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別れと始まり

作者: 夙夜

 暖かい風が駆け抜け木々の枝を揺らし、その先に付く桃色の小さな花弁を散らす。

 暖冬により咲くのが早まり、既に散り始める桜。

 それは、僕に十一ヶ月前――去年の桜が咲き誇る時期を思い出させる。

 嫌な思い出だ。

 忘れれば楽になるだろうと、幾度となく思った。

 でも、忘れるのは嫌だった。

 忘れるのは、彼女を失うのは、嫌だった。


 原因は、教師の飲酒運転だった。

 その教師は何度か勤務中の飲酒を校長や教頭に見付かり注意を受けていたがそれでも止めず、そしてその日、飲酒している場を見られ、退職を申し付けられていたらしい。

 彼は校長達に稚拙な呪詛を述べた後、学校に持ち込んでいた酒をその場で飲み尽くし、ふらふらの状態で車に乗り込み帰宅しようとした。

 その時刻が部活動終了のそれと重なっていた事も、あの事件の原因の一つだろう。

 彼の運転する車はどれほど甘く見ようと安全な走行ではなく、生徒のいる正面玄関にクラクションも鳴らさずブレーキも踏まず走っていた。

 その進行方向、桜並木に挟まれる道に、僕達はいた。


 そして、

 僕の目の前で、

 彼女は、

 車に轢かれた。


 今でも僕の脳裏には、隣で僕の冗談に笑っていた彼女の笑顔が、後ろを振り向き驚いた彼女の顔が、その直後に蹴られたサッカーボールの様に宙を舞った彼女の体が、助けを求めるように僕に腕を伸ばす痛みに歪んだ彼女の顔が、すぐに力尽き地に落ちた彼女の腕が、一瞬の間を置いて響いた皆の悲鳴が、焼きついている。


 今日で僕はこの学校を去る。

 卒業だ。

 ここに来る事は、この場所に来る事は、もう無いだろう。

 最後にここを立ち寄ったのは、感傷だろうか、同情だろうか、切情だろうか。

 それとも、忘れる為だろうか。

 いや、判っている、忘れられない事は。

 だから、これはきっと、お別れ。

 彼女がいなくなった事を否定していた自分にけじめをつけ、彼女を認め、そして、前に進もうとする、準備。

 歩き出す為の、通過儀礼。

 僕は彼女のいなくなった場所に膝をつき、手で触れる。

 涙は出ない。

 もう出し尽くした。

 それでも、瞼は何かを搾り出すように強く瞑られ、僕はそのまま、目を閉じたまま、彼女に語りかける。

 新しい学校で、僕は何か始めようと思う。

 それで何が変わるかなんて知らないけど、それでも、確実に変えられるものがあると思うから。


 僕は、君がいなくなって止まっていた時間を、動かそうと思う。

 

 目を閉じていたのはどれ位か。

 僕はゆっくりと立ち上がって目の前の桜を見上げる。

 彼女の好きだった、この学校を選んだ理由でもあるこの桜は、彼女のいなくなったこの地で未だ咲き続けている。

 もし、人に霊というものがあったとしても、彼女はもうここにはいないだろう。

 だから、お別れの言葉はこの桜に。

 僕は言葉を紡ぎ、静かに後ろを向いて、ここを離れようと足を上げる。

 え――?

 彼女に向けた背中、踏み出そうとした一歩、しかし、前に進んだのは、自分の力じゃなかった。

 優しく、励ますような、後押しするような、暖かい温もりが、そっと、僕の背を押した。

 前に出た右足が地面を掴むと同時、僕は弾かれるように後ろに振り向く。

 そこには先程同様、散り往く桜の木が生えている。

 だが、その桜と僕の間に、笑顔があった。

 彼女は、そこで、笑っていた。

 柔らかい風に彼女の長い髪が揺れ、僕の目はそこに奪われる。

 その僕の目を縫いつけたまま風はいきなり勢いを増し、散った桜の花は僕の視界を横切り、しかしすぐに前から後ろへ、僕を押すように吹き抜けてゆく。

 桜吹雪の後、開けた視界、そこに、彼女の姿はもうなかった。

 幻覚だと判っている。

 僕の望んだ姿だったのだと判っている。

 それでも、彼女の笑顔を見る事が出来た。

 自然、僕の口元にも笑みが広がる。

 何だ、君は、僕の心にいるのか。

 気付けた事で軽くなった身体を回し、今度は、自分の意思で一歩を踏み出す。

 空を見上げれば空は蒼く、何処までも深い。

 歩みを進め、柔らかく吹く暖かい風に顔を洗い、僕は大きく吸い込んだ息を吐く。

「……よし、やるか」

 一足早く桜は散ってしまったけど、春はまだこれからだ。

 新しく何かを始めるには、ちょうどいい。

電撃掌編王で三つのテーマ「春、学校、二人」で応募されてた時に書いたものです。

2000字で物語を作るのは難しいけど面白いなぁと。

3,4年前に書いたかと。

二人……?

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― 新着の感想 ―
[良い点] 恋人を失った哀しみにいつまでも感傷的に浸るのではなく、新たな道に進もうとするラストが良かったです。 [気になる点] これは物語の根幹に関わってくる設定なので今更変えようがありませんが、 舞…
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