桜の花びらと共に
「もう部活は休みたい」
俺は玄関で真っ直ぐに奏を見て言った。
もう俺のキャパは完全にオーバーしている。
今すぐ家に帰ってうだうだしたい。
部屋に閉じこもりたい。
「休み、たい!!」
腕を組んで仁王立ちする。
その肩を、トンと叩かれた。
振り向くと桜井飛鳥が立っていた。
「桜井さん……!」
俺は一瞬身構えた。
桜井さんは、奏を見て言った。
「本当に女の子になってるんだね、小早川さん。でも、キレイだなあ……なんか、あの歌劇団みたいだよ」
俺も奏もキョトンとする。
なんだか、今日一番の普通の反応だ。
俺のオカンも姉貴たちも、最初は大騒ぎだったのに。
「今日部活いく? 顧問から、女子用の袴預かってるけど。あ、着替えるなら、うちら部屋あけるよ」
「お、おお……」
桜井飛鳥は、三年一組の進学組で、同じ弓道部だ。
地頭が良く勉強が得意で、性格も明るい。
部長も務めていて、後輩にも好かれている。
弓道の腕は、それほどでは無いが、練習が好きで素直な性格が、成績を伸ばしている。
一番成績がいいのは俺で、本当は俺が部長をやるべきなのだが、性格的に人前に出るのが苦手で、尻込みしていたら、桜井が手をあげてくれた。
だから俺は副部長というポジションで練習に集中できるわけで。
正直桜井には頭が上がらない。
その桜井が、この普通の反応。
やっぱり別格だな……。
桜井はこそっと俺に近づいた。
その距離感に心臓がドキリとする。
「私ね、誰にも言ったことないけど、お兄ちゃんが女装趣味なんだ」
「え、ええええ?!」
俺は大声を出しながら、わざとグッと体を遠ざけた。
耳元にかかる桜井さんの吐息にドキドキして逃げたのが正解だ。
「だから、結構平気かも。あ、これ小早川さんにも言っていいよ、でも秘密ね!」
「あ、ああ……、ああ……」
俺は部室に向かって歩き出す桜井さんの後ろをボヤー……と付いて歩き始めた。
「……なんだよ、行くのかよ」
後ろから奏がぼそりと言う。
「なんか、大丈夫そうだぞ、奏」
「まあ、ちょっと驚いたけど」
「理由があるわ、あとで話す」
俺は奏のとなりにいって、こそこそと話す。
「お前ほんと、桜井さんには甘いな……」
「桜井さんは姉貴たちには、ちゃんとした力を持ってるよ……女子力っていうのか、あれ」
「そうかなー、むしろ男っぽくね?」
「寝言は寝て言え、奏ちゃん」
「ハッキリしててオンナオンナしてないから、お前は楽なんだろ」
「えー……そうかなー……とりあえず部活いくか」
「簡単だな、お前……」
弓道部の部室は、女子用と男子用が隣同士にある。
桜井は女子用の部室に顔だけ入れて声をかけた。
「ごめん、小早川さん着替えるから、早めに着替えて出て貰える? それから……」
パタンと中に入った。
何か話し声がする。
俺は奏にさっきの話をした。
「女装趣味」
奏は真顔で呟いた。
「お兄さんって、俺たちが一年の時に部長だった、桜井先輩だろ」
桜井さんのお兄さんも元弓道部で、部長をつとめていた。
これまた記憶が曖昧なのだが、格好良かった気がする。
桜井さんが美人だし。
なんたって俺が一番好きなおかっぱだ。
おかっぱが似合う女に悪人は居ない。
願望なのは、分かってる。
俺が好きな西川美和湖も、神林48の湊元ちゃんも、おかっぱだ。
好きな髪型なんだろう。
「それ本当かな……」
「ホワーーイ?! 嘘ついて、何の得があるんだよ!」
俺は興奮して厚切り化してしまった。
「俺たちに取り入る」
奏が真顔で言う。
「ここまで孤立した二人に、取り入るも、へったくれも無いだろ」
「そうか?」
「むしろ気遣いじゃないか? 嘘だとしたら」
「了太は優しいなあーー」
はー……と奏はため息をついた。
「しかし、女装と同じレベルか、俺は」
「俺って言ってるなら、そうだろうな」
「完璧な女だぜ? それとは違うだろ」
「いやー……俺からすると、今のところ、同じかなーー」
「よく見ろよ、顔も、ヒゲがないだろ? のど仏も無い。もっとよく見ろよ」
グイッと奏が近づいてくる。
「いや分かってるよ、分かってます」
俺は思わず一歩引く。
「おはようございます」
女子更衣室から女子部員が出てくる。
「おはよう」
俺は挨拶する。
「おはよう、ごめんね、出て貰って」
奏は和やかに微笑んだ。
「おはようございます、小早川さん」
「おはようございます!」
他の女子部員もいつもと同じように挨拶をして走って行く。
中から桜井さんが出てくる。
「オッケー、小早川さん、入れるよ」
桜井さんが何か言ったな。
「着方は同じだけど、分かるよね、締める場所が違うけど」
「分かります」
奏は桜井さんから女子用の袴を受け取った。
そして丁寧にお礼をした。
「他の子にも、一言言ってくれたんだ、ありがとう」
桜井さんはドアを締めながら言った。
「小早川さんは、小早川さんだわ。変わらない」
「ありがとう」
部長だなーー。
俺も同じように男子部員に言わないと。
鉄のドアが閉まって、奏は中に消えた。
俺と桜井さんは、着替えを外で待つことにした。
「倒れた時は、一緒にいたの?」
近くにある桜の木から花びらがふわふわと落ちてくる。
「いや、自宅で倒れて」
「そうか。まあ自宅で良かったかもね」
「確かに」
俺の目の前で倒れたら、うろたえて大騒ぎして、もっと事を大きくしたかも知れない。
「当然女子の方のチームに入って、団体戦戦うんだよね」
俺は驚いて目を開いて桜井さんの方を見てしまった。
「何? そうだよね?」
当たり前だ。
俺と奏はいつも同じチームで、俺が落ち(一番後ろ)で、奏が落ち前(その一つ前)。
ずっとそうだった。
そうか、奏は女子になったから、一緒に出来ないのか。
「そうか……」
「小早川さんの実力だと、こっちでも落ち前かな。私が落ちだけど」
「……むしろ、安心できるよ」
俺より桜井さんのほうが落ち着いてるくらいだ。
俺はぼんやりと桜を見ていた。
三年最後の夏で、一緒に出来ないのか。
思ったより落ち込んでいる。
奏が女になって、一番落ち込んでいる。
俺、奏と一緒に弓道するの好きなんだな。
「これでどう?」
奏が女子更衣室から出てきた。
弓道の袴は、女子と男子で着方が違う。
簡単にいうと、女子は胸下、男子は腰で袴を着る。
必然的に奏の胸は、ハッキリと前に出てくるわけで。
「うん、上手に着られられてるね」
桜井さんは近づいて、後ろも見た。
「いいと思う。荷物はどうする? こっちでいい?」
「お願いします」
「じゃあ、私も着替えるね」
桜井さんは更衣室に消えた。
「どうよ」
奏は言う。
制服はやはり男女でかなり差があるので、コスプレ感がすごかった。
でも胴着は男女共に白と黒が基本で、あまり違和感がない。
「今まで一番、まあ、ありかな」
「そうか」
奏はにっこり微笑んで袴の横から手を入れた。
「コラコラコラ」
俺はつっこむ。
女子はあまりそこに、手を突っ込まないほうがいい。
そこに手を入れると、角度によっては太ももが見える。
「何で? みんなやってるじゃん」
「俺が好きじゃないから、だ!」
太ももが見える! と言うのは、あまりにおじさんっぽくて黙った。
「そうか、じゃあ止めるわ」
奏はスッと手を出した。
風が強くふいて、桜の花びらが一気に舞う。
「奏さあ……気が付いてた? 俺、お前と同じチームで、地区大会出られないんだな」
「女だと気が付いた瞬間から分かってたよ」
奏は顔を上げた。
「そうか……」
俺は肩を落とした。
「お前、今頃きがついたの?」
「さっきな」
「遅っ!!」
「全く考えて無かった」
視界をふわふわと桜の花びらが舞う。
そのひとつが、奏の頭に乗った。
俺は奏の髪の毛に手を伸ばして、花びらをつまんだ。
それを取りながら部室に入った。
「正直、メチャクチャ悲しいわ」
下に花びらを落とす。
「……そんなの、俺も一緒だ」
背中で奏が言う。
俺は部室に入って椅子に荷物を置いた。
鞄の上にあった桜の花びらが床に落ちる。
皮肉にも、今までで一番、奏が性転換して女子になったんだと実感していた。