ショーウィンドウ
風に錦の色がつく季節。 女は一人、夜の真ん中にいた。
吹き付ける風の中に、将軍殿の靴音が聞こえてくる気がした。
女は一人、歩く。どこへともなく、ただ足を進める。日に日に増していく寒さの中でも、歓楽街に程近いこの通りには人々の陽気な笑い声が響き渡っている。 友人と笑いあげる声、肩を寄せあって微笑み合う恋人逹……
色とりどりの表情が溢れる街中で、女は泣き出しそうな自分を真っ暗なショーウィンドウにみとめた。
─……私は、どこへ行きたいのだろう。
ガラスの中の自分に問いかける。
一人暮しの部屋。一日を終えて帰宅したワンルームでは、どうしようもなく持て余す孤独が女を待っていた。
寂しい。と表すにはあまりにも寒々しく、皮膚に突き刺さるような孤独感から逃れるように女は夜の通りを歩いていた。
会いたい人には、会えない。
弱味をさらけ出してしまえば、やっとの思いで繋ぎ留めている気力すら飛び去ってしまいそうで、出来ない。
何が怖いのか。
何が足りないのか。
自分の中で暴れまわる感情に、どうしようもなく打ちひしがれていた。
ただ気が向くままに進める足は、ひどくのろのろとして、伏せた目に映るのは、自分の靴の爪先と枯れ葉がへばりついたアスファルトのみ。
顔をあげると、営業時間を過ぎたショーウィンドウに迷子の様に泣き出しそうな顔をしたいい歳の女が映ってしまう。それは、あまりにも惨めで……。
何時だったか。仲間逹とわいわい騒ぐなかでもどこか冷めていて、何をしていても、水槽のような透明な箱の中に自分だけ入っているような気がしている自分に気付いたのは。
なにかが違う。けれども、何が"違う"のかわからない。顔では笑い、騒がしい仲間に会わせて自分も騒いでも、何かがずっと引っ掛かっていた。
そんな自分に気付いてからは、何となく人と関わるのが億劫になってしまった。
そして、いつのまにか家族にすらも隔たりを感じ、見えもしない腹の中が気になってしまうようになった。
ー……面倒臭い。
何よりも、女にとって自分自身が面倒で不可解な存在だった。
もて余した孤独感。
暴れだしそうな不安感。 それらが合わさり、胸を焼き尽くすような焦燥感が、のろのろとでも足を進めていた。
思い付きで出てきた夜の街は、さらりとまとったポンチョで凌ぐには風は冷たすぎた。
ふと、顔をあげると見慣れたマークの看板が目に入った。全国チェーンのコンビニエンスストアが、白い蛍光灯の明かりを路上に落としている。
─温かい飲みものでも買おうか…。
ピンポーン。と、やけに無機質なチャイムを聞きながら自動ドアを潜る。
温かい飲みもののコーナーを探しながら、ぶらぶらと店内を歩く。
有線からか、懐かしい曲が流れてきた。
恋の楽しさと、溢れるような想いを歌った歌詞がひどく冷めきっていた女の鼓膜を振るわせた。
手にしたホットココアの温もりが、懐かしい曲と一緒に女の胸で暴れていた焦燥感を静かに鎮火させていく。
レジで会計を済ませると、買い物袋を右手に下げて歩き出した。
女の耳に、先程聞いた曲が柔らかく残っている。 その旋律を口ずさみなから来た道を歩く。
通りは相変わらず夜の真ん中にあり、行き交う人々は夜を楽しんでいるように見えた。
鼻唄を歌いながら歩く女の耳に、行きには気づかなかった音が次々飛び込んでくる。飲み屋のBGMやカラオケの呼び込み、街路樹が冷たさを増した風に葉を揺らす音。
音に気付いてあげた目に柔らかな明かりに浮かび上がる夜の通りを映った。
─……あぁ、そういえば夜は綺麗なんだったな。
女は自分が、シルクのような闇のなかで昼間よりも近く他人の存在を知らせてくれる夜の雰囲気が大好きなことを思い出していた。孤独にうちひしがれ、寂しさに震えていた最近は、大好きな夜の雰囲気を楽しむ余裕すらなくしていた。
──私は何を焦っていたんだろう。
上手くいかない何もかもに嫌気が指し、自分は何て無能で幼稚なのかと絶望し人と関わることに怯えていた。そのうえ、ちっぽけなプライドにすがって他人に弱味を見せまい、誰にも頼らずに立ててこそ大人なのだ、と思い込もうとしていた。
身の程知らずも良いところ。その結果が孤独感をもて余しての夜への逃避。 全部、身から出た錆じゃないか。
そう思うと、なんだか笑えてきた。
想い出の曲を口ずさむ女は、真っ暗なショーウィンドウに吹っ切れたような顔でココアの入った袋を下げた自分を見つけた。
下らないプライドが自分を孤独にさせるなら、そんなものはかなぐり捨てて歌えばいい。
私は、ここにいる。
生きてる限りは生きなくてはならない。自分の身を自らで立てていくことが一人前なら、どうせ私はまだ1/4人前ぐらいだろう。
軽くなった足で帰路に着く女の頬に滴が落ちてきた。
柔らかな明かりに浮かび上がる街に、静かな雨が降りだした。
雨の中で街がうすぼんやりと輝く。
女は、髪に頬に肩に降り注ぐ雨粒を感じなから軽い足取りでワンルームへの道を歩く。
ふとガラスに映ったポンチョの女は、嬉しそうに夜の街の中で生きていた。