自転車の乗り方
朝食は奏が性転換する前に、うちに泊った時に食べていたものと同じだった。
白米、納豆、具だくさんの味噌汁、ぬか漬け。
うちの朝食は基本がこれだ。
オカンが買ってくるとソーセージや卵焼きが付くが、基本的にはこれ。
奏はそれを
「いただきます」
と、うちに置いてある箸で、丁寧に食べた。
奏の育ちの良さは、食べ方に出てるよな、といつも思う。
背筋がまっすぐ伸びてて、手の甲の形とか、なんだろうな、俺とは全く違う。
手は前より小さくなったな。
箸は、前の男性用じゃないほうが良いんだろうな。
ご飯の量も、あんな大きな茶碗じゃないほうが良いんだろうな。
だって体が小さくなったので、胃も小さくなっただろう。
雪菜が元使ってた皿を使えばいいのに。
今度探しておくか。
俺はぼんやり考えた。
「ごちそうさま!」
いつも通りすばやく朝食を食べた華英は、台所のテーブルにメイクボックスをドスンと置いた。
華英はいつも台所の机でメイクする。
洗面所は狭くて暗いのでイヤらしい。
俺も奏も、いつも全く気にしてなかったが、今日の奏は違った。
「……これは何ですか?」
「お、そっか、奏くんも女の子になったんだもんね。興味ある?」
「おいおい、なんで突然そうなるんだ」
俺は食べ終えて皿をまとめてシンクに運ぶ。
「これはプレ化粧水。化粧水の前に、肌を柔らかくしてるの」
「プレ。事前という意味ですね」
奏はスプレーボトルを手に取った。
「ぬってみる?」
華英は顔をマッサージしながら言う。
「おいおい、やめとけ」
俺は皿を洗いながらつっこむ。
皿洗いは、俺と華英が順番にやっている。
オカンは朝イチからパートだ。
「次は、化粧水ね」
「化粧水の前があるとは、知りませんでした」
「肌が柔らかくなって、化粧水が入りやすいからね」
「おい、奏、この話先が長いぞ」
俺は思わずつっこむ。
「え、富士山でいうと、今五合目くらいですか?」
「まだ静岡県に入ってない」
華英は宣言する。
「……遠くにかすかに……」
「山頂は雲の中。今日は肌の調子悪いわー―」
華英は肌をパチパチ叩く。
「登頂には厳しい条件ですね」
「下らない会話してないで、奏も皿をもってこい」
「あ、ごめん」
奏も重ねた皿を持ってくる。
奏はうちで食事をするようになって朝は白米でもオッケー、食べたお皿は片付けるを知った。
それまで常にパンで、食べたら運ばれてきたコーヒーを飲んで新聞読むっていうから優雅すぎる。
どこのセレブだ、小早川の御曹司だ! いや、令嬢?
「手伝う」
「おっけー」
俺が洗った皿を奏がふく。
この行動も、我が家で知ったらしい。
まあ、皿なんて洗わないよな。
「お、シャボン玉」
「この洗剤、界面活性剤がたくさん入ってるから、ちょっと押すとシャボン玉が出るんだよなー」
「へーー」
「……まさかお前、シャボン玉遊びしたことないとか、言うなよ?」
「あるよ、何言ってるんだ。ハセがやってるのをみた」
「なんで老人にシャボン玉持たせた」
「いや、やるっていうから」
「自分でやらねーと意味がないだろ」
「そうなんだよなあ……俺、もう後継者じゃないし、ハセさんに甘えすぎなのも、何とかしないとなあ……」
「今更?!」
「いや、ハセさんが淋しそうにするから」
「まあ、な……」
奏の目の前で必死にシャボン玉つくるハセさんを想像すると、泣けてくる。
きっと満面の笑みで、必死に走って……うう、ハセさん。
「な、断れないだろ」
「まあ、うん、追々、離れよう」
俺も奏もハセさんとは長すぎて、そう簡単に離れられない。
「よし」
「終わったんですか?」
奏が手を拭きながら、華英を見る。
「ファンデーション塗る」
「え?」
「だから言ってるじゃねーか、富士山でいったら、やっと五合目。それも徒歩で上がってきた五合目、なんたって肌の調子が悪いんだからな」
華英は肌の調子が悪いと、化粧時間はかなり長くなる。
「大変ですね……」
「奏は肌がキレイだから、何もしなくていいだろ、当分」
「うらやましーーなーーー」
顔のオデコと頬と鼻には明るい色、頬の横には黒い色のファンデを乗せながら華英がいう。
「アートですね」
奏は真顔で言う。
「まあね!!」
それを華英は塗り込む。
「塗り絵だろ」
「了太?!」
キレる華英から逃げるように台所から出る。
「いこ、準備しよ」
俺と奏は部屋に戻り、学校にいく準備を整えた。
時間割を入れながら奏が言う。
「華英さんは、毎朝あれを?」
「出掛ける時は常に」
「どれくらいかけるの?」
「気合いが入る時は、変な煙が出てくるマシンでマッサージしてから化粧するから、30分以上やるぞ」
「すごいな」
「あの時間を勉強にあてたら、もう少し学費が安い大学行けたのにな」
「俺もあっちの家に居るときは、朝30分家庭教師やってるからな」
「はっ?!」
初めて聞いた。
「朝が一番脳みそにはいいらしいぞ」
「えーー、めんどくせーーなーーー」
朝は一秒でも長く寝ていたい。
なんなら昼まで寝ていたい。
階段を二人で下りていくと、そこにフルメイク完了した華英がいた。
「登頂完了」
「だからなんで富士山だ」
「いや、奏くんが言うから」
「完璧ですね、外でお見かけする華英さんだ」
「だろ? 化けただろ?」
「当たり前でしょう、家を出たら戦場なんだから」
「戦場……?」
ピクリと奏が反応する。
「オンとオフは切り替えないと」
「……いいですね、それ」
「は?」
俺は下駄箱から靴を出す。
「俺も、この家を出たら、切り替えます」
奏は背筋を伸ばした。狭い玄関で無駄に美しい。
「ああ? 良いんじゃね? とりあえず、俺は私、にしような」
俺は靴を履きながら言う。
「そうだな、まず、今日はそれを頑張る」
「オンだな、オン」
「女子は大変だ」
奏も靴をはく。
「大変なんだから! でも、それが楽しいんだよ、女の子は!」
「深いですね……」
「家でもオンでいろよ」
「うるせえ」
華英も準備を済ませて玄関にくる。
「じゃあ、行くか」
玄関を開けると、そこにはハセさんとお手伝いさんが数人立っていた。
「おはようございます」
お手伝いさんも頭を下げる。
「あーー……おはようございます」
俺は立ち尽くす。
そういえば、我が家は壁と有刺鉄線42Vで囲まれたんだ。
「出口までご一緒します」
「ハセ、おはよう」
奏はにこやかに微笑んだ。
「……!! 奏さま、美しいです……!!」
ハセは女子制服姿の奏を見て、分かりやすく口を押さえて感動した。
「えーー、気持ち悪いでしょ」
俺は後ろで言う。
「お似合いです、本当に、お似合いになることが、嬉しいような、悲しいような、苦しいような……」
後ろのお手伝いがハンカチをハセさんに渡す。
お前ら練習してきただろ。
「いや、気持ち悪いでしょ」
奏は言い切る。
「なんだよ! 自分でもそう思ってるのか!!」
「当たり前だろ。股がスカスカして、マジで気持ち悪いし」
「こらこら、オンモードはどこにいった?」
華英が小さな声で言う。
「そうだった、えーっと、スカートには慣れません」
奏は、なんとかオンモードに移行した。
「奏さま……」
ハセさんは再び涙ぐんでいる。
演技臭すぎる……。
「行こうか。てか、自転車どこ?」
玄関横に置いてある自転車が見当たらない。
「こちらです」
家の横に簡単な屋根が作られていて、そこに自転車収納されている。
「ついでに作らせました。奏さまの自転車も置きますので」
「これも作ったの?!」
「濡れなくいいじゃん、ラッキー、ありがとう、ハセさん!」
「ありがとう、ハセさん」
奏はいつもの自転車に乗った。
後ろから足をガバッと上げて。
「キャーーー! 奏くん、それは駄目!!」
後ろから見ていた華英が叫ぶ。
俺は丸見えになったパンツに絶句する。
真っ白なシンプルなパンツ……それが一番だな……じゃなくて!!
「あ、そうか。え? 女の子ってどうやって自転車乗るの?」
「見てて」
華英は自転車をまたいで、サドルに座る。
「これでいいじゃん」
「なるほど」
奏もまたいで、座る。
「……じゃあ行こう、ハセさん、正面口のほうに行けばいい?」
振り向くと、口を一文字に結んだハセさんがコクコクと頷いている。
色々ショックなんだろうな、色々……。
奏が一番前で、自転車を発進させる。
「そうか、ここか、この場所に了太の家があるのか。便利だーー」
自転車を加速させる。
するとスカートがめくれて、またパンツが見える。
「ああああああ!!」
今度は俺が叫ぶ。
「奏くん、ストップ!!」
華英が後ろから叫ぶ。
「え? 何?」
奏が自転車を止める。
「スカートは、お尻の下にしっかり入れて。そうしないと風でめくれるから!!」
「見えた?」
奏は俺に向かって聞く。
「真っ白でシンプルだから、また耐えられるけど、フリルが付いてたら家に帰ってた」
「なるほど、丸見えか。中に何か履いてくるべきだったかな」
「それは可愛くないから!」
華英は宣言する。
可愛ければパンツが見えていいのか? だったら見せろよ!!
「ほら、スカートをお尻の下にひく。それで、走るの」
華英は奏の横に自分の自転車を持ってきて、お尻を持ち上げてスカートを入れる。
「こう」
「うーん、難しいですね」
「抜けたら分かるでしょ、スカスカするから。そのたび、直して」
「大変ですね」
「遅刻するぞーーー」
俺は一番後ろで叫ぶ。
「車を、出しましょうか!!!」
振り向くとハセさんが涙目でこっちを見ている。
「いや、ハセさん、大丈夫」
奏は自転車を発進させた。
今度はパンツが見えない。良かった。
「はー……。心配だから、高校まで一緒にいくわ」
華英が俺をみて言う。
「たのむわ……」
色々想定外すぎた。
そして、もうげっそり疲れている。