18・19 ~昔話~
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『ようこそ、東京支部の皆様。 …榊原くん、ご苦労様で』
榎本なりに頭を下げたようだが、もはや判別もつかず。
この短時間中にも、怪人化は進行している訳で。
この部屋へと向かう途中に、大まかな状況を聞いていた面々は、眼前を受け入れる努力をしていたのだが…、肉塊の上に乗っかっている人の頭。違和感しかない。
榊原は張りつめた空気の中でないと聞き取れないほどの微力な声量にて別れを告げ、部屋を後にする。もう自分の出番は終わったのだとばかりに。
『さて、東京支部の諸君。これから成すべきことは分かるな?』
その問いかけの先にある表情は曇り空、だが答える義務がある。
『まず、ロシアへ。そしてその馬鹿げた計画を破綻させてきます』
杉本は最大声量で発言したつもりだが、足らず。何より意図的に足らなくした言葉がある。
『90点だ、それは君も理解しているだろう杉本隊長?』
視線を外すことは出来ない、だが重く辛い。それは越えなければならない壁。
沈黙は時間を長く感じさせる。杉本の間は数秒の事でも、体感は数分の出来事。
『杉本隊長、君の責務とはなんだ?』
一国の主からの問いかけ、答えない訳にはいかない。
『…国益を損なう恐れのある地球外生物を、排除する事です』
大きく頷く出羽、そしてターン。彼の目指す先はこの部屋の扉とその先にある玄関。
現実へと戻される魔法の扉、通過しなければならない絶対航路。
『…君にはどう映る?その塊』
親指を立てて指し示す出羽。その先にある固まりこと榎本。
意図もわかる、それを両者が望んでいるのもわかる。それを執行しろと、望みを叶えろと。
だが目の前の塊はまだ榎本官房長官。意思があり、声があり、何より…
『(…楽にしてやってくれ)』
聞こえた?いや感じた?その言葉。出羽はそのまま歩き始める。過去を振り返る時間は終焉した。楽しい時間であった…。
『出羽総理に対し、礼!』
小杉のここぞとばかりの決め台詞。それは杉本に対する後押し。
小杉統括が指示を出しては意味がない。ベニス東京支部隊長として、これは責務。
杉本の仕事なのだ。
大きく息を吸い、吐いた。それだけの行為、それだけで命を奪う選択を可決させる脳。
『ベニス総員…攻撃態勢を。…目標は前方の未確認生物』
皆、覚悟をもって生きている。戦隊としての甘えは、常に自宅へと置いてきている。
だから異議を唱える者はいない。中に着込んでいたスーツ姿となり、ヘルメットを装着。
『皆、最大攻撃にて同時に』
それが榎本に対する唯一の労い。これまで国の為に捧げてくれた、彼に対する感謝の儀。
『必ず、阻止します。必ず…』
杉本の声に笑顔で応じる榎本。そして最後の言葉を読む。
『世界を、出羽をよろしく…』
5本の殺戮兵器を所持した5人が、杉本の合図でその能力を行使させてゆく。
5つの異なる光が辺りを包み、全てを洗い流す。
…室内に飛び散る青い血と、それに交じる鮮血。それは榎本の意思がまだ残っていた証。
怪人としてではなく、人として命を終える幸福。
『榎本官房長官に対し、礼!』
小杉の最大音量にて身体の硬化を解かれた面々は、ゆっくりと何もない空間に対して、
敬礼をするのだった。
翌日、鑑識官たる面々が、榎本の体(であった肉塊)を持ち出してゆく。
研究と解明、全ては輝かしい時間。もっとも、前日に生きた塊を拝見した者に、
その感覚は無いのだが。
だが訪れる、輝かざる得ない時間が。
【ベニス戦隊東京支部隊に特命を下す。ロシアへと潜入し、クラールの野望を根こそぎ破綻させるべし ~内閣総理大臣府令~】
勅命である、命に代えても達成するべし命令である。
感傷に浸る時間など、彼女らには与えられない。
即刻、ロシアへと飛び立つ必要があった。…だが一つ、解決しておかなければならない事がある。
それなくして、ロシアへの道は開かれないのだ。
『お呼びですか、統括』
いつもの重厚なる室内へと呼び出されたレイニー、その表情には先日とは違う曇りがある?
ちょっと階級と似つかわしくない椅子に座る小杉、ゆっくりと口を開いてゆく。
『昨日の件、聞いているか?』
レイニーの深い眉間のしわが、更に深く刻まれてゆく。
『…おっしゃっている意味は、理解できそうもないですが?』
選んで出した答えがこれか、と小杉。彼は直球が好きだ。真っ向からの直球が。
『別に君を攻めてるとかじゃないんだ…被験者ナンバー001、聞き覚えがあるはずだ』
レイニーの額がパックリ割れた。瞳の横には赤い稲妻が走り、その動揺を如実に表す。
『…知らないと答えても無駄かしらね?』
小杉は頷き、引き出しから資料を取り出した。
『ペトレンコ・デグス、ロシア空軍所属。周囲からは期待されていたようだな』
懐かしい名前、呼び慣れた名前、今だに心がキュンとなる。やはり私はまだ忘れられない彼を…。
3年前、二人はこの先の人生共に歩む事を決意していた。彼からの待ちわびたプロポーズ。
国籍の違いなど、何の足しにもならないのだ。
その彼が、ロシア空軍司令長官に召集されアストラハン州のカルタンへ赴いたのは結婚式の10日前。
『これが済んだら、長期休暇だからな』の言葉を残して、文字通り旅立った訳だ。
人成らざる者へ、と。
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『ペ、ペトレンコ…!?』
顔と思われる箇所にその面影がある。体はブクブクに腫れ上がり、手足の原型は無い。
肉塊の中央部分は切り裂かれ、中には得体の知れぬ初見の臓器が見え隠れしている。
『なにが…一体何が!!』
レイニーの問いに答える者は一人、その者の答えは常にひとつ。
『ベニス戦隊の赤色に、殺られたのだよ彼は』
簡単に信じる程お人よしではない、だから調べ上げたのだ隅々まで。
確かに彼は日本へと降り立っている。その時の空港での監視カメラの映像もある。
そして入国から3日目、彼は東京の渋谷と呼ばれる都市の路地裏で、惨殺されたのだ。
ベニス戦隊のレッドに。
『…だから私はココに居ます。レッドに、杉本に復讐する為に…!』
主旨は見えた、だが幾つかの勘違いがある。
『君には言ってなかったが、杉本がレッドになったのは2か月前。3年前は林という男が担当していたよ』
レイニーの眉間のしわが1本消える。だからと言って納得できているわけではない。
『そしてそのペトレンコの姿からして、今回の榎本氏と同様に怪人化エキスを注入されていたのが分か…』
『知ってます!そんな事!』
小杉のセリフの終了を待たずに、レイニーの怒号が被さってゆく。
眉間にしわが増えている訳ではないが、言葉に重みが加わっていた。怒りか?
『怪人と化す薬があるなら、それを治す薬があっても不思議ではない!』
つまり、殺さず捕らえ、人間復帰エキスとかの開発を…的な話か?
少々無理があるような気がするが、愛する者を失うかどうかの瀬戸際なら、それを願うだろうか私も。
小杉が独身なのには訳がある。今はそれを語る時ではないが。
『当時、怪人を捕える様な制度は無かった。出会ったる者は排除する、それが我々支部の…』
小杉は途中で言葉を終えた。よく天使の涙とかの表現があるが、これはまさにそれ。
レイニーは大粒の涙を流し、拳を握りしめていた。
『彼がなぜ怪人化エキスの注入を許したのか、なぜ日本に来たのか、目的がなんだったのか、今は分からないが…』
小杉は立ち上がり、大きすぎる窓越しに並ぶビルディングを眺めた。
この国を守る…まったく、大層な役割を押しつけて逝ったもんだ彼も。
『全ての答えはロシアにある!…君にも同行して欲しい、第6のベニスとして!』
レイニーの拳の震えが止まった、同時に涙の河も堰止まる。
『人が生きる上で必要なのは目的と希望。君に両方を与えることは約束できないが、
少なからずひとつ、目的は渡せる』
バーン!っと机を平手打ちする小杉。演出とはいえ、痛い…。
『ペトレンコの仇を討て!奴はロシアに居る、クラール・ハウゼン…憎むべき人類の敵。
抹殺せねばならない!』
小杉の熱量はしっかりとレイニーへと伝導してゆく。そして恨むべき相手を間違えているって事が理解できる。
『…いつロシアへ?』
『明朝10時!総理大臣専用機にて!』
レイニーは頷き、この重厚なる部屋を後にしてゆく。
その表情に偽りも曇りもない、あるのはクラール抹殺までの行く末と、その後の事。
(ペトレンコ、貴方を解放してあげる。私とクラールの呪縛から…!)
ここに、第6のベニスが誕生した。
それはこのクラール抹殺事案のみの時限的なれど、その力は計り知れず。
…だが、まだ未完成。最後のピースが残っている。
レイニーは足早に隊員職務フロアへと向かっていった。
一言詫びる必要があるのだ、これから仕える赤き隊長に…。
2人は新宿の歌舞伎町、名の知れたチェーン店的居酒屋へと向かっていた。
もう少し洒落た環境を用意することも出来たのだ!と杉本の鼻息は荒い。
あくまでも彼女の希望からくる居酒屋なのだ。
『じゃ~、ジョッキで2杯』
言い慣れた台詞と不思議と落ち着く環境。だが杉本は語尾を荒げる。
彼女の希望で…(以下省)
『とりあえず乾杯ね、新しいベニスに』
この席に着く前に、大まかな話は済んでいる。
そして共に彼氏を殉職という形で失った事を知り、ある程度の共感も。
『ビールはドイツってのは、私の勝手な思い込みだったみたいね』
2人だけの宴が開始されて早々、料理を含めた居酒屋の高評価をえて、なぜかほくそ笑む杉本。
(私の店選びの勝利だな…)等と思いつつ、一気にジョッキを開けていく。
酒の席で仕事の話をしたくない、は共通の思惑なれど、残念ながら共通の話題が仕事関連しかない訳で。
2人は自然と仕事の話~元彼氏の愚痴へとの流れに納まっていった。
『ホンと、軍人なんて彼氏にするもんじゃないよね!』2人がその答えに辿り着くのは容易く、今は亡き2人の男は記憶を必要以上に掘り起こされ批判され、散々だ。
『でも3年前、あの日の事、忘れられないよね…』
杉本はビールからカクテル系に走っていた。その展開に成る頃の彼女は、俗に言う出来上がっているのです。
笑い上戸や泣き上戸、その類にはならないが、少々お喋りになるのだ…。
『あの日はね、休暇が合ったからさ、久々にデートってのをしようってなってさ。わざわざ別々に出発して待ち合わせたんだ…』
杉本曰く、彼が30分先に出発し、杉本が30分遅刻して来て『ゴメン、待った?』
『いや、今来たところだよ』ってのがしたかったそうだ。
言い出したのは彼、そこが唯一の心の救い。もし杉本が熱望した事なら、彼女は今こうして生きて居れないだろう…。
『その待ち合わせ中に、彼は逝ってしまったのね…。』
待ち合わせの交差点付近より少し裏通りに入ったところで、彼は惨殺されたという。
地面に血のメッセージを残して。
『私も3年前なんだよね…なんだ私たち、同じ所ば…』
違和感。
ただそれだけの事。
『…ねぇ、待ち合わせはどこで?』
聞きたくはなかったが、聞かなければならない。安心が欲しいから。
『渋谷~』
完全に出来上がった女は、口を眠そうにむにゃむにゃしながら答える。
逆に完全に酔いの冷えた女は『…そう』とだけ答え、クラスを一気に空けてゆく。
(そこまで一致するはずがない、偶然だ、きっと)
今はこれ以上聞くことも調べることも出来ない。
レイニーはもはやジュースと化したアルコール類を、流し込む作業に没頭していった。




