明石閑話・天剣神征
とある大学の、教授の研究室にて。
「いや~。なかなか面白い論文テーマだと思うよ? 神話……特に《平定戦争》は、人気があるけど、学術的に真面目に調べようとする歴史学者は少ないからね。日ノ本が一つの王朝によって統一された理由を語る、神代最大のイベントなんだけどねぇ……。日ノ本最古の戦記物語でもあるし……」
「神話の時代なんて歴史的事実が書かれていると思われる資料を探すだけでも大変だし、何より下手な論文を書くと国から睨まれて抹殺されるかもしれないからね……」
「かくいう神話を調べていた私の学友――そうだな、ここではXさんとしておこうか? 彼も似たようなことを調べて、いざ論文発表って段階になった時、突然行方をくらませたんだ。行方不明で届出を出しても警察は取り合ってくれなくてね……。あれはきっと政府の陰謀……って、あれ? どうしたの、突然顔を青くして? もしかして信じちゃった? ごめん。軽い冗談のつもりだったんだけど……」
「やっぱりこのテーマ止める? まぁまぁそう言わずに。ほんと調べたら面白いんだよ。平定戦争は」
「たとえばねぇ……最近ではゲームやライトノベルの題材になることが多いこの平定戦争だけど、もう一つの名前が《天剣神征》っていうのは知ってるだろ? 最近ではどちらかというと、この呼び方の方が定着しちゃっているしね。僕が知っているゲームやラノベでもほとんどこちらの方が使われている」
「むしろそっちが専門です? あぁ、そういえば君そっち系統大好きだったね……」
「大方、平定戦争調べようと思ったのも、ラノベかゲームの影響でしょう? え? 漫画です? 間違えるな? ごめん……」
「でさぁ、いまでこそ、その《天剣神征》は平定戦争と同じ戦争を指すと考えられているけど、実は別の物語があったということが最近の研究でわかっているんだ」
「明石記は読んだこと有るかな? そうそう原文の方。あれの平定戦争の部分を読んでみると分かるんだけど、実は明石記で書かれている平定戦争の視点は全部、皇祖神である《大和高降尊》の視点なんだよね」
「のちに平定する戦争の命運を決めた大和高降尊の父であり、一度高草原から姿を消していた《流刃天剣主》が、いったい息子が戦っている間、どこで何をし……三種の神器の一つである《神宿天剣》を手に入れたのかはすべて謎。明石記にもその詳しい経緯は記されていない」
「だが、明石記を見たら登場する名だたる神々の解説には《天剣に加護を与えた神の一柱》という注釈がつく神が、何柱もいたりするんだよ」
「そう。ゲームでもよくだされる《天剣八神》と呼ばれる、国建神でも最高位の神々。一説では《断冥尾龍毘売》にも匹敵するといわれる、大自然の化身と呼ばれる神々だね。確か大威山の《岩守塚女》もここに含まれていたはずだ」
「じゃぁいったい、この神様の名前はどこから出てきたんだろうという疑問が残る。天剣の加護を強めるために作られた即興神話だって? いやいや。それにしてはかの神々の加護の内容は具体的すぎるし、彼らが守護したといわれる土地もまだ残っている。完全な創作と断じるのはいささか早計というものだよ?」
「そう思って僕は長年、日ノ本神話の最高神《賢気朱巌命》を奉っている《賢石神社》に通い詰めて、資料の提示を求めてきた……。近世の近代化の波すらはねのけ、第二次世界大戦の戦火すら潜り抜けた由緒正しき神社だからね。そこになら何か貴重な文献が残っているんじゃないかと思ったのさ。そしたらとうとう一昨年、僕にある古文書を預けてくれたんだ! って、ちょっとまってよ。自慢話ならきかないって? いやいや聞いといて損はないよ? キミの論文テーマにも大分関係のある話だし」
「いやいや、ほんとだって。自慢話を聞かせるための法螺じゃないって! その古文書も、最新の魔法科学を使った炭素測定で、神代のものだってことが分かっているし、この存在を発表するだけでも世紀の大発見なんだから」
「いや……今は手元にないんだ。青い顔をした学長に取られちゃってね……。学会が発表するかどうかでもめてるらしい……。まったく……いつになったら返してくれるんだか」
「え? タイトル? ふふ……聞いて驚くといいよ。その古文書のタイトルは……」
「《天剣神征》だ」
…†…†…………†…†…
今日は悲しいこともあったが、記念すべき一日となった。だから、日記をつけようと思う。
集落を出てからすでに三日たった。
俺――瑠訊は延々森を歩き続けているだけの単調な日々に、いい加減飽きが来ていた。
本来なら限界ぎりぎりまで走って、略奪軍が到着するよりも一歩でも早く、周辺獣人の集落とコンタクトを取らねばならないのだろうが……。それでも俺は歩いていた。
変なところで体力を使ってはいけない。旅は歩きぐらいのペースで行け。と、賢者の石から助言を受けていたからだ。
性格にやや難があるやつではあるが、賢者の石の助言は間違ったことはあまりない。だから俺はそれに従い、徒歩の旅を続けている。
まぁ、理由もなんとなくは分かっている。周辺獣人の領地は、龍神姫が放った先遣部隊の猛威によってすでに9割がたが壊滅状態。つまり、この周辺の獣人たちを瞬く間に壊滅させる事ができる戦力が、ここには投下されているということ。
獣人たちの集落に着く前に、そいつらと鉢合わせをする可能性も十分あるのだ。走って体力削りきり、戦えませんでは話にならない。
だからこそ、賢者の石は俺に歩けと助言をして、いざというときのための体力温存をするようにしたのだろう。なかなか理にかなった判断だ。
とはいえ、それがわかったところで退屈であることには違いない。正直延々と森の草木を切り払いながら進むのも、もう飽きた。
「はぁ……一つ目の集落はまだ見えないのか?」
ため息を一つつきながら、俺は瑠偉からもらった地図を広げ、賢者の石から授かった《方位磁石》なるものを使い自分の位置を確認する。
だてに天上から物を見ているわけではないようで、瑠偉の地図はとても正確でわかりやすかった。
「瑠偉の地図だと確かこのあたりなんだけどな……」
通り過ぎちゃったか? と、俺が首をかしげた瞬間だった。
森の中を走る風の向きが変わり、
「っ!? これはっ!?」
俺がその風によって流れてきた、何かが燃やされたときの匂いを感じ取ったのは。
その匂いがする方向へ、俺は慌てて走り出す。
…†…†…………†…†…
「これはひどい……」
そこで俺が見たものは、焼けただれた家屋の痕跡と思われる柱と、その周辺に転がっている数人の、獣人の死体だった。
死体はすべて焼け焦げており原型がほとんどわからない。
ただ、触った感触から察した骨の細さから、恐らくはそのすべてが老人だと思われた。
若い男に女……そして子供は、この場には一人としていない。
「兵力としてとらえられたか、慰み者にされているのか……」
どちらにせよ、この集落はもはや壊滅したのだろう。
「早速一歩、出遅れてしまったか……!」
やはりこれからは走るべきか? 俺が内心でそんな風に苦悩し、効率と危機を天秤に乗せ悩んでいるときだった。
『貴様かっ!!』
「っ!?」
俺の頭に直接叩きつけられるかのような怒号と共に、周囲の草木がまるで蛇のように俺に絡みついてきた!!
「なんだっ!?」
『貴様が妾の子らを殺したのかっ!!』
俺があわてて背中の剣を引き抜き、自分を束縛する植物を切り払うと同時に、巨大な何かが俺に向かって襲い掛かってくる。
俺は本能的に剣を突き出し、襲い掛かってきた何かを迎撃。しかしその何かは、自分の体に刃が突き立つのも構わず、その巨体を使い俺を押し倒し、巨大なアギトを開き噛みついてくる!
「くっ! 何だってんだ、いったいっ!!」
当然くらえばただでは済まない。
俺は長年の訓練で生み出した戦闘の勘を働かせ、神術の強化も使って、力任せに自分にのしかかってきている何かを蹴り飛ばす。
やわらかい肉と毛皮……いや、まるで干し草を蹴り飛ばしたかのような感触。そのことを不思議に思いながらも、俺は何かを蹴り飛ばすと同時に立ち上がり、油断なく剣を構え、敵を見据えた。
『許さん……。許さんぞ……。下劣な蛇の使いめ。妾の子らをよくも!!』
「……はは、おいおい賢者の石。お前の予想通りだ」
襲い掛かってきたものの正体は、黄金色の巨大な狐だった。
それもただの狐ではない。その狐の毛皮は、黄金色に輝く無数の稲穂によって作られていたのだ。
当然そんな生物はこの世に存在しない。だとするなら、この存在の正体は一つに絞られる。
「お初にお目にかかります!」
岩神との交流の経験から、この存在には逆立ちしたって勝てないと悟っていた瑠訊は、ためらいなく自らの剣を捨てひれ伏し、自身が御身より下位の存在であるとしめす。
そんな突然の俺の動作に、稲穂を纏った狐は目を丸くし固まった。
その瞳から一瞬だけ敵意が消える。それの隙を見逃さず俺は再び口を開いた。
「わが名は瑠訊。南西の平野にて、賢き赤石の神と偉大なる巨岩の神の加護を受け暮らす民であります」
俺のその言葉を聞いた途端狐の体から緊張が抜けた。
『賢き赤石と巨岩の神? 貴様か? 始まりの獣人を作ったという、大陸からの来訪者は』
「始まりの獣人?」
なんだそれ? と、聞いたことがないその言葉に、俺が首をかしげるのを見て、稲穂を纏った狐は苛立たしげに説明してくれた。
『剣歯の虎。群れ猛る犬。君臨する白月。それらの獣をもとに、育て上げ造られた、二足で歩く種族のことよ……。妾たち神格が、己が子らを育て上げるのに、参考にさせてもらったものたちだ』
「あぁ……。賢者の石がとり逃したっていう獣人嫁候補集団か」
だが、そういう話なら、賢者の石がブツブツ言っていた獣人たちの発展の急速さも納得がいく。
(虎男の時、明らかに育ち方が不自然だって賢者の石が漏らしていたが、他の神様たちもあれをまねて自分を信仰していた存在を作り変えていたのか……。まぁ、あの形になった種族が続々と成功して発展して言ってるんだから、それも当然と言えば当然か?)
神であっても意志がある以上、自分が加護を与えた存在の発展を願わないわけがないんだ。だったら、成功した種族を参考にし、自分たちの加護を与えた存在を成長させるのは当然といったところか? と、そんな風に俺は納得した後、
「はい。その通りでございます。あれらは我が神……賢き赤石の神が作り上げました」
『ふん。そうか……』
俺の肯定の言葉に、どうやら稲穂を纏った狐は警戒ランクを一つ下げてくれたらしく、焼け落ちた村に満ちていた威圧感が、一段階下がった。
もうすこしで、話を聞いてもらえる程度にはなるか? と、俺が期待していた時。
『だが、それが虚言でない証拠はどこにある?』
「…………………………………」
ここでそう来ますか……。と、再び跳ね上がった威圧感にダラダラ冷や汗を流しながら、俺は必死に先ほど地面に置いた剣を、稲穂を纏った狐に差し出した。
「これはわが賢き赤石の神と、巨岩の神が加護を与え造られた剣でございます。その力の残り香……仮にも同じ神ならばかぎ分けられようと、我等が神はおっしゃられておりました」
俺がそう言って差し出した剣に、稲穂を纏った狐は鼻を近づけ、においをかぐ。
(納得してくれよ……。俺今これくらいしか証拠がないんだから……)
俺が必死にそう願いながら、剣を掲げ続けてから数分後。
『いいだろう。確かのこの剣から感じる神気からは、あの下劣な蛇の匂いは感じられん……』
そういうと、突然あたりの威圧感がなくなり、ポンという音と共に稲穂を纏った狐が消失。
「は?」
代わりに出てきたのは、出るところは出て引っ込むところは引っ込んだ矢鱈と悩ましい体をもった、絶世の……狐耳と尻尾が生えた美女だった。
しかも、全裸の。
「いつまでも本性の妾と対峙するのは疲れるだろう。面を上げることを許す……。妾は稲穂隠れの獣人の神をしておる。穂群じゃ。他神の民ゆえ尊称の省略を許そう」
俺はそのあまりに美しすぎる神の姿に、唖然とした後……柏手を打って拝み倒した。
「いえ……。私の神は今からあなたになりました」
「フェ!?」
あぁ!! 女の裸なんて久しぶりにみたぁ~!! ゴメン、夜海。浮気みたいな真似して……。でも仕方ないよねっ!? 二十年近くずっと女日照りだったんだもん!!
必死に内心で言い訳する俺の耳に、西南の方向から「「おいっ!?」」という二人の神からのツッコミが入った気がしたが、今は全力で無視することにした。
…†…†…………†…†…
結局俺の礼拝は、「話が進まんわ!!」とキレた穂群が、本性に戻ることによってひとまずの終息を見た。
そしてお互いの交渉の末、穂群が本性の時、俺は確かに威圧を感じるが、言うほど負担ではないということがわかり、穂群は本性のまま、俺を背中に乗せて自分の拠点へと案内してくれることとなった。
『まったく……人の姿より本性の方が落ち着くとは。変わった奴め』
「いや、スンマセン。でも、むしろあの姿だったら村の男たちも落ち着かなかったと思いますけど?」
『下らん。神に懸想する不埒物など、妾の子らにはおらぬわ。まったく大陸の偉大なモノと、山頂の巨岩は何を考えておる……。いくら我が子がかわいいからと言って締めるところは締めねば駄目じゃろうが』
グチグチ賢者の石や岩神様に文句をたれる穂群の姿は、どことなく出来の悪い妹や弟をしかりつける姉のような、しっかり者の印象を受けた。
「それにしても、まだ拠点が残っていたのですね。てっきり集落の関係物はすべて焼かれたものかと?」
『ふん。戯けが。山頂の岩神と同じように生まれた妾だぞ? 獣たちの信仰を集めるに足る何かが、妾の源泉となったに決まっておろう』
「あぁ、言われてみれば……」
岩神様だって、元は獣たちの畏怖に、地下から吹き出す霊力が反応して生まれた神様だって話だし……。と、賢者の石の豆知識を思い出していると、穂群の足が止まった。どうやら俺は到着したらしい。穂群の本質となった何かへと。
だが、周囲の景色を見てみてもそこは今までと変わらぬ森が見えるだけ。
岩神様に匹敵する、畏怖を抱くような何かは見つからなかった。
「えぇ……っと。担がれておられるのですか? 穂群」
『違うわ。どこを見ておる。下を向け』
「下?」
俺は首をかしげながら言われた通りに下を向いた。その視線の先はなだらかな下り坂となっており、この場が小高い丘陵になっていると俺は初めて気が付いた。
そして、
「これはっ……」
初め、それを見たとき俺は驚いた。
なぜならそれは、俺が大陸の故郷で見たのと同じ風景だったから。
「田園……いや、水が引かれてないし、区画も整備されていない。まさか、自生しているのかっ!?」
穂群と同じような黄金に輝く実をつけた、稲穂。
それが所狭しと並ぶ巨大な平原が、俺の眼下に広がっていた。
『万年稲穂。妾の子らはそう呼んでいた。どういうわけかわからんが、ここで実った稲穂たちは枯れることも減ることもなく、いつでも黄金色の実をつける。妾の子らの体毛はこの稲穂の色に近くてのう。この場は妾の子らが隠れるにはもってこいの場所であった。だから妾の子らはここに住みつき、妾の子らがこの場所に畏怖と感謝の念を抱き始めたときに……妾の意識が生まれたのだ』
そう言って懐かしむように目を細める穂群の毛皮を、俺は思わず握りしめた。
稲穂が枯れず減らない理由は、おそらくこの場所が岩神様の鎮座する場所と同じ、霊力の噴出地点であること。そして、その噴出された霊力が、稲穂たちの《育ち、実りたい》という意思を受け、稲穂たちを変質させたことが考えられたが、
今はそんなことはどうでもいい。重要なのは、
「また米が食えるぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
『うぉ!? な、なんだ!?』
突然喜びだした俺に、驚いた穂群が思わずといった様子で飛び上がる。
そんな風に騒ぎながら、この神様とは絶対友好的な関係を結ぶと心に誓った俺は、口早に穂群に話しかけた。
「ほ、穂群? いや、穂群様!? 何かしてほしいことあります!? 何かやってほしいことありますッ!?」
『な、何だ、急に? どうしたのだ、気持ち悪いっ!?』
そこまで言うかよ……。と、思わず素に戻ってツッコミを入れかけたが、俺は必死にそれをこらえ揉み手をしながら、
「いえね。あなたとはぜひとも龍神姫を倒すために同盟が組みたくて……。周囲の獣人の集落と友好を結んで、戦いになれば協力しあう関係になってこいと、うちの神様たちに言われているんですよっ!!」
『あぁ、なるほど。貴様はそれが理由でここにやってきたのか……』
ひとまず拠点で落ち着いてから聞こうと思っていたんだが……。と、漏らす穂群のつぶやきを、話を迅速に進めるために、しかたなく聞こえないふりをする。
し、仕方が無いんだよっ!? だって米が手に入るかどうかの瀬戸際だぞ、こっちは!?
『だがすまんなぁ。見ての通り妾の子らは殺されるか、攫われるかしてしまったせいで、全滅に近い状況だ。あの下劣な蛇を殺す協力は到底できん……。戦力としての妾達は、もはや妾ぐらいしか期待できんが、妾もこの土地に縛られる身。あまり遠出はできん』
「いいえ、かまいません。戦力としてなんて全然気にしてないですからっ!! いえ、むしろいざピンチになったらこっち見捨ててくれても構いません!!」
『おい貴様。自分でそれを言うのはどうなんだ?』
「はっ!?」
あ、危ない危ない。米の魅力の前に思わず我を見失ってしまうところだった。と、俺があわてて深呼吸をして、自分をクールダウンさせていた時。
『だが、そこまで言って協力をもちかけてきてくれるのは悪い気はせん』
「え?」
『その話、うけてもいいと妾は思っておる』
「じゃ、じゃぁ!!」
ようやくうちの集落で米が食えるのかっ!? と、本来の目的をすっかり忘れ、歓声を上げかけた俺に、
『だが、それには条件が二つある』
「条件?」
冷水がぶっかけられた。
『そう。一つは今無理やり下劣な蛇に従軍させられておる、妾の子たちの命の保証』
「それはもちろん。無理やり戦わされているやつらを、手にかけるような真似は決してしないとここに誓いますよ」
それは戦士として基本的な矜持だ。見くびらないでもらいたい。
『二つ目は……この子の保護じゃ』
そう言った瞬間、穂群は「コ―――――――――――――――――――――――ン!」と、狐らしい鳴き声を眼下に広がる黄金の平原一帯に響かせた。
それと同時に、平原の一か所がわずかに揺らめき、その色と同じ髪をもった小さな頭が、平原の中からひょっこり顔を出した。
「ほ、穂群様? 帰られたのですか?」
そう言ってこちらに近寄ってくるのは、先ほど人化した穂群と同じ、黄金の長いまっすぐとした髪に、狐耳と狐の尻尾を生やした、6歳ぐらいの質素な服を着た少女。
『この子は先の下劣な蛇の襲撃から免れた、唯一の妾の子だ……。だが、この場所もいつ下劣な蛇に見つけられてしまうかもわからん。だから、貴様の旅にこの子を同伴させてほしいのだ』
「は?」
いや、待ってください穂群様。俺の旅結構危険な旅でして……。俺も死ぬ覚悟で従事しているわけでして……。正直そんな旅に子連れはちょっと……。
と、俺はお断りを入れようとしたのだが、
『貴様のように常に一か所にとどまらぬ旅人の方が、むしろあの下劣な蛇の軍勢に見つかりがたいと妾は睨んでおる。何せこの子が生き残った理由も、一人で遅くまで山菜をとっておったからだしのう。おそらく奴らは軍勢対軍勢の戦いを重視するあまり、個人に対しての警戒がおろそかになっておるのだ。そこをつきさえすれば、この子が生き残れる可能性はぐんと増す』
「………………………………………」
なかなかおいしい情報を頂いてしまい、俺はさらにこのお願いを断りにくくなってしまった。
さらにとどめと言わんばかりに、
『ん? なんだその顔は? もしかして、神の言うことが聞けんのか?』
最後には脅してくる穂群に俺はダラダラ冷や汗を流しながら、
「あ、あの穂群様! 頼みごとをしているのにその言い方は……」
『かまわん。どうせこの男も、背後にいる子の男の神も、下劣な蛇対策という打算で動いておるのじゃし、せいぜい使ってやらねば対等な契約とは言えぬだろうよ』
最後にその話を持ち出されてしまっては、ここで否やと言えるわけもなく。
「はぁ……。えっとキミ? 名前はなんていうのかな?」
俺はいろいろ諦めることにして、ひとまず目の前のキツネ獣人の少女に名前を尋ねた。
少女はそんな俺に目を丸くしながら、一つ頭を下げ、
「あ、あの……稲納と言います。よろしくお願いしますね……ええっと」
「瑠訊だ」
「はい! 流刃様!!」
どうやら盛大な勘違いをされているようだと思いながら、新たな旅の仲間を手に入れた。
*天剣神征=明石記の大和高降尊視点の平定戦争とは違う視点、流刃天剣主の視点によって書かれた平定戦争の記録。
その内容は明石記に記載されていなかった、天剣に加護を与えた神々との交流の物語で、流刃天剣主がいかにその神々を屈服させ、その力を天剣に宿したのかが記されている。
のちに、あまりに《天剣八神》をないがしろにしたこの物語の内容に激怒した流刃天剣主と、天剣に加護を与えたとされる《天剣八神》の祟りによって、王宮に落雷の被害が相次いだため、朝廷は明石記のようにこの物語を普及させることを挫折。原本は厳重に封印され、当時最高神・賢気朱巌命を奉っていた神社に奉納された。
ちなみに第一章は、流刃天剣主と豊穣神《金矢穂群女》の恋物語であったが、どういうわけかその話だけは、写本も、原本のほうも黄泉の瘴気的ナニカで溶かされてしまったため、だれも読むことができない失われた物語となった。
なお、現在の学会ではこの物語の発表をどうするかで、いまだに論争が続いている。
この物語を発見した歴史学者は、もうすでにこの物語の内容を読みつくし論文を一本書きあげてしまったらしいのだが、その論文の発表時期は未定のままである……。