模擬の相手
暖かな日差しが木々の葉に遮られ、微かな光がアーノイル・レゼフトを照らす。
陽に透けると深い菫色に変化する紫紺の髪がさらりと揺れた。
この場は魔法力の魔の文字も全くと言っていいほど無いアーノイルでも、風霊が起こす無邪気に無規則な風を肌で感じることが出来る特殊な場所で、アーノイルにとっては今一番のお気に入りの寛ぎ処となっている。
日課となっている剣技の修行のため、腰に差していた剣を手に持つ。それはまだ小柄とも言えるアーノイルには刃も柄も長く大振りの剣だったが、その大きさも長さも感じさせない自然な動作で難なく鞘から抜き、ピタリと微動だにせず構える。小柄な割には成人の男性に近い大きめな両手で柄を持ち、腰を少し下げ片足を半歩後ろへ。剣先を前に向かえて構え制止する。
一息吐き、模擬の相手を想像して何度か切り込むと、素早く守りの姿勢を。模擬の相手はそこで横からまず切り込んでくる。受け流すように剣先を下向きに走らせ、また足を踏み込み前へ。狙うは横に振り払っている体制が戻る前だ。しかし、相手もそんなにバカじゃないし、それどころかアーノイルよりも剣技の腕は格段に上だ。簡単にアーノイルの切り込みは相手の剣によって払われ勢いを無くす。それでもアーノイルは諦めずにまた前へと歩を進める。後ろに下がれば自分は負ける。何度も負けていていつも敵わないが、そう簡単には負ける訳にはいかない。
だって……模擬の相手はアーノイルが一生守り抜き、仕えると誓った人だから。
足を踏み込む瞬間、グッと腰を屈め、身長さを利用し下から素早く相手の懐に入る。そして、右脇を締め、握りしめる音が鳴りそうな程に柄を掴み、剣を横から上へ走らせた。
「――ハッ」
――その結果はいつもと同じで。
「また負けた……っ」
自分の首筋に当てられた相手の剣先が。決定的な負けだった。
「想像のアイツにも負けるなんて、サイッアク……」
ドサッと鈍い音をたて、手から剣が滑り落ちる。そのまま新緑の草が茂る地面へとダイブするかのように後ろから倒れた。倒れた衝撃でふわりと舞う野花や葉を気にすることなく、大きな溜息を吐く。
「今度こそは勝つつもりだったのに……これじゃあ、アイツを守る所か、誰も守れないじゃないか」
悔しいけれど、まだ自分が未熟だと実感した。
視線が空をさ迷う。晴天の青空に白い雲が薄らと漂っていた。触ったら柔らかそうなふわふわの雲が太陽の日差しを優しく遮り、アーノイルの顔を照らす。その光をアーノイルは目を微かに細めて眺めた。
この世界を優しく包み込む光の力の根源は、この世の存在するモノ総てに含まれる。
太陽の根源である火も、この世を漂う空気の根源の風も、世を潤す根源の水も、世界を彩る広大な根源の地も、総ては光の属性に入る。その属性の中でも地と風に恵まれたこの土地の気候は、アーノイルの心を自然とほんの少しずつその光の力で和らいでいった。
ふと視界の端には白亜の城が見えた。
──ラゼスタ城。この西のバルーン大陸を治める、バファーレ王国の王城だ。
城を守るような形で円状に開けた木々の中に緩やかな丘が傾斜を描き、その真ん中に陽に輝く白を基調としたラゼスタ城は建っている。城は三本の塔が山の字にそびえ建ち、その周りを城下街と厳重な厚い城壁が囲っている。
しかしその城壁も白を基調とした柔らかな色合いで、その光景はまるで天使が大きな羽を広げ街とているように見えることから、チェレスティアーレ カステッロ(天使のような城)と呼ばれ、見る者を癒しなお且つ圧巻させる程に威風堂々としていた。
アーノイルは、その城を守る役目に着いている王宮の騎士だ。
いつ見ても立派なその城と、その城を守るように周りに存在する城下街がアーノイルは好きだ。天使の羽と呼ばれている城壁をいつ見ても、意味なく感動してしまう時もある。
そんな所を守る事を許されるなど、それほどの名誉は無い。
例え父が偉い立場に居ようと、自分にとっては城に仕えることは夢のようだった。
なので最年少で騎士になることが出来た時には、嬉しすぎてアイツに泣きついてしまった。
そして、騎士になって一層思ったのは、アイツを守りたいという思い。
国の誰よりも国を想い、精霊たちを愛し、アーノイルにとって兄のような親友のような存在のアイツの傍で仕えて、この国を守っていこうという思いが今アーノイルの中では使命であり、人生の目標だ。
……そういえばそのアイツは、今逃げに逃げたが、結局捕まってしまって無理矢理受けさせられているのかな……と、あの見目が美しいが、悪戯好きな風霊の気性に似た彼の姿を思い浮かべる。
思わず苦笑してしまうのは、彼がその端正な顔を最大限にしかめさせ、羽根ペンをせわしなくクルクルと回し、他国からやって来た教育官に注意されるのを、こんな遠くに居ても容易に想像出来るから。
それほど、彼といた時間は長い。
「アイツの唸る声も聞こえてきそう」
彼の姿を思い浮かべ、一層穏やかな気持ちになる。
気分の良いまま、瞳を閉じる。
すると、聴こえてくる風霊達の笑い声。辺りを駆け抜けながら、樹々のざわめきや空を切る音が彼等の声だ。
風霊は、世界を構成する精霊の中でも陽気で人懐っこいと言われている。魔法力のないアーノイルにはその声は聴こえないが、風を起こすざわめきなら聴くことが出来た。
現に強い魔法力を持つアイツには、風霊達は良く話しかけてくるらしい。ちょっかいも出してくるみたいで、時々強い突風が吹いたり、何も無いところで何かに話しかけている時もある。
……まぁ、バファーレ王国の王族は風霊──風の精霊の加護を一番に受けているから、当然と言えば当然かもしれない。風霊とバファーレ王国の王族は、切っても切れない深い絆で結ばれているのだ。
穏やかな気持ちになっているのに、まだ想像上の彼にさえ負けるのは自分が情けなくて悔しいのだが、それでも彼の実力は認めていて憧れの様な気持ちも持っている兄貴分。
(一休みして、また訓練しよう)
――彼にふさわしい騎士になるために。
小さく心に決め、風霊達の笑い声を聴きながら、いつの間にかウトウトと眠りについていった……──。