体操服と100m
「じゃ、行こうか」
中原先生と一緒に奏は教師用の更衣室に向かった。
「下で待ってるわ」
「おう」
うちの学校にも女子更衣室はある。しかし場所が遠くて誰も使わなくなった。一年生の時は皆使うのだが、遠すぎて授業に遅刻するレベル。
だから基本的に女子は体育がある日は下にTシャツ、ズボンを着てきている。
暗黙の了解で男が一瞬で着替えて外へ。
その後女子が着替えることになっている。
下に着てきてるのに、なんであんなに時間がかかるんだろう。
女が長生きなのは、やることが多いからか? と本気で思う。
男子の着替えなんて早いもんだ。
俺も一瞬で着替えて廊下に出た。
匠が後ろから来る。
「奏、怒ってた?」
「震度で言うと5くらいかな」
「出た。了太お得意の例え。てか、結構怒ってるな、それ」
「まあ悪意なくても、今日はやめとけよ。空気よめないなー」
「空気読んでて彼女できるのか?!」
「何があった。てか、いま関係なくね?」
「衛藤、川村と付き合いはじめたってよ」
衛藤とは、衛藤日菜子。三年二組で一番人気の可愛い子だ。
真っ黒で長い髪の毛が特徴的で、バスケ部で活躍する運動神経。就職コースにいるのに東京の大学にいくと噂の才女。
「川村、やったじゃん」
俺は驚きと共に言う。
川村一馬もバスケ部で、何度も衛藤に告白していたが玉砕。
それこそ100回くらい断られて、101回目に落ちたレベルの話だ。
川村、顔は悪くないけど、そう格好良くもなく、もちろん三年二組で一番人気の男子は奏だったわけで。
衛藤さんも奏に一年生で告白している。
かなり早い時期だった気がするなー。
もう覚えてないけど。
すげえ可愛い子だ! と思ったから覚えてる。
現場に俺はいたけど、公言してないから、秘密なんだろうな。
ひょっとして奏が性転換したのも、関係あるのかな。
ずっと奏を好きだった、とか?
「諦めずに告白し続ければ、俺にもワンチャンあったかもな」
「いやーー、川村はマジメな男だよー?」
「俺がチャライって?」
「チャライって言葉をお前以外誰に使えばいいんだよ」
昇降口につくと、そこに奏が待っていた。
うちの学校は女と男の体操服は一緒だ。
でも前に着てたものではなく、体にあったものを着ているように見える。
すぐに購入したのかな。
しかし……家に帰ったらハセさんに伝えよう。
もう少し大きめ、いや、前と同じ体操服のがいい。
胸がばっちりわかるのは、ちょっとなあ……。
「マジ巨乳じゃん」
だから匠よ。
「お前、やめろって!」
俺は匠の肩を軽く押す。
「だったら黙って見ればいいのかよ」
「だからさーー」
うまいことやれよ。いや、本音だ。
「確かに。ちらちら見てる奴らが多い中で、匠はダントツに素直だな」
奏がふて腐れた顔をしている。
「衛藤と川村が付き合い始めたんだよーー」
「意味がわからん」
「ずっとこの話してる」
俺たちは三人で校庭へ向かった。
練習は男女一緒にする。
校庭にきた奏を、みんながジロジロ見ている。
もうこっそり見るとかのレベルじゃ無い。
間違いなく、ジロジロだ。
そりゃ胸がばっちり浮いてるもんなあ。
見るよなあ……。
奏は体育教師の中畑に声をかけた。
「私は、女子の一番うしろに並べばいいですか」
「ああ小早川。アハハハ! 見事に女だな、女、女、よし、一番後ろに並べ」
さすが中畑、別名中畑筋肉。受け答えは単純だが、その方がありがたい。
奏は俺にヒラヒラと手をふって、女子の列の一番後ろに座った。
奏の横は噂の衛藤さん。
衛藤さんはチラリと奏をみて、目をそらした。
えーー。好きだったんでしょー?
そんな反応になっちゃうの?
俺はため息をついて座った。
「ああー、衛藤さーん、今日から俺も告白の100本ノック始めようかな」
「訴えられるぞ」
匠ならやりかねない。
「来週の陸上競技会の練習をはじめる。まあ、お前ら三年、最後の競技会だ。今日は去年のタイム越えるまで走らせるぞ」
「えーーー……」
生徒全員がうなだれる。
俺もため息をつく。
去年のタイムどれくらいだっけなー。
「男子から始めるぞ」
背の順に並んで、スタートする。
俺も匠と一緒に走るが、ああーー、100mしんどい。
「お前ら誰一人去年のタイム上回ってないぞ、もう一回!」
中畑がタイムを書き込みながら言う。
「えーー」
一番大声を出したのは匠だ。
「中田、グラウンド一周」
「嘘です先生、俺、超100m好きです」
「よーいどん」
「まじかーー」
ぽてぽてと匠は走り始めた。
今日の中畑は目がギラギラしてる。
おとなしく授業時間が終わるのを待とう……。
「次は女子」
女子の100mが始まる。
「遅い、遅いぞーー」
中畑はタイムを取りながら大声を出す。
スタートラインに奏が見える。
俺の左右の生徒が、体を伸ばして見ようとする。
それだけじゃない、みんな体を動かして、見えるポジションに移動を始めた。
なんだろうな、俺はこういう時に、どういう態度でいればいい?
呆れた顔で座ってるのが正解か?
「はー……」
本日何度目か分からないため息をついた。
「スタート」
奏が走ってくる。
横は衛藤さんだ。
衛藤さんは速い。
一緒に走ってる中で一番だが、それを奏が上回りはじめた。
後半に一気の伸びたのは、奏だった。
一位は奏、二位は衛藤さん。
「おお……」
俺の横の生徒が言う。
なんだよ、それ。
ただ走っただけじゃねーか。
「はー。はー。あー、しんどい。あれは、Dカップだな」
走り終えた匠が地面に転がる。
「お前なあ……」
しかも正解だ。
絶対言わないけど。
「俺の名簿更新しないと」
「ゲス」
匠は学年全員の胸サイズ表を作っている。
そこに彼氏あり、なし、別れたなども書かれていて、昔は「バカだなー」と笑っていたが、こうなると笑えない。
「ほんとやめろよ」
俺はため息まじりに言う。
「なあ、Dくらいだったよな」
匠は俺の後ろにいた浜崎裕真に言う。
「お前よくそんなこと言えるな」
浜崎はチラリと匠を見て言った。
お、なんだ、浜崎理解あるじゃん。
俺は振り向く。
「あれはFはある」
駄目だこりゃ。
俺は姉貴たちの胸で見飽きてるから、あれはただの脂肪の塊としか思えない。
オカンが超気合い入れる時に着る、体の脂肪をすべて胸に持ってくるコルセットみたいな服を見ると、胸はただの脂肪の集合場所だ。
背中の脂肪がチャックに挟まるのを、助けて! チャックが痛いの! って助けを求められる生活してて、夢なんてもてるかよ。
きっと他のみんなはパンツ一丁で風呂から出てくる姉も、コルセットに脂肪をはさむオカンも居ないんだな。
それはそれで羨ましい。
「女になっても無敵かよ、なんだかなあ」
ポツリと言ったのは浅野恭司だ。
俺は正直イラッとしたが、黙った。
俺がむかついても、仕方ない。
でも、どうしようもなく奏をバカにされてる気がして、腹が立った。
奏は、好きで小早川の家に生まれたわけじゃないし、好きで性転換病になったわけじゃない。
それに俺は、奏の努力もたくさん知ってる。
経営学ももちろんだし、本もよく読んでる。
休日に親父さんと工場見学に行ったりもしてるんだ。
何もしらないくせに。
もう少し想像力があれば、そんな言葉言えないはずなのに。
ゲスを見極める最適なバロメーター。
教室で言い切った奏を思い出す。
それはきっと、間違ってない。
ゴールした奏をチラリと見ると、衛藤さんに話しかけられていた。
何を話してるんだろう。
良い話だといいな、楽しい話だといいな。
俺には小さな希望があって。
女になったのなら、女の子の友達というか、仲良くしてくれる子が出てきてくれたらいいのに。
俺じゃついて行けない女子トイレとかも、一緒に行ってくれるような。
今日はなんとなく心配で俺がいくときに、一緒に声かけて行ってるけど、トイレの中にはいると一人だし。
……トイレくらい一人で平気か。
俺、思考がハセさん化してない?
「小早川は、女子になっても速いんだな」
中畑筋肉が言う。
「胸って邪魔ですね、知らなかった。これがもう少し小さかったら、もっと速かったのに」
奏は体操服の上着をギュッと下に下ろす。
大きめな胸がはっきりみえる。
男子生徒がおおっ?! と色めき立つ。
奏、お前今日のことは、すべてハセさんに報告するからな?!
泣かれるぞ、またあの嘘くさい演技で。