奮闘の神皇と、瑞に無くて日ノ本にあるもの
「さて……」
征歩は自分の目の前に行儀よく座る獣の耳と尾をはやした獣人たちを見下ろし、思わず苦笑をうかべた。
それはそうだろう。そいつらの目は俺――賢者の石から見ても、王である征歩を立てていない……反抗的な視線が多かったからだ。
所詮庶民の娘が生んだ王。そういった認識が、この場に来られるほどの高い階級を持つ特権階層の彼らにとって、大きな差別の原因となっているようだ。
(こいつらが誇る貴族って階級も、もともとはこの都を作るときに、陣頭指揮を執った連中に、政治の補佐をしてもらおうと、大和が褒美をとらせるついでに与えた、特別権限を持つ連中だというだけだったんだが……)
どこの世界でも、そういった特権階層というものは、時がたつにつれ力をつけるものらしい。
現状この場にいる獣人たちの数は12人。各々がこの国の統治機構のトップであり、この国で成立し始めている……貴族という連中だ。
正直こう言った発展の仕方はしてほしくなかったのだが、まぁ俺が元いた世界でも、国が成熟するにつれ、こういった連中は必ず出ていた。それは知恵を持つ存在にとっては一種、当然と言っていい歴史の流れなのだろうと、今は諦めている。
さて、その貴族達だが……。いまのところ、征歩に好意的なのは政子の実家である徳上家。その代表である、征歩の右隣の席に座った好々爺とした狼獣人の徳上笑季だけだといっていい。
狼型の獣人種で、犬系という先祖からの影響を受けてか、神皇家に最も忠誠が厚い一族だ。そのため、たとえ庶民の腹から生まれた征歩でも、神の血を引く以上残すべきと彼をかばい育ててくれた恩人でもある。
その圧倒的忠誠心を見込まれ、最も信頼できる人間を置くべきと俺が教えた、この国の財布のひもを握っている《財務庁》の長を務める獣人だ。おまけに、王族が死滅してしまったのち、庶民の腹から生まれた下賤な血を持つ皇族とはいえ、神の血を絶やさなかったことが評価され、この12人の獣人の中でも比肩するものがないほどの発言力を得ている。
とはいえ、
「ん~あぁ。政子や……昼ごはんはまだかいの?」
「おじい様……。つい数分前に朝ご飯を食べたばかりです」
「ん~? あれ? そうじゃったかいの? じゃあ、晩御飯はまだかいの?」
「何がじゃあなんですかおじい様……」
この通りすっかりボケてしまっているため、今は政子が背後に立って代わりの発言をしている体たらくだが……。だからこそ他の12人の獣人たちも、彼の発言権増大を認めたといっても、過言ではないくらいボケている……。
こういった真面目な政治の席では、頼りにはならない……。
「さて、では朝議を始めるとしよう」
代わりにはきはきとした口調で会議の開始を告げたのは、笑季の対面……つまり征歩の左隣に座った、巌のような険しい顔に、ひょっこりと兎の耳が生えた、遺伝子の不思議……いや、遺伝子の不幸を抱えた兎型の獣人――神盛大来名。
否麻の血脈を継ぐこの一族は、舞姫としてこの国の神たちに可愛がられた否麻の素養を受け継いでおり、霊的感受性の高い一族として発展を遂げてきた。
が、先代から当主の地位を譲られた大来名は、神職系だった一族を大胆に改革。先代国王がまだ健在の時に、兎獣人たちは政治の主要な部署にあまねく配置される、日ノ本はじまって以来の文官の名門と呼ばれるようになり、彼自身はあっさりと宰相の地位に納まった曲者だ。
そして、先代の思想を一切受け継がず、それゆえに取り入りにくくなってしまった征歩を蛇蝎のごとく嫌う、反征歩の急先鋒でもある。
そのほかにも、虎武の血脈から代々軍事の最高責任者を務める虎耳をはやした獣人一族や、渡来系の技術伝達を円滑に進めるため、最近迎え入れられた金烙火己命の加護をうけた、新参貴族など……。あげるだけで一癖もふた癖もある連中がそろうこの国の最高意思決定会議。
そして、その中には俺の世話をしている神職系の最高峰役職《神祇庁》の頭――狐型獣人の稲群呉燈もいる。
こちらは政治家というより、流刃たちの神託を受けての政治に対する意見具申が主のため、一番権力が低い左端の席に座らせられているが、彼がその気になり神々に意見具申をすれば、自分たちの隆盛などたやすく叩きつぶされると分かっているため、12人の貴族たちは腫物を扱うように彼に接している。
だが、実は彼も征歩嫌いの一人ではあるのだ……。
理由は征歩の生まれというより、
「おい、相変わらず呉燈の刺すような視線だけは、耐えきれないわけだが……」
「仕方がないだろう。政治の素人のお前に国の行く末なんて任せておけるか……」
「だとしても、俺のもとに来る時にもうちょっと言いようがあっただろうがっ!!」
と、征歩と俺の言い合いを聞いてもらえばわかるように、俺が原因だ。
征歩が神皇につくときに、俺は彼の補佐をするため慌てて征歩のもとへと俺を運ぶように、呉燈に頼んだ。そのとき、『仮にもこの国の最高神をそんなにたやすく外に出すわけにはいきません!! もし仮に神皇の補佐をするのだとしても、仮にも神に意見を聞かれるなら、神皇の方から足を運ぶべきですっ!!』と呉燈に強硬に反抗されてしまい、ついうっかりこう漏らしてしまったのだ。
『そんな最高神とか気にすることないって! どうせ大して敬われてないんだからっ!! お前らだって、ぶっちゃけ俺の世話なんて無駄なことしなくてよくなるんだぜっ?』
今思えば何であんなことを言ったんだろうと後悔している。彼らはただ純粋に、祖先である稲納の言いつけを守り、流刃を導いた俺に誠心誠意尽くしてくれていただけ……。おまけにそれを誇りに思ってくれてもいた。そんな人物にお前がやってきたことは全部無駄なんだよ? なんていったら、怒りを買うに決まっている。
当然、まじめな彼は神である俺に怒りを向けることなく、俺をたぶらかした征歩が悪いと妙な感情の変換を行い、こうして征歩に刺すような視線を向けているわけで……。
「あの人、絶対神術で霊力を物体に変質させて視線に乗せてる。だって、さっきから眉間あたりが何度も針で刺されるような痛みが……」
「もう、狙っている個所が明らかに命取りに来ているよな……。ご愁傷様」
「他人事だと思いやがってっ!!」
「神皇。会議の途中です。賢気様と相談されるにしても、もう少し静かにお願いします」
ブットイ釘が大来名から飛ばされ、慌てて黙る征歩と俺。
そんな俺たちの姿を確認した後、12人の貴族達から出される、定例の報告をまとめ、大来名は気を取り直すかのように咳ばらいをした。
「では、今回の議題について明確にしておきましょう。今回の朝議の主な議題は」
瑞からの使者にどのような歓待をするか? です。そういった大来名の言葉に、12人の貴族たちは盛大に眉にしわを寄せた。
ずいぶんと軽い議題だって? とんでもない。初めての大国との交流である使者の来訪。歓待に失敗してしまえば、うちの国は『文化の遅れた猿のような国』と瑞に侮られ、足元を見られてしまう可能性が高い。
確かに、たとえ正面切って戦っても、国力的に勝つのは不可能な相手。どちらにしろ足元を見られることに違いはないが、文化面でもそうなってしまっては、この国は瑞の属国の中でもさらにひどい扱いを受けてしまうかもしれない。
民の為、国の為、そのような悪手は絶対に打つわけにはいかないと、12人の貴族たちはそう認識していた。
だからこそ、使者歓待の際行われる行事内容に関して、彼らは国の政治の最高決定機関であるこの場で話し合っている。
それほど、その事態が重いと捉えているのだ。
そして、賢者の石である俺から見てもその判断は間違ってはいない。
だが、
「船の用意は?」
「やはり訪れるといわれた期日までには間に合わないですな……」
「くっ。結局できた歓待用の軍船の数は6隻だけか……」
「あちらは20もの船をひきつれ訪れると親書には書いてあったが真であろうか?」
「天瞳神社に遠視してもらった結果、どうやら間違いないようです。航海中の嵐などで数は若干減少するそうですが、それでも艦隊の数は15隻。到底ウチでは用意できない数の船ですね……」
「やはり軍船での歓待は諦めるべきでは……」
「馬鹿者。海軍が未整備などと知れれば、それこそ奴らに付け入らせる隙を与えてしまう。たとえ見栄とばれても、情けないと嗤われても軍船は必要だ」
「では、料理に関しては……」
「賢者様の知識から得られた情報で再現をしていますが……これがなかなか難しく」
「くっ……そちらもダメかっ!!」
と、こんな風にせっぱつまっている状態だ。
もとより国の体裁を整えるだけで結構な時間と労力を有している。
当分来ないだろうと思っていた瑞対策用の海軍も、どちらかというと娯楽に分類される料理も、まだまだうちの国では未発達。
一応俺の趣味で、《クサレ神》に頼んで、大豆を発酵させた調味料をこっそり作ってはいるが、まだまだ客人に出せるような品質の物は出来上がっていない。
完全に詰んでいる。逆立ちしたって、大国・瑞の使者にふさわしい歓待などできるわけがない。
12人の貴族たちにそんな諦めにも似た暗澹とした空気が漂う。
だが、そんな彼らを見て俺は逆にほっと安堵の息を漏らした。
――よしよし。困っているな? と。
悪趣味である自覚はあるが、こうでもしないとこいつらとの話はつかない。
今は国の危機を……瀬戸際に立たされたこの状況を利用し、征歩を立てさせてもらおう。
俺はそう考えながら、視線を征歩へとむける。(石だから目なんて(以下略))
不敵に笑い懐に手を伸ばした征歩へと……。
(というか、こいつこんな状況になってなお笑ってられるのか?)
自信の表れととるべきか、罪悪感がないと呆れるべきか……。まぁ、彼にとっては自分を母親事追放した連中に、気を使ってやる必要がないといったところなのだろうが、せめてもうちょっと王様らしい威厳のある顔をしてほしいと思うのは、贅沢ではないはずだ。
と、俺が内心愚痴る中、征歩は懐からようやく目当てのものを取り出す。
会議に来る前にすっていた、渡来人経由のキセルだ。
征歩はその中に煙草の葉を詰めると共に、俺に視線を向ける。
「……いいかげん俺をマッチ扱いするのやめないか?」
「まっち? いいから火を貸せ。喫えんだろうが」
「歳とったら絶対禁煙させるからな……」
そんな捨て台詞を俺は吐きながら、今は征歩のモチベーションを上げるために、神術によって煙草の葉を着火。
まだまだこちらも発展途上なのか、俺が知る煙草よりもにおいがきつくない、限りなくただの煙に近い紫煙が、キセルから上がる。
それに気付いた12人は「朝議中に煙草など……」と、あからさまに機嫌が悪い顔で征歩を睨みつけるが、それも征歩の計算の上。
悪い意味ではあるが、混迷していた会議の視線が、征歩に向かって一気に集まる。
「ちっっせぇなぁ、お前ら」
『なっ!?』
それを感じ取った征歩は、不敵に紫煙を吐きながら、まるで気負う様子もなく貴族たちの苦悶を切り捨てた。
当然、長年この国を支えてきた自覚がある彼らが、若輩である征歩にそんなことを言われて、いきり立たないわけがない。
何人かは椅子を跳ね飛ばしながら、立ち上がるくらいだ。
「貴様っ!! 調子に乗るなっ!! 所詮ただの血の流れによって選ばれた下賤な小僧風情がっ!!」
「政治のセの字もしらん若造が……。我等の政に口を出すというのかっ!!」
「貴様は黙ってその席に座っていればいいっ!! 貴様が戴冠したときに、我等が告げたあの言葉を忘れたかっ!!」
「じゃぁさぁ、ひとつ聞くんだがよぉ?」
朝議の間で響き渡る貴族たちの怒号を軽々と切り裂き、張りのある征歩の声が室内を満たす。
「傀儡として扱う俺に、口を出される程度の政しかできないお前らは、いったいなんなんだよ? 行軍中のアリか? 敵から逃げるイワシか? 少なくとも、知恵のある人間にしては、ずいぶんと情けないことしか言ってねーじゃねぇか」
「きっさま……」
とうとう我慢の限界が来たのか、隻眼の軍部最高責任者である中年虎獣人――征威将軍である武志黒麿が腰に差した剣に手をかけた。
が、
「では……あるのかのう、征歩?」
『っ!!』
今まで黙っていた、笑季がようやく口を開く。
ぼけていた時の情けない声ではない。全盛期の彼を思わせる、圧倒的存在感を覚えさせる、狼の遠吠えのような声量の問い。
「大国・瑞の度肝を抜き、我が国を侮らせず、なおかつ手を取るにふさわしい相手だと思わせる……そんなことが可能なものが、我が国にあるのか?」
「あるさ」
だが、その問いかけにすら征歩は即答して見せた。
紫煙と共に、彼の口から王としての一手が吐きだされる。
「身近なモンだ。この国の国民ならだれだって使える……。そういう風に賢気が――神々が整備した物が」
そして征歩が吐きだした煙は、まるで意志か何かを持っているかのように、小さな龍の形になり、彼の肩に着地した。
彼の祖先である、龍姫の加護を得た《変貌》の神術。
「神術だ」
…†…†…………†…†…
そこまで言うならやってみろ。
虚をつかれはしたものの、大国にも神はいると征歩をあざ笑った貴族たちはそう告げ、会議室から出て行った。
そんな彼らの態度を、眉一つ動かさずに受け切った征歩は、最後の一人がいなくなると同時に椅子の上で体勢を崩し、紫煙と共にため息を吐く。
「あぁ、しんど……。あいかわらずこの堅苦しい会議だけはなれんなぁ」
「その堅苦しい空気に合わせる気がない奴が何言ってんだ……」
「そうですよ。キセルだした時は冷や汗が出ましたよ……」
俺は呆れたように、最後に残っていた政子は顔を若干青くしながら、そんなツッコミを征歩に入れる。
だが、征歩はそんな俺たちのツッコミに懲りた様子もなくキセルをふかしながら、くくくっと笑い、肩をすくめただけだった。
「いいじゃねぇかよ。慣れない神皇なんてやってんだ。多少の趣味の持ち込みぐらい目をつぶれ」
「ったく。にしてもよく思いついたな? 瑞に神術――それに相当する何らかの神の加護を得た術式がないことなんて、お前全然知らなかったんだろう?」
そう。俺が知る限り、瑞にはこの国のような守護をしてくれている神々の力を借りて振るう、魔法=神術に相当する術式は存在しない。
一応霊力を使う神秘の法である《仙術》――仙人たちが使う異能=魔法というのは存在するのだが、前の世界でも同じように、そういったやつらはほとんどが厭世的。俗世を蛇蝎のごとく嫌う存在であるため、瑞王朝に仕えてその異能をふるう人間は皆無に等しい。
もとより瑞以前の乱世を嫌い、山に潜り込んだ術者たちが前身になる魔術形態だ。厭世的になるのは自明の理と言えるだろう。
そのため彼らはただ一人で、不老不死や、自らが自然と一体化できる方法を調べるだけで、外の世界にその技術を開示することはない。
だからこそ、現在の瑞王朝には神術のような霊的術式が、ほとんどといっていいほど存在していないのだ。
征歩はどういうわけか、その事実を俺が教える前に知っていた。
「歴史を多少かじれば予想がつくだろう? 片や、神々によって王が選ばれた、生まれたばかり国。片や、長年動乱が続き王朝が何代も変わった国……。どちらの方が、神が多く、加護も受けやすいか? 調べるまでもなくわかるはずだ。それに、唯一全瑞の住人から信仰を得ているであろう始皇帝も、渡来人たちの話を聞く限りは、神として語られているわけではなさそうだしな」
そう。《始皇帝》兎嵐は、結局神にはなれなかったらしい。
国を統一した偉大な皇帝ではあったが、
そしてその力を使い、瑞ができた土地の住民たちを、長年苦しめていた放牧民たちを、撃退した皇帝ではあったが、
それでもやはり皇帝になってからの行いが悪すぎた。
死ぬ間際になって、金にあかせて不老不死の法を探し求めたのもマイナスとなり、彼は神にいたれるほどの信仰を得るには至らなかった。
国をまとめてくれたのはありがたいが、それだけ……。瑞からわたってきた渡来人たちの口からそう聞いたとき、俺には何とも言えない寂しさがよぎったものだ。
「でもどうするんだ? 神術で大国・瑞を歓待するなんて、まったく前例がないことだぞ? 成功する保証はないし、もしも瑞が仙人たちの抱き込みに成功していれば、俺たちの唯一の有利な点も消える。そうなればお前の策は失敗。そして失敗なんかすれば、今度こそお前は傀儡になるしか道はなくなる」
「しょーもないこと気にしてんじゃねぇよ賢気」
だが、そんな俺の心配を鼻で笑いながら、征歩はキセルを斜に咥え立ち上がる。
「やってもないことを心配するのなんてそれこそ不毛だ。失敗したらそん時ゃそん時。また、起死回生の一手でも考えるさ。今は、俺が提示した策を成功させるために、全力で動かなきゃならん」
信頼できる部下は政子だけだしな……。動くなら自分の足を使うしかないってのが神皇としてのネックだなぁ。と、そんな愚痴を漏らしながら、征歩は政子を伴い朝議室を出た。
「どこへ行くつもりですか?」
征歩の行動を不思議に思った政子が尋ねる。
そんな彼女に征歩は言った。
「神術使って使者を歓待するって決めたんだぞ? この国一番の神術の使い手を訪ねるに決まってんだろう?」
…†…†…………†…†…
征歩たちが訪れたのは、明石記で記された神々を奉る数百近い神社を束ねる神祇庁。
「おや陛下? さきほどはご苦労様です」
そして、そこで出迎えてくれたのは、その玄関口で平然と焚き火をしながら《征》とかかれた人形を火であぶっている、呉燈だった。
「……………………………………」
朝議から言うほど時間がたっていないのに、やってきたらこの始末。おそらく神祇庁に帰ってきてすぐ、薪をセッティングして始めたのだろう……。
どんだけ、征歩のこと嫌いなんだ……。と、よほどツッコンでやろうかと思ったが、この調子だと本人の目の前で、嫌いな場所を1000はあげてきそうなので、俺は黙ってその光景をスルーする。
代わりに、直接的被害にあっている征歩は、さすがに黙っていられなかったのか、思わずといった様子で不敵な笑みをひきつらせながら、呉燈を問いただした。
「おい、呉燈……何してるんだ?」
「邪気払いですか?」
シレッとそんな大嘘をつきながら、いまだに人型をあぶるのを止めない呉燈。
というか、征という文字の裏側には、明らかに《殺》という字が書かれているのだが、聞いたら藪蛇になりそうなので聞かない。
「そ、そうか……邪気払いか。ち、ちなみに俺、最近寝ようとするたびに悪夢を見てしまって、寝つきが悪くなっているんだが、それは関係ないよな?」
「おやおや、ようやく効果が……。おっと、いえいえ。関係などみじんもございませんよ? それにしてもそう何度も悪夢が続くとは、いただけませんな。私が直々に邪気払いでも?」
「うん。お前もう隠す気ないよね?」
今度は額に青筋を浮かべて、いい笑顔をする征歩にため息をつきながら、いまにも呉燈に殴りかかろうとする征歩を抑え、政子が前に出る。
「と、ところで呉燈様? 望戸殿は居られますか?」
「望戸ですか? あの娘なら、ちょうど今岩守塚女様に対する祈祷の時間ですので、自分の執務室にこもっているはずですが?」
「わかりました。では少しお邪魔させていただきますねっ!!」
そう言って、「お前いい加減にしろよ!! ただの逆恨みだってホントは気づいてんだろうがっ!! 言いたいことがあるなら賢気に言いやがれっ!!」と、怒鳴り声をあげる征歩を引きずりながら、政子は巨大かつ威圧感のある木造の建築物――神祇庁本社に入っていく。
そんな俺たちの背中を見送りながら、呉燈は征歩の首から下がっている俺に二拍三礼をした後、
「ハァハァ! 賢気様のお姿を本日二度も見ることができるとは!! あなたの姿を見れただけで、わたしはもう……もうっ!!」
と、なにやら感極まった様子で涙を流す呉燈から、俺は必死に視線をそむけ、心に誓う。
あいつが神祇庁頭でいる間、絶対神祇庁には戻らないでおこうと……。
…†…†…………†…†…
「まったく! なんなんだあいつはっ!! ほんとなんなんだっ!!」
「怒っても仕方がないですよ、時間かけて誤解を解いていくしかないんですからっ!! それよりも、今日は望戸さんに会いに来たんでしょ!!」
早く歩いてくださいっ!! と、いまだに憤然とした様子で怒号を上げる征歩を引きずりながら、政子が言い聞かせるように征歩に話しかける中、俺たちはようやく目的の部屋へとたどり着いた。
宮殿のように朱色の装飾がされていない、質素な木の扉。
そこには赤い絵の具で鳥居の形が描かれており、一応部屋の中が聖別されていることを示している。
神祇庁に努める神職――神祇官たちが神に対しての祭礼に使う部屋である証。
そんな神聖な証がある部屋についた征歩は、一応呉燈に対する折り合いはつけたのか、呼吸を落ち着け、
「お~い。入るぞ~」
割とあっさり引き戸に手をかけ、開く。
危険な儀式中なら、突如開いた扉に反応し、その時に起こった瘴気などが襲い掛かってくる可能性があるのだが、仮にも征歩は神の血族。その血が彼を霊的障害から守ってくれるため、そういったことは気にせず堂々と扉を開く。
が、
「うへへへへへへ。いいのですか? ここがいいのですか岩守塚女様」
「い、いやっ!? だめっ!? こ、これ以上は……あぁ、また霊力が……らめぇええええええええええええええええ!!」
そんなどこをどう聞いても勘違いしかできない声と、美しい服を着崩し、頬を上気させながらびくびく痙攣する岩守に、覆いかぶさるようにして荒い鼻息をする巫女の姿に、さすがの征歩と政子も固まる。
無論、俺も思考停止状態くぁwせdrftgyふじこlp;@:!?
「お、おい……何やってんだ?」
一応国の頂点に立つ神皇としての自覚があったためか、真っ先に復活した征歩がそう尋ねるが、牛の耳と角と尾を持つ巫女は、
「ちっ……いいところだったのに」
隠す気もなく征歩に向かって舌打ちした後、
「帰んなさい。俗物にようはないわ」
女性の牛型獣人にしては珍しい絶壁の胸を張りながら、平然と征歩を追い出しにかかった。
「おい、一応俺この国で一番偉い神皇なんだけど」
「たまたま運がよかっただけで神皇になった男が偉そうぶっているんじゃない。今私は大事な儀式の最中なの。邪魔しないで俗物」
「儀式ってお前……ほんと何してんの? 仮にも相手は神様だよ? 見た感じ、お前の方がよっぽど俗っぽいことしているように見えるんだが?」
「失礼なことを言わないでっ! 私はただ純粋な知的好奇心を満たすために、神様からより心地よく霊力を貸していただける方法を模索していただけ! 神術の基本は、演舞奉納や、五穀奉納などによって神様に一定量の霊力の貸与してもらい、自分たちがそれを使うこと。でも奉納したときにもらった霊力がなくなってしまえば、神術は使えなくなる。だからこそこうして、即興で神様に霊力を貸し与えてもらえるように、霊力引き出しの際に神様に気持ち良くなってもらえるようにする、霊力の引き出し方を考案していたんじゃない!!」
そんな彼女の主張に、俺は内心で微妙な顔をしながら、
「あぁ、確かに気持ちよくはなっているみたいだが……」
多分それは、《性的に》が頭についてしまうイケナイ快感だと思うんだ。と、心中で吐露しながら、
「み、みないで……見ないで賢者の石」と必死に懇願してくる岩守のために、目くらましの神術を発動。一時的に彼女の霊体を、誰からも見えない状態にして、彼女が落ち着くまでの時間を稼ぐことにした。
さて、この牛型ひん乳獣人巫女こそがこの国の最高峰の神術使いであり、岩守のほか七柱の神々の加護も受けている天才巫女――照夜望戸。
のちに瑞に派遣された遣瑞使の代表として語られる少女である。
照夜望戸=日ノ本で初めて瑞をおとずれた遣瑞使の代表として語られる巫女。
その外交能力は凄まじく、彼女が持ち帰った瑞の技術文化などによって日ノ本は著しい発展を遂げたことで知られる。
また神術の第一人者としても有名で、近代神術の基礎となる《即興奉納》の術式を編み出したことでも知られる。この奉納法の出現によって神祇官たちはどのような緊急事態でも、好きな時に神の権能である神術を使えるようになった。
ただし、何故かこの奉納方法、初期段階では使用した瞬間、神様の加護が失われる覚悟が必要だったらしい。特に岩守塚女は嫌ったらしく、彼女を奉る因幡神社では、岩守塚女の神託を受けいまだに即興奉納が禁止されている。




