16 ・17 ~対談~
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『れ、連絡が付きました…』
99%なんてことは言わない、ゼロだったのだ電話に出るだなんて。
そしてその会話の先に【会う】選択があるだなんて、更なる困惑。…だが、
『私に会いに来いというのか奴は!』
どうやら官房長官は人を怒らすのが得意らしい。火に油を注ぐ行為を繰り返す事の先に、いったい何があるというのだろうか?
出羽は考える、この意味を。彼は誰よりも榎本を信頼し、その結果として職務を与えたのだ、ナンバー2ともいえるその地位を。
そのしっぺがこれか?挙句私に足を運べと?
出羽は考える、その意味を。そして何かを思い出し、スッと立ち上がり一言。
『奴は何処で待っている?』
黒塗りのハイヤーを嫌う出羽の愛車は白い大衆車。日本で一番売れている色と車種というだけの理由で、この車を公務車にした。狙われにくいとか木を隠すなら森とか、理由はあるのだろうが。一番の理由は経費。一応の合理主義、無用の浪費は政治家生命を縮めるだけだと理解している。だから服装も最低限の着こなしと、最低限のブランド(とはいっても紳士服の全国チェーン店にて購入だが)、
彼に欲望はない、あくまでも私腹を肥やす望みは無い。政治家生命を終焉さした後に、喰う寝るに困らなければそれでいいのだ。一応、100歳までは生きる設定らしい。
『後10分程で到着します』
第一秘書兼ドライバーの福田。合理主義からくる人件費削減である事は言うまでもなく。
出羽は軽く返事をし、遠くを見つめていた。この夕日は見たことがない。
いつも思考の中で傍にいてくれた榎本、彼が居ない夕日。彼を得てから今日までの間では、
見たことがない薄汚れた夕日。
(榎本…お前が居なくなった後、私はどうすればよいのだ…)
出羽の全てを理解していた。その政治的観点も、その為に成すべき事も。
共通の見識の間柄であった。そもそも白でいいだろ?と言い出したのも榎本なのだから。
今回の件、出羽は一つだけ理解していた。それに至る理由は不明でも、確かな事がひとつ。
榎本はもう、戻らない。
それが意味するものは方向性の違いで解散的な話ではない。
アイツが私を呼び出したのだ。それだけで、全てを理解できる。納得は出来そうもないが。
榎本の命は、もう長くないのだ、と。
地上30階建ての高層マンションの21階。ここは知っている、アイツの別宅ではないか。
自宅を神奈川に置く彼は、新法案策定の時や予算等の難しい案件時の国会連続開催日に、
ここで寝泊まりしていたのだ。当然そこに私も居た。
この共通玄関もよく潜った、盲パイで押せるほど、EVの22階のスイッチの場所は覚えた。
…今日で最後なんだな榎本?
出羽は合鍵にてドアのデットボルトを収納させていく。今時珍しい円型のひねるタイプのドアノブ、手になじんでいるかのごとく。
『榎本、入るぞ』
福田を玄関で待たせ、出羽はゆっくりと室内へ。左に脱衣所、右にキッチン、よくある間取りだがそれが好きだった。榎本と居るから?は、当然の思考であり、恐らくは正解。
短いローカの先に2部屋、リビングと寝室。…寝室は出羽の部屋だから、右のリビング、か?
軽いノックの後、入室。…室内が異様に暗い?
『…早かったな、ご足労すまない…』
ずっと聞きたかった声であり、聞きたくなかった声であり。
明らかに声質が違う、弱りきった病人のごとく、か細い声を絞り出しているのが伝わる。
『慣れ親しんだ道だか…』
出羽の行動はフリーズした。思考が間に合ってないのだ、声など出るはずもない。
暗くて見え辛かった室内、3人掛けのソファーに横たわる塊、蠢いているのだけは分かる。
そして先ほどの声がそこから聞こえてきたのも分かる。
分からないのは慣れ親しんだ顔が、その3人掛けソファーと同等のサイズで横たわる塊に、
乗っかっているという事。苦悶の表情で、こちらを見ているという事。
『榎本…!』
声は出たが思考はおぼつかない。もはや待つしかない、彼の口から語られる真実を。
『本当は、お前だけには見られたくなかったが、逆に言えばお前だけには見せても良い、と』
最後の力の使いどころは各々違う、榎本にとってはここなのだ。最初の声よりもはっきりと聞き取れる、いつもの榎本の声。
『なんだ?何がどうなって…?』
すり寄ろうとする出羽を制止する榎本。
『それ以上はダメだ、制御できる自信がない…』
その塊は一応榎本の所有物だが、一部暴走を始めているそうで。それが何時、全身?に広がるかは不明で、今回の件は残り時間を計れない事から来るものである。
『もう、どこが足だったか腰だったか、分からないよ…』
出羽は理解しようとしていた、だが見えない。待つしかない語り部の都合を。
『…出羽、ロシアを止めなければならない。もちろん国ではなく、一部のコミュニストを、だ。』
出羽は理解しようとしていた、いや思い出す、か。
(ロシア…コミュニスト…、クラール!)
クラール・ハウゼン、前ロシア政権時代の国防省長官。今は対抗勢力に敗北し、イチ議員のハズだが。
『…私は半年前、彼に招待されるままロシアの地を踏んだ。…今思えば疑うべきだったがな』
部屋も暗く、空気も重く、だが何かが心を優しく触ってくる。
これは理解している、榎本の声が出羽の心をくすぐるのだ。
懐かしき思い出が、彼の本質をギュッと握り絞めたまま、離れてくれない。
『一通りの歓迎を受けた後、向かったのは旧市街地の寂れた小屋。その地下室だったよ』
語り部が核心を話そうとしていた。
出羽は鼻でゆっくり息を吐き出しつつ、待ち詫びたその先に備える。
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『榎本官房長官が? 何故だ?理屈にならない!』
彼を古くから知る男の口調が荒い。
桑原本部長の声が微かに震えている…まぁ、それは元々か。
『そう、リークされた側がリークした? 納得のいく説明が欲しいな』
田名丘司令補がグイッと体を前へと乗り出し、その興味の程を世間へと知らす。
周囲の空気の流れが一点へと集約されていく。
その到達点は勿論の榊原フリージャーナリスト。
彼はその心地よい空気を散々吸い込んでから、言葉を結ぶ。
『答えが知りたければ、一緒に来てもらおうか』
両手の甲に顎を乗せたる男は、会心のイキり顔にて周囲を見渡していた。
待ちわびた答えがこれ?…と5人が思っていると想像すらせずに。
…だが、クレーム等は届きそうもない。今は従うしかない。
『案内して!』
少々憤りを抑えきれなくなってきていた杉本、早々に立ち上がる。
暗い室内、重い空気、錆びれた感覚。
このマンションには栄光への架け橋が、多方面へと繋がっていたはずであり、
その中にこそ我々の未来はあった。
今はどうだ? 現実はどうだ?
奴は今にもヘブンズ・ドアーを開けそうではないか?
あの姿に希望を持てというのは間違いであると、感ぜずにはいれず。
『この部屋より薄暗い室内、その先にある隠し部屋』
話の内容から全てを想像することは難しい。だが、伝わる凄みはある。
まぁ、その姿を見ているからだろうけど…。
『その部屋よりEVにて地下12階…、そこにあったんだよ。』
榎本と思われる塊の一部が裂け、水色とも取れる血とも思える液体が噴水を上げる。
痛みも何もないらしい、彼は話を続けていく。
『生体実験室…正確に言うと怪人化計画遂行室がな』
長き付き合いである。 彼が嘘を言う男でないことも、この状況で必要がないことも分かる。だが簡単に受け入れられる言葉ではない。
『怪人化計画?…意味が分からんが?』
出羽は昔からそんな節がある。理解しているのに確信がないから、遠回しに聞くのだ。
『私を見ればわかるだろう?』
それより先の言葉は不要だった。
案内されるまま、到着するマンション。小杉の記憶にある部屋が、この中にある。
『榎本官房長官の別室…ここに居るということか?』
杉本以下勢揃いのベニス隊にも緊張は伝わる。
ここには何かがある、そして現に何かが起こっている、と。
『本人の了承済だから、このまま21階まで』
榊原の口調が少々重い、彼は知っているのだろうか?ここに何があるかを。
口調どころか足取りさえも重く見える榊原、思い出したくもない塊を払いのけ、
21階へと先導してゆく。
『怪人化エキス、ロシアの開発した馬鹿げた液体だよ』
彼はそれを注射された、その地下で、その遂行室で。
勿論、希望したわけではない。目の前にあったのだ、原子力潜水艦への通信設備が。
『私の一言で、3発目が東京に…それで良いのなら』
突如現れたクラールの冷えたロシア語に、榎本の希望は消滅した。
残ったのは従順なる心、武士の魂。
『体内で1週間眠るように調整してある。その1週間をいかに使うかは、君次第だよ榎本』
地下室から掘り出された男は、残された時間を有意義に使うことだけを考える。
だがそんなの、すぐに見つかる訳もなく。
(日本に、帰ろう)
榎本がロシアで思いついたのは、それだけであった。
『人体実験に使われるために、お前は遥々ロシアまで…?』
薄ら笑いを浮かべる榎本、それが返事であり自らに対する非難であり。
『アジア人第一号の名誉付だがな…』
2人は笑った、何もかも忘れて笑顔を見せあうことが、何よりの心の交流だったのだ。
これが最後になる。それを考える必要もないのだが。
『奴ら、既に最終調整段階だ、誰かが止めなくては…』
榎本の眼差しを受け止めるのは、遅れて入室して来たレッド杉本。
その意義を、問われる時間…。