平定戦争 始まった動乱の時代
サンサンと朝日が降り注ぐ畑で、一人の少年が鍬をふるっていた。
ただの木製の鍬であるにもかかわらず、名剣がごとき切れ味をもって深く大地をえぐる鍬。
それには簡素ではあるが、神術による強化が施されている。もともとは霊力の制御訓練のために作り出された神術なのだが、霊力の制御がほぼ完璧といっていい領域に至ったこの集落の住人達は、今やすっかりこの神術を洗濯バサミばりの便利スキルとして、使うようになってしまった。
「まぁ、集落が豊かになるのに不満はないけどな……」
もっと一子相伝の貴重な修行法として、継いで行ってほしかった……。と、俺――賢者の石は、自分の渾身の力作である《いろんな意味での強化神術》のなれの果てに、内心で涙を流す。
そんな俺をもちながら、少年――大和を見つめていた瑠訊は、小さくつぶやきを漏らした。
「大和も立派に成長した……」
「お前はすっかりおっさんになっちまったしな……。当然と言えば当然か?」
大和が更生してからもう10年の月日が流れた。大和は現在15歳。瑠訊や瑠偉たちに至ってはもう40に片足が乗りかけている。
戦国時代の武将の歌では「人間50年」が昔は常識だったようだから、もうそろそろ彼らも寿命による死を意識し始める年齢に至り始めていた。
その顔には後悔は浮かんでいないように見えた。
愛しい人と結ばれて、立派な息子まで作って、彼らは本当に幸せな生涯を送った。
「唯一の心残りは、結局瑠偉たちに子供ができなかったことかな?」
「夜海の一件があるからな……。あいつらが無意識のうちに霊力を使って、避妊していたのは仕方がなかったかもしれんな」
そう。結局結婚した瑠偉たちには子供ができなかった。それは、出産によって夜海が死んだことによって、彼らの奥に刻まれた無意識の、出産という行為に対する恐怖が生んだ悲劇であった。
大気に満ちた霊力が、彼らの深層心理に刻まれるほどの強い恐怖心に反応し、瑠偉や大風彦に避妊の呪詛をかけていたのだ。
そのため、彼らはもう生涯子供をなせぬ体になってしまっていた。
俺があまりに妊娠が遅いとおもい、調べたら発覚したのだ。いつも笑っていた大風彦と瑠偉夫婦も、この時ばかりはさすがに意気消沈していた。
だが、今はそれも吹っ切ったのか、子供ができないならもっと二人の絆を強くしようと、それ以前とは比べ物にならないくらいイチャイチャしだし、
「大風彦様」
「なんだ? 瑠偉」
「ふふっ……なんでもない」
「なんだ、それ?」
「だってもう言う必要もないでしょう?」
「なにを?」
「今私がとっても幸せだって」
「……あぁ。そうだね」
今も幸せそうに笑いながら、一緒に洗濯物を干していて……。
「ぺっ……」
「お前は本気でああいった二人を見ると態度悪くなるよな……」
「石に生まれたこの身が憎い……」
もうそろそろ彼女いない歴が2000年に至ってしまいそうなため、瑠偉たちを見て噴出しかける醜い嫉妬を何とか抑えながら、俺は瑠訊に話の続きを促した。
「で、そんな話をしだしたってことは……そろそろお前は行く気なのか?」
「あぁ。いつまでもこのままにしておくわけにはいくまい」
そう言って瑠訊は、最近俺に作らせた片刃の鉄剣を手に取り、鏡のような美しい刃に自分の顔を映した。
若き頃の精悍な雰囲気を残してはいるが、だんだんとしわが目立つようになってきた顔。それをまじまじと見つめた後、
「明日俺は……この集落を、出る」
固い決意を俺に告げるのだった。
…†…†…………†…†…
「集落を出るとはどういうことですか、父上っ!!」
夜。大事な話があると本家に呼び集められた集落の面々は、神妙な顔で瑠訊の集落出立の話を聞いていた。
納得していないのは、まだ幼く大事な会議からは外されていた大和だけだった。
だからこの集会は、はっきりというと大和を納得させるための集会ともいえた。
黙って出て行ってもいいと、俺は言っていた。面倒なガキの説得は俺たちに任せて、瑠訊には自分の任務に没頭してほしかったからだ。
だが、それでも瑠訊は父親として、大和に自ら話をすることを選んだ。
「俺たちの周囲に、集落をつくっている獣人たちについては知っているな?」
大和の抗議の声をひとしきり聞いたあと、瑠訊はようやくその重たい口を開く。
「賢者の石様が作られた母上の同類ですよね? 母上を襲ったこともあると……。でも、その獣人たちの侵入は、賢者の石様と岩神様の結界によってはばまれているはずでは?」
「実はそうではない。賢者の石が張っている結界は、知能がない猛獣をよけるためのものだし、岩神様が使っている結界の正体は、神の威圧感を使ったちょっとした警告だ。集落をつくりどんどん子孫を生み出し繁栄していっている、知能ある獣人たちの侵入を防げるような上等なものではない」
「なっ!?」
「だからこそ、俺はお前たちを守るためにその獣人たちの集落を訪れようと思っている。彼らと交渉し友好を結ぶ。少なくとも不可侵の約定は交わしたい。そうすることによって、私はお前たちが平和に過ごせる、この集落を守りたいんだ」
瑠訊が告げた集落出立の目的に、大和は思わず絶句した。
そんな大和を落ち着かせるためか、太陽の瞳でずっと獣人の監視を続けてきていた瑠偉は、いまの獣人たちの生活に関しては、包み隠さず大和に教えた。
「安心しなさい大和。彼らも随分と知能をつけ、狩りのほかにも畑作を行うようになり、言語や文字のようなものを操りだした部族もいます。夜海姐さんが襲われたときのような、獣に近い本能のまま暴れる部族は今や少なくなっています」
「で、ですがっ……いないわけではないのでしょう!? もしもそんな部族のもとに父上が間違えて訪れてしまったら、幾ら父上であっても命が危ない!」
瑠訊ももう若くはない。剣の腕は歳をとるたびに老練になり、もはや俺のいくつかの世界改変を叩き切れるくらいの冴えを見せてはいるが、やはり腕力が衰え始めている事実は変わらない。
――この前、畑の開墾に邪魔になった岩を持ち上げさせたら、腰から嫌な音が響き渡ったし……。
絶対集落の人間にはいうな!! と、瑠訊が顔を真っ赤にして、腰に手を当ててもだえていた時のことを思い出しながら、俺は大和の心配も当然だと思った。
だが、だからこそ、この役割は今の瑠訊にこそふさわしいのだ。
「そうだ。この仕事は危険なものだ」
「だ、だったらっ!」
「だからこそ……老い先短い、俺が行かねばならない」
「っ!!」
「大和。お前は立派になった。だからこそ、お前はこの先この集落を引っ張っていく存在にならねばならない。そのためにお前は、私たちの中で誰よりも、長生きをしなければならないんだ」
そこまで言った瑠訊は、先ほどまでの険しい表情を崩し、今にも泣きそうになっている大和の頭に手を置いた。
「俺がもう、お前に教えられることはすべて教えた。そして、俺がこれからお前に贈れるモノはひどく少なくなった。だから、この集落の平和が、俺からお前に贈れる最後のものなんだ。そんなくだらない、父親の最後の贈り物のために、わかってくれ、大和」
「……卑怯です。そんなことを言うのは、卑怯ですよ……父上」
大和は最後に泣きながらそう漏らしたが……それ以降、瑠訊を引き留める言葉を口にすることはなかった。
…†…†…………†…†…
「あれは教えなくてよかったのか?」
瑠訊がこの集落にいる最後の夜。俺は傍らに杯を備えられながら、瑠訊の酒に付き合っていた。
「言わん方がいい。集落の人間全員でそう決めたんだ。これ以上大和にいらん心配はかけられんとな」
「……そうだな。そっちの方がいい判断だっただろう」
俺は傍らの盃に継がれた酒を、作り出した空間の穴に取り込み、酒をたしなむふりをしながら、数日前瑠偉が告げてきた信じられない事実に頭を巡らせた。
「今は……どれくらい残っているんだったか?」
「二割……。いや、今日瑠偉に聞いたら一割残っていたら、いいところだという話だ」
「信じられん侵攻速度だ……。いったい何者なんだ? 奴らを併呑していっている《龍宮殿》の《龍神姫》ってやつは?」
瑠偉の天の瞳が告げた信じられない事実。
突如生まれた巨大勢力が、見る見るうちに周りの獣人の集落を飲み込み、巨大な略奪軍を結成。こちらに向かって進軍してきているというのだ……。
瑠偉は大和に嘘はつかなかった。獣人たちが知能をつけ始めたのは瑠偉の言うとおり、事実なのだから。
だが知恵をつけたからと言って、それが必ずいい方向に作用するとは限らない。
獣人によって作られた巨大勢力の侵略。獣人が知恵をつけたからこそ起った、最悪の展開だ。
だからこそ、瑠訊は慌てて周囲の獣人の集落と連絡を取り、この巨大勢力に備えようとしているのだ。が、
「正直奴らの略奪軍の末端は、もうこの地域付近に手を伸ばしつつある。本隊が来るのも時間の問題だろう」
「付近の獣人残存勢力が一割を切るか……。激突することになれば、こちらの神術があるとはいえ、厳しい戦いになりそうだな」
俺がそう漏らすと同時に、瑠訊は一気に杯をあおりその中の酒を飲み干した。
「だが、やらねばならない」
そう言った瑠訊の瞳には、鋼のような覚悟が見て取れた。
「ここはさ、俺と瑠偉があんたから与えられて、細々と始まった小さな集落だ。今この列島を騒がせている一大勢力からすれば、塵芥にも満たない、下らんもんだろうさ……。でもなぁ、おれにとっちゃ、瑠偉や大風彦。岩神様や、夜海や否麻。そしてお前と……大和の思い出が詰まった大切な場所なんだ。みすみす不逞の輩に蹂躙させたりはしない!!」
そして、叩きつけるように杯を床に置いた瑠訊は、夜海の遺骨が沈んでいる、三日月の入り江に祈りをささげた。
「だから夜海。頼む……。冥界からでも構わない。どうかお前も、俺たちの大切な場所が守られるように……祈っていてくれ」
「……………………………」
俺は、そんな瑠訊の真摯な祈りを黙って見届けた。
夜海が宿っているような明るい満月の光が、祈りをささげる瑠訊を照らし続けていた。
…†…†…………†…†…
そして翌朝。
「じゃぁ、行ってくる!!」
片刃の鉄剣背中に背負った瑠訊は、いつものように快活に笑いながら、朝もやの中に消えて行った。
俺たちはそんな彼の背中が見えなくなっても、いつまでも彼が消えた方向を見つめ、彼の旅の無事を祈った。
*平定戦争=各地で起こった戦乱を流刃天剣主や大和高降尊が平定し、この国の真の支配者になった戦争。
形としては断冥尾龍毘売が率いた無数の国建神の反乱であったと明石記は記しているが、真偽のほどは不明。
歴史学者の中には『日ノ本を統一するため行った侵略戦争を、王家に都合よく解釈するために作られた、偽の神話ではないか?』と発言する者もいる。