜の木を見上げる奏を、桜の花びらが包む。
前も思ったが、奏には桜が似合う。
咲くときも、散るときも美しい姿。
それが俺の奏像なのかも知れない。
「これ、ずっと前からここに?」
「少なくとも、私の記憶の一番最初から、この木はここにあったよ。いつも春を知らせて、春を終わらせるのは、この木の仕事」
奏はスッと桜の木に触れた。
その指先は桜色に塗られていて、まるで花びらがそこにあるかのように。
「奏」
「竹中さま」
奏は姿勢を正した。
今度は竹中朝陽の登場だ。
イケメンと舞う桜の花びら、美しすぎる。
「お前、本当だったんだな」
竹中は、特に驚きもせず、まっすぐに奏を見ている。
「驚かれました?」
奏は口元だけで微笑みを作った。
「そりゃ、そうだけど……」
「けど?」
「すごく、綺麗だ」
「ありがとうございます。こんな体になってしまった私には、身に余るお言葉です」
「いや、本当に、思ったより、綺麗だ」
「これまで同様、小早川家をよろしくお願い致します」
「あ、ああ……」
竹中は、奏から視線を外すことが出来ないように見えた。
奏はさっさと会話を終わらせて進む。
まあ、奏の美しさは正直、この会場で一番だ。
性転換した元男が一番美しいって、この世界は大丈夫か?
入り口付近がどよめく。
「由貴子さま!」
華英が入り口の方を見た。
パーティーの主役、小早川由貴子が登場した。
ピンク色と白が混ざったような色、まさに桜をイメージしたドレスなんだろう。
首から肩がほとんど出ていて、大きなネックレスが見える。
頭にはティアラのようなものが輝いている。
こりゃガチもんのお姫様だ。
「はああ……すごいの……この世界すごいの……」
華英はもう片手にシャンパンを持っている。
「お前、飲み過ぎるなよ」
俺は華英に近づいて言った。
「まだ二杯目だから」
「いつの間に一杯飲みきった」
「入り口で」
「絶対酔っ払うなよ!!」
華英はまだ二十歳になったばかりで、お酒にはあまり慣れてない。
庭や部屋をボーイさんがシャンパン片手に歩いていて、常に誰かに渡している。
俺はまだ飲めないから、断ってるけど、これで酔うなって華英には難しいかもしれない。
「わかってる、奏さんの迷惑にならないようにする」
華英はボーイさんを呼び、飲みかけのシャンパンを置いた。
「飲まないと、緊張しちゃうから」
「そっか」
華英は意外と冷静だった。