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シオマネキ

 彼女、朝田満はその日、電車の中で座席に座って揺られていた。なんとなく俯き、床を見ている。彼女は眼鏡をかけている。太めのフレームが印象的な眼鏡で、その角の丸い四角に囲まれた視界に、不意に一匹の蟹が現れた。その事に彼女は少しばかり驚く。普通、電車の中に蟹はいない。片方の鋏が大きい。恐らくはシオマネキだ。

 彼女は乗客の中の誰かが、捕まえたそれを逃がしてしまったのだと考えた。少し顔を上げて気が付く。もう一匹蟹がいる。そして、その直ぐ傍に更にもう一匹。慌てて周囲を見渡し、彼女は電車内の床にたくさんのシオマネキがいる事に気が付いた。

 少しばかり唖然となってその光景を見つめる彼女は、そのシオマネキを捕まえながらこっちに向かって近づいて来ている男性を見つけた。必死な形相で、シオマネキを捕まえている。

 それで彼女は、その男性がシオマネキを逃がしてしまったのだと考えた。その男性は少しばかり目立っていて、他の乗客は奇異なものを見つめる目つきで彼を見つめていた。

 それに朝田満は首を傾げる。

 確かに変わった光景ではあるけれど、執っている行動は普通だろう。こんな電車の中で蟹を逃がしてしまったなら、必死に捕まえようとするはずだ。そんな目つきで見る必要はまったくない。

 しかし、そう彼女が思った瞬間だった。その男性は、電車の窓を開けると、捕まえたシオマネキをそこから外へ投げ捨ててしまったのだった。

 猛スピードで進む電車の中から放り投げられたら、いくらシオマネキが固い殻に守られているといってもひとたまりもないだろう。死んでしまう。

 “なんて酷い事をするのよ”

 そう思った朝田満は、その男に注意をしようと口を開いた。

 「どうして、蟹を外に捨てたりなんかするんです? 可哀想じゃありませんか」

 すると、その男性は驚いた顔をして、それにこう返した。

 「君には、このシオマネキが見えるのか?」

 彼女はその言葉に首を傾げる。何を言っているのか分からない。

 「そりゃ見えますよ。どうして、見えないんですか?」

 そう応えて気が付く。周囲の乗客達が、変な目を自分にも向けたのだ。男性はその彼女の言葉には答えず、こう言った。

 「なら、君も手伝ってくれ。さっさと、このシオマネキを外にやってしまわないと、大変な事になるんだ。

 恐らく、ここにいる皆は死ぬぞ。この電車は事故に遭う」

 朝田満は不思議そうな顔になる。男性はシオマネキを捕まえながら、説明を始める。

 「初めて僕がこのシオマネキを見たのは、道を歩いている最中だった。近所の、知合いの家の前にシオマネキはいて、例の潮を招く動作をしていたよ。

 こんな町中で珍しいと思っていたのだけど、その次の日にその家で、爺さんが死んだ事を知ったんだ」

 朝田満は顔をしかめる。男性は続けた。

 「次に僕がシオマネキを見たのは、病院の中だった。床の上を歩いていてさ、シオマネキはやはり潮を招いていた。そして、その時に病室から泣き叫ぶ声が。どうやら、誰かが死んだらしいと僕は悟ったよ」

 その説明を聞き終え、朝田満はその男性が何を言いたいのかを察した。

 「偶然じゃないんですか? そんな事…」

 男性はその言葉を遮る。

 「偶然で説明がつくかい? このシオマネキは、僕ら以外には見えていないのだぞ。ある日、僕は街でシオマネキをまた見つけたんだ。やはり、潮を招いていた。不吉に思ったから、近くにいた友人にそれを言ったんだが、そいつはシオマネキなんか見えないって言うんだ。その次の瞬間、車が歩道に突っ込んで来たよ。小さな子共がはねられてしまった。可哀そうに」

 男性は言いながら、シオマネキをまた電車の外に捨てた。

 「きっと、このシオマネキは、死を招いてるんだ。そうに違いない。さぁ、分かったら君もこのシオマネキを外に捨てるのを手伝ってくれ。

 僕はこんなにたくさんのシオマネキを見た事がない。きっと、悲惨な事になるぞ」

 そう男性は言ったが、もうほとんどシオマネキは車内に残ってはいなかった。彼女が手伝うまでもなさそうだった。

 それを受けて彼女は言う。

 「わたし、少し疑問なのですけど……」

 「なんだい?」

 「それって少し字が違いますよね。シオマネキの“オ”の字はアイウエオの“オ”。ワヲンの“ヲ”じゃない」

 男性はその言葉に怪訝そうにした。最後のシオマネキを捕まえながら言う。

 「それが?」

 「時計の針は時の進みを教えはするけど、時間を進めている訳ではないです。時計の針を戻しても時間は戻らない。

 おみくじで凶が出たって、それは別におみくじが運を悪くしている訳じゃないでしょう? 運の悪さを教えているだけですよ」

 男性はそれを聞きながら、最後のシオマネキを外に投げ捨てた。投げ捨てる瞬間、男性の手の中でシオマネキは潮を招いていた。

 「これで最後かな?」

 男性が訊いたので、朝田満は頷く。

 男性はやり切ったという顔になった。安堵の表情。これでもう安心。助かった。

 しかし、彼女は続けた。

 「もしかしたら、そのシオマネキも同じなのじゃないでしょうか? そのシオマネキがいようがいまいが、病気で人は死んでいたし事故でも死んでいた。

 それは、そこに人の死が起こる事を、ただただ教えているだけ」

 そして。

 そう彼女が言い終えた瞬間だった。

 猛スピードで進んでいる電車の車体が激しく軋む音が、彼女と男性の耳に聞こえた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 見えているのに避けられない、って恐ろしいですね。同時に悲しさも感じました。
[良い点] こわい
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