親友だからこそ
自転車置き場まで華英は付いてきて、一度は通り過ぎた駅に戻っていく。
「ありがと」
俺は素直にお礼を言った。
「お礼はプリンでいいよーー」
華英はウインクして奏に言う。
「作らせます」
「生クリームたっぷりで!」
華英は自転車で消えて行く。
よく見ると、スカートは短いのにパンツは少しも見えない。
絶妙な角度で、見えない。
あの短いスカートの中には小宇宙があって、パンツが存在しないのか?
いや、してるな。
昨日も干したし、畳んだ。
ある意味、すげえな。
俺は外で華英と雪菜のパンツをみたことない。いや、当たり前だけど。
奏のパンツを二度も見てしまったので、そんなの気にしたことも無かった。
「よいしょ、こうやって下りればいいのか」
奏は自転車を止めて、足をついて、ゆっくりお尻を下ろした。
「はー……」
俺は深くため息をつく。
奏も気が付いているだろう。
家からここまで来る間、町の人たちの視線が刺さること、この上なし。
視線が矢なら俺たちは完璧に死んでいる。
奏は財閥の後継者と言っても、そんなこと町の人は皆しっていて、むしろ大事にしていたと思う。
町を走ればにこやかに挨拶してくれて、会釈してくれる人も多い。
小早川家がここで、どれだけ馴染んでいるか、また権力があるのか、分かってたつもりだけど。
そして今。
奏は自転車をいつもの場所にとめているが、学校へ向かう他の生徒が一時停止して奏を見ている。
見るよな、当然見るよな。
俺だって見るよ、逆の立場だったら。
「はー……」
ため息が止まらない。
「よし、行こうぜ」
奏は鞄を持った。
「もう、視線が痛すぎて、前に進めねーよ……」
俺も鞄を持つ。
「何で? 見られるのは、お前じゃなくて、俺だろ」
奏は俺を真っ直ぐにみて言う。
「……ごめん」
そうだ、一番辛いのは奏なのに。
「気にするな。そのうち慣れるだろ」
「え。視線に? 状況に?」
「どっちも」
階段を上っていく奏の後ろ姿を、他の男子生徒が見ている。
俺は慌てて後ろをガードするように、追う。
「お前、さっきまた【俺】って言ったぞ」
「マジか。ペナルティー制度にしよう。一回言ったら、胡椒5回」
胡椒五回とは、学食のラーメンを食べる時に、胡椒を五回入れることだ。
学校のラーメンは味が薄いので、胡椒は必須で、奏とどこまで入れたら美味しいか実験したら十回までが限界だった。
「よし、乗った」
「だからお前も胸はれよ」
「……了解」
「どう、俺の胸」
「こっち向くな」
「Dカップだって。何を基準に決めたんだろうな、この病気さんは」
「病気に【さん】をつけるな」
俺たちは学校へ向かう。
いつものように。
下駄箱で、奏はいつもの上履きじゃなくて、鞄の中から新品を出した。
「え、お前靴のサイズも変わったの?」
床にそれを置いて、奏は言う。
「当たり前じゃん。体のサイズが激変して、足のサイズがそのままじゃ変だろう」
そうか、そうだよな。
教室に向かって歩き始める。
他の生徒が一気に奏に集中する。
「いっそ芸能人みたいで気持ちよくね?」
「残念ながら私、ぶっちぎりの平民でして」
「付いてこい、平民」
「はい、お嬢様」
「キモ!!」
「なんだよ、設定最初からぶち壊すなよ」
「気分が悪いですわ」
「また続けるの、これ」
二人でダラダラ話ながら歩けば、視線はお互いにしかいかない。
それが一番気楽な気がしてきた。
教室に入ると、視線が一気に集まる。
そこはいつもの三年二組じゃないような静けさ。
俺たちの学校は、クラス変えがない。
入学時から就職コースと、進学コースに別れていて、俺と奏は就職コースだ。
奏は東京に行ったら大学に入るのだから、進学コースだと思ったら、資格が取れる就職コースのがいいと父親に勧められたらしい。
だから俺たち三年二組は、三年間同じクラスメイトと過していて、気心がしれた連中ばかりなんだけど。
でもこの視線か。
俺の心の真ん中あたりがキリキリと痛む。
俺じゃないけど、俺じゃないのに。
「おはよう。今日から女生徒だけど、何も変わらないよ。俺、じゃなくて私、とは言うけど。よろしく」
奏は入り口に立って挨拶した。
俺はそれを後ろから見る。
他の生徒は目をそらしたままだ。
ひそひそと話す生徒も居る。
「奏、マジで女体化したの?」
クラスで俺の他に一番仲がいい中田匠が近づいて来た。
「見る?」
奏は胸元の服を小さく引っ張る。
「見る見る!」
匠が近づいて、胸元を覗き込もうとする。
「ばーーーーか」
俺は匠を鞄で殴った。
「ってーな、お前は見たのかよ」
「女の体なんて、姉ちゃんで見飽きてるだよ」
俺と奏は、それぞれ席に向かう。
「それとこれは違うじゃんよ」
俺の前の席にぐいぐいと匠が座る。
「違わねーし、冗談でもやめろよ、見るとか。バカじゃねーの」
「見る? って聞いたのは、奏だろ」
「真に受けるな」
俺は鞄から教科書を出して、机に入れる。
その間、他の生徒は誰も話さない。
教室は異様に静かで、はしゃぐ匠だけが浮いている。
俺の席は廊下側で後ろの方、奏の席はセンターに近い。
いつも誰かと話してるのに、奏はひとりぼっちだ。
鞄を横にかける表情は、いつもの奏じゃない。
冷たい氷のような顔。
なんだよ、あの表情。
気にすんなとか、嘘だろ。
周りの生徒は、静かに先生が来るのを待っている。
仕方ない、分かってる。
でも、こんなのイヤすぎる。
匠のノリはいつも通りの軽さだ。
奏じゃない誰かが性転換病になったら、俺も同じように遠くから見るのだろうか。
そして噂話をするのだろうか。
……まあ、するわな。
じゃあ仕方ない。
俺はただ奏と親友ってだけだ。
親友。
なら、出来ることも、することも、前と変わらないな。
「匠、お前、奏と席変われよ」
俺は前の席の匠に言った。
一番の親友の俺が出来るのは、一番の勇気を出すことだ。
俺の発言にクラス中の視線が俺に集まる。
そんなの、今日朝からずっとそうだからな! 慣れるぞ!! 嘘だけどな。
「は? そんなこと勝手に出来ないだろ」
匠が言う。
「今のところ、奏の状態に一番詳しいのは俺なんだから。あれ、一応病気なんだからな」
小さく手が震えてるのが自分で分かる。
こんなワケがわからない主張を、クラス全員の前で俺がするなんて。
「だから、そんなことお前が決められないだろう」
「大丈夫ですよね、先生」
皆が一気に前の入り口を見る。
そこには教室に入れず、中をうかがっている三年二組の担任、中原朱音先生がいた。
中原先生は、教師の中ではかなり若い先生で、まだ30代、それも中盤くらいだと思う。
でも熱意があって、俺は好きな先生だけど。
さあ、どう出るか。
「そ、そうですね、えっと、そうですね、それでいいと思います」
ガクーーー。
中原先生も全く現実を受け入れられてない。
当たり前、そうだ。
だから今たたみかける必要がある。
「奏」
「おっけー」
奏は机の中から教科書一式を出して、鞄を持って立ち上がった。
そして俺の前の席にくる。
歩く姿を、クラスメイトが固唾を飲んで見守っている。
静かな教室を俺に向かって歩いてくる奏にかっこよささえ感じる。
「ここ、私の席にしてもいいですか?」
上から匠を見下ろした。
「なんだよ、いいけどさ」
匠も教科書と鞄を持って、席を立つ。
机に荷物を置きながら奏が、匠の耳元で言った。
「胸が見たけりゃエロサイトでも見ろよ。教えようか?」
「んだよ、つまんねーやつら」
ブツブツ文句を言いながら匠は元奏の席に行った。
クラス中がざわざわと色を取り戻す。
「はい、じゃあ、ホームルーム始めます」
中原先生は、教壇に立った。
きりーつ、れいー…と当番の子の声がする。
奏もまっすぐに立ち上がって、俺のほうをチラリと見た。
「プリン作らせるわ」
「華英のついでじゃねーか」
氷のように固まったままだった奏の表情が、ほんの少し和らいだ。
それを見ただけで、俺の汗ばんだ背中と、まだ震えが止まらない手は、救われる。
ああ、死ぬかと思った。
もうお布団に帰りたい。