開戦・虎の威をかるなんとやら……。
深い、深い森の中。
人が住むというのに、わずかな食糧の採集の痕跡が見られるだけで、ほとんど手つかずといった森の中を、無数の騎馬に乗った獣人たちが駆け抜ける。
その構成はまさしく雑多。
虎・鷹・蝙蝠・鼠・狐・狼・猪……。無数の獣の尾や耳をはやし、その体にもわずかながらに先祖の痕跡を残す獣人たちは、先頭を駆ける隻腕の虎獣人に従い森の中を疾駆していた。
先頭の虎男が手を横に振り下ろす。
合図だ。
「散開しろ……。狩りつくせっ!!」
男の指示と共に、その集団は三つに分かれ別々の経路を走り出す。
目標である小さな集落を蹂躙するために。
だが、
「残念ながら全部筒抜けなんだよ……。お前らのやってることは」
そんな光景を遠視の神術でしっかり把握しながら、大和に持たれた俺――賢者の石は伝令代わりの思念波を、それぞれの戦場に飛ばす。
「始めるぞ、お前ら……。敵はこっちを舐めてんのか一個小隊しかいねぇ。叩き潰すのに苦労はしねぇさ」
『わかりました』
『私神なのに……』
わずかながらに緊張が感じられる声が響いてきた大風彦。
グチグチ文句を言いながらも、集落を守るために力を貸してくれることとなった岩神。
各々の返答を聞いた俺は、俺を手に持つ大和に檄を飛ばす。
「初めての戦闘だからって怖気づくことはないぞ、大和。お前は強い……。それは確かな事実なんだから」
「わかってます……。父さんに任された集落は、必ず僕が守って見せます」
よく言った! 俺がそう言って大和をほめたたえた瞬間、
「見つけた! 獲物だっ!! なぶり殺してやれっ!」
森から飛び出してきた狼型の獣人に率いられる部隊が、森から飛び出してきた。
その顔には明らかに、獲物をいたぶる快感を覚えた、猛獣特有の狂った笑みが浮いていた。
が、
「とりあえず……小手調べ!!」
大和がそう言って、昔瑠訊が使っていた鉄の剣をふるうと同時に、彼の神術が起動する。
その神術の力を受けて、鉄剣の切っ先から純白の霊力が飛び出し一線の衝撃となって、森から飛び出した馬の足を打ち据えた。
骨がへし折れる音と、馬の悲鳴が同時に上がり、バランスを崩した馬から次々と獣人たちが投げ出される。
「なっ!?」
驚きあわて、宙を泳ぐ獣人たち相手に、
「この程度か?」
舐められているというのは本当らしい……。と、大和は漏らしながら再び剣をふるい、切っ先から霊力を飛ばした。
今度は打撃などではない。鋭さをもち刃物のようにとがれた霊力。それは空中にいる獣人たちに直撃し、その体をやすやすと切り裂いた。
「ば、ばかなっ!? なんだその攻撃は!? 珍妙な術の行使は……龍神姫に匹敵する神しか扱えないはず!?」
突然すぎる仲間の死に愕然とする獣人を見据えながら、大和は再び剣を振りかぶる。
「黄泉で母上に教えてもらえ。私たちの集落に傷をつけたいのなら、一千倍の兵力を連れて来いとなっ!!」
怒号と共に振り下ろされる剣。再び斬殺される獣人たち。
戦の火ぶたが切られた!
…†…†…………†…†…
対するほかの戦場を、遠視の術式で俺は見つめていた。
幻覚の神術で無理やり進路を制限した部隊の一つは、とうとう岩神がいる山頂に到達し、人型をとったあの神格と会いまみえた。
それと同時に大地に激震が走り、馬たちが次々に転倒する。その激震はあたり一帯に伝播し、俺が戦場と定めた大地、すべてを揺るがした。
さすがは自然発生した神様。俺のように女神の制限を受けていない分、その攻撃が与える影響範囲がけた違いだ。
馬から転げ落ち、岩上が放つ莫大な霊力に、悲鳴も上げられず絶句する獣人たちを、岩神は疲れ切った顔をしながら見つめ、
「はぁ……。神とは、争うために生まれた存在ではないのですが」
知恵を持つと獣は面倒になりますね……。と、わずかに自分の行いを後悔したような声音で、益体のないことを呟きながら、岩神はその手をふるった。
手振るった後に残るのは、莫大な力を内包した岩神の霊力。
それは再び振動に変わり、大地に激震を走らせる!
間近で受けた獣人たちはたまったものではないのか、もはや衝撃と言っていい大地からの突き上げに、悲鳴をあげうずくまる。その脳天に岩神の鉄拳が振り下ろされた。
思い出されるのは嫁さがしの際、岩神がその拳をふるい猛獣たちを一撃昏倒させていたあのシーン。
岩神と同じ固さと重量をもつ拳を食らって、あの程度の被害なのだから、むしろあの時の獣たちは幸運だったのだろう。
力加減を間違えたのか、岩神が初めに殴りつけた獣人の頭部が盛大な音を立てて砕け散った。
「あ……」
何とも言えない微妙な顔で、殺すつもりはなかったのに……。と、自分の体についた返り血を見つめていた岩神は、困ったように眉をしかめ、
「えぇ。わかりましたかあなたたち。私に逆らうとこうなりますから……このまま大人しく降伏しなさい」
「「「…………………………………」」」
岩神の降伏勧告に、否を唱える獣人はいなかった。
…†…†…………†…†…
大風彦の戦場でも、一方的な戦いが続いていた。
どうやらこの獣人たち、霊力を使うことがまだできないらしく、原始的な突撃と武器による攻撃しかしてこなかったのだ。
まぁ例え霊力が使えたとしても、岩神の地震攻撃から逃れるすべはそうないが……。
とにかく、岩神の地震の余波を食らい、悲鳴を上げる馬。そしてその馬から転げ落ちる獣人たちを、真っ白に輝く霊力で作られた騎馬に騎乗し、手に持つ長槍で討ち取りながら、大風彦は一直線に自分に向かってくる、敵軍の大将を見据えていた。
木製とはいえかなり頑強そうな鎧で身を包んだ、虎耳と尻尾をはやす隻腕の男。
のこっている手には、無理やり鉄塊に持ち手を付けたかのような、武骨な鉄槌が握られていた。
「この者達を率いている人物とお見受けする」
「いかにも。俺の名は虎武。あんたたちの集落を襲うに当たり先手大将を命じられた!!」
馬の手綱も握っていないのに、足だけで器用に馬を操りながら、虎の獣人――虎武は片手で巨大な鉄槌を操り、大風彦を肉薄した。
「そして、我が片腕の借りを……ここで返すために来たっ!!」
「借り?」
虎武に、借りなんかあったか? と、その言葉を遠視越しに聞いていた俺は、いまさらになってあの事実を思い出した。
夜海を襲い、瑠訊によってその片腕を斬りおとされた虎の獣人のことを。
「あのときの獣人かっ!?」
驚く俺の視界の中で、大風彦はその可能性をとっくに思いついていたのか、驚いたように目を見開きながらも、
「まさか、獣同然だったといわれていた存在が、ここまで流暢に言葉を話せるようになっているとはな……」
龍神姫という存在もかなりの知恵者なのか? と、虎武の背後にいる敵の頭目のことを考えながら、
「っ!?」
虎武が鉄槌を振り下ろす前に、逆向きに持ち替えた槍の石突でその喉をえぐった。
まさしく神速の刺突。
目にもとまらぬ速さで行われたその攻撃を、くらった数秒後に認識した虎武は、目をわずかに見開いた後そのまま白目をむき意識を失った。
落馬する虎武の姿に、他の獣人たちは怖気づいたのか、顔を真っ青にしながら突撃を止める。そして、遠巻きに大風彦を見つめていたのだが、
「さて……次はだれが相手だ?」
大風彦がそう言った途端、悲鳴を上げながら踵を返し、森の中に逃げ込んでいった。
こうして、龍神姫の一回目の侵攻は割とあっさりと幕を下ろした。
だが、本番はここからだということを俺は知っている。
俺がさらに遠くの方へと遠視の視界を移すと、そこには絨毯のように広がる緑の森の中に、虫が葉を食い尽くすかのように、道を作りながら前進してくる真っ黒な大軍がいた。
その数おおよそ4000。ちょうどさきほど大和が行っていたような、千倍ほどの戦力。
「お前が妙なフラグたてたから、変なところで成立しちゃったじゃないか」
「と、唐突になんですか賢者殿っ!?」
あっさりと蹴散らしてしまった敵軍の兵士たちを、地面に埋めて弔っていた大和は俺の言葉に嫌な予感を覚えたのか、冷や汗を流していた。
だが、こちらもようやく相手に相対する手札ができたわけだし……。
「もうすこし、頑張ってみますか……」
岩神が霊力の重圧でとらえている獣人の軍人たちと、大風彦が意識を刈り取った虎武のことを思い出しながら、俺は今後の予定を立てていく。
…†…†…………†…†…
「ほう……。やはり第一陣はねのけられたか」
「やはり……?」
「我の言葉に疑問でも?」
「……い、いえ。ありません」
鷹の翼をもつ獣人が、我――龍神姫の声を聞き真っ青になりながら部屋から出ていく。
あの男にはこの先にあるであろう、我に貸しを作った奴らの集落の襲撃を命じていた。
だが結果は……生存者数名。部隊のほとんどが捕虜。残りは討死という結果。
舐めていたわけではない。むしろ小手調べをするにしては、破格すぎる人数を投入したはずだ。
だが結果は鎧袖一触。
敵はこちらの攻撃など、歯牙にもかけず弾き飛ばした。
「ははははははは! そうでなくてはなっ!!」
ここまでやってきた甲斐がないっ!! と、我は笑いながら、とある神を殺してから手に入れた神通力を使い、全軍に我の声を飛ばした!
「疾く進め! 我の仇敵は近いっ!!」
その声に反応し、地響きのような鬨の声と共に、森を切り開き進む軍の速度が上がる。
我の力の象徴であるその大軍の姿に、我は満足げに頷きながら、あの毛の少ない二足で歩く生き物との邂逅を心待ちにしていた。
…†…†…………†…†…
夜の集落の本家にて。
俺――賢者の石の目の前には、虎耳と尻尾を生やしたおっさん――虎武がいた。
誰得だよ……。と思わずにはいられなかったが、そういう種族を作ってしまったのは自分なので、誰に文句を言えるわけでもない状況を、俺は本気で歯がゆく思う。
が、今はそんなことよりも……。
「お初にお目にかかります。この集落の臨時代表をさせていただいている、瑠偉と申します」
その虎武と、光の映らない視線を交わし合う瑠偉との会談の方が重要だった。
俺たちはそのおっさんから、龍神姫の情報を引き出すための交渉をしているところだったのだ。
「話を聞きたいのなら、拷問でもしたらどうだ? そちらの方がよほど手っ取り早いと思うが?」
「あいにくと、そこまで残虐なことをして、精神的に耐えられる人材がいないので……」
「野蛮人の我々とは違うと言いたげだな……」
「そういうわけでは……」
「だが、言葉などでは決して俺は口を割らんぞ。俺はこの失った腕にかけて、姫様に忠を誓う武人だ。どのような甘言にものりはしない!!」
固い決意をもって自分の言葉をはねのけてくる虎男に、瑠偉が若干困ったような顔をする中、俺は彼女の背後に控えている否麻に、指示を出す。
「それじゃ……あとよろしく」
「うにゅ……。《甘言奉納》ってこういうためのものじゃないんだけど……」
相手を楽しく話させるための話術が、もはや神術の域まで達していた否麻は、相手の口をついうっかり滑らせる術に長けていた。
すなわち……いつの間にか尋問の天才になっていたのである。
巫女ってのは侮れないな……。と、俺は内心で思いながら、
「まぁまぁ、そんなに強情にならないで! あ、どうも! 私は山頂の岩神様の巫女をさせていただいています、否麻って言いま~す!」
「なっ!? なんだ、貴様馴れ馴れしい!!」
ニッコニコ笑いながら虎武に話しかけた否麻にこの場を任せることにして、次の戦いに備えて思考を巡らせる。
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『虎の威を刈るウサギ』
たとえ虎のような獰猛な者でも、ウサギのような知恵者には決して敵わないという諺。
語源は平安時代にはやった説話である『虎兎問答』だという説が有力。
虎兎問答の内容は、頑なに友である竜の秘密を守ろうとする虎が、軽快なウサギの語り口調で、知らない間にその秘密をばらしてしまうというもの。
この原文は『明石記』に存在する因幡羽翔姫が、仏来武霆命を、巧みな話術で説得する一説であるとされている。
浅黄雄亮編 三上山神祇著『バカでもわかる諺』(2012)岩宿出版
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「いや~。にしてもあんな大軍を率いるなんて本当に龍神姫はすごいんですね。私たちの神術を使っても勝てるかどうか」
「ふん! 当然であるっ!! それに貴様らが神術と呼ぶ神の御業程度、姫はとっくの昔に使えるようになっておるわっ!!」
「なるほど、相手も神術は使えるんですね……。でも、話を聞く限り、かなりの偏屈さんみたいですけど……。あなただって、くだらないことで叱責されたこと多くないですか?」
「姫ほどの力があればそれも当然。それにただの理不尽で怒られることは非常に少ない! 一度だけ姫の喉に生えていた逆向きの鱗を触った時は、滅茶苦茶怒らてな。俺は理不尽だと思い憤ったが、あとで聞けば、その鱗はどうやら姫の弱点だったらしい……。なんでも滅茶苦茶敏感で、触られると力が抜けるといっておれらた! 私はその時漸く姫が理不尽で怒ったわけではないと悟り、姫の怒りも甘んじて受け入れられるようになったのだ!!」
「へぇ……滅茶苦茶いい人じゃないですかっ!!」
「だろう! 姫は本当に偉大なのだ!!」
否麻の口車に乗せられてペラペラと、言ってはいけない情報まで撒き散らす虎武の姿を、俺と瑠偉は何とも言えない顔で見つめていた。
「あの人……この後、軍に帰ったらどっちにしろ、龍神姫さんに殺されちゃいそうですよね。弱点まではっきり洩らしちゃってますし」
「言葉をしゃべれるようになっても、やっぱりバカは馬鹿のままか……。とりあえず、いろんな意味で、あいつを龍神姫の軍に返すことはできなくなったな」
「どうします?」
「適当に俺が神術を使って家でも作っておくか……」
何やら別の厄介ごとまで抱えてしまったこの事態に、若干のため息をつきながら、俺は明日の本体迎撃のための作戦を決定した。
「迎え撃つのはここだな」
場所は、以前否麻が鼠の祟り神を鎮めた大平原。
そこで最後の決戦が行われる。
*仏来武霆命=雷神であり武神である、虎の獣神。隻腕で残った手には巨大な鉄槌を持つことで知られる。明石記では断冥尾龍毘売に従い反乱に加わったが、因幡羽翔姫に説得され決戦時には大和高降尊の味方をしていたと記載されている。