第九話「ランタイムエラー、あるいは脆弱性への介入について」
カルドの詠唱が、第四節に入った。
「──古の盟約に従い、我が求めに応えよ——」
俺の視界で、タイマーが動いていた。
4.5秒。
クリティカルパスが、もうすぐ通過する。
セレーナのチャンネルから、カルドの声がクリアに届いている。
アリーナ三百人分のノイズを削ぎ落とした、一人の詠唱だけが。
俺は介入ポイントを確認した。
```
リアルタイム解析:カルド・ヴィエン詠唱
経過時間:4.1秒
現在節:[古の盟約に従い]
次節予測:[汝の力よ、今ここに顕れよ]
└ 対格節(「汝の力よ」の呼格)が
直後の命令文と接続する瞬間——
→ ここが格助詞の接合点。
→ 介入ポイントまで:0.4秒
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INJECTABLE:確認
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介入方法:
「よ」(呼格終助詞)の音韻周波数を
0.3Hz上方にシフトさせる一語を重ねる。
これにより「よ」が命令文の主語格と
接続する際に「文字化け」が発生する。
具体的には——
カルドが発音する「よ」の直後に
俺が「を」の音韻パターンを一瞬だけ
空気中に展開する。
格助詞の混線。
「呼びかけ対象」が「命令対象」に変わる。
魔力の行き先が、一瞬消える。
```
0.4秒。
俺は、呼吸した。
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カルドが、第五節を始めた。
「──汝の力よ、今ここに顕れ——」
「よ」が、空気を震わせた瞬間。
俺は言った。
「……〈を〉」
声ではなかった。
吐息に近かった。
しかしその一音に、「を」の格助詞が持つ音韻周波数を精確に乗せた。
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カルドの詠唱が、揺れた。
俺の視界では、それがはっきり見えた。
空間に固定されかけていた文法回路——第四節と第五節を結ぶ格助詞の接合点——に、微細な周波数のズレが走った。
「よ」が「を」に引っ張られ、接合点が0.3Hzだけ、狂った。
たった0.3Hz。
しかしそれは、カルドの詠唱の「意味論的な一貫性」を支える要石だった。
〔格助詞接合エラー:検出〕
〔主語格と対格の混線:発生〕
〔魔力変換命令:対象参照が不定になりました〕
カルドの杖の先で、何かが起きた。
光が——内側に向かって渦巻いた。
発動しようとした魔力が、対象を失った。
対象のない命令は、どこに向かえばいいかわからない。
出力先を探して、魔力が術者の魔力回路の中でループし始めた。
カルドが、杖を持つ手を押さえた。
「……っ」
それが、全ての始まりだった。
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Aクラスが、フリーズした。
正確には——フリーズした、というのは比喩ではない。
Aクラスの連携は「カルドが動く」ことを前提に設計されていた。
リーダーが詠唱を開始したら、それに合わせて他が補助に入る。
カルドの詠唱が完成したら、全員の魔力が収束する。
カルドが止まった瞬間——その連携の全てが、宙に浮いた。
補助に入ろうとしていた生徒たちが、詠唱を途中で止めた。
止めたことで魔力が中途半端に解放され、何人かが態勢を崩した。
Aクラスの綺麗な隊形が、一節で崩れた。
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カルドが、俺を見た。
余裕の表情は、もうなかった。
「……何をした」
俺は平静に答えた。
「格助詞を一つ、上書きした。『よ』を『を』に。それだけだ」
「そんな一語で、俺の詠唱が——」
「お前のシステムには、予期せぬ入力に対する例外処理が一行も書かれていない」
俺は続けた。
「外部からの干渉を想定した設計になっていない。千年間、そんな入力が来なかったからだ。完璧に管理された環境の中で完璧に動いていたシステムは、想定外の入力が来た瞬間に止まる。それがレガシーの限界だ」
「……黙れ」
「事実だ。お前の詠唱は美しい。堅牢だ。千年かけて磨かれた本物の強さがある。ただし——『美しさ』を守るために、例外処理を削ぎ落としてきた。エラーを想定しなかった」
カルドの手が震えていた。
怒りからなのか、魔力の暴走からなのか、俺には判断できなかった。
マリスが隣で、小声で言った。
「……レオン。カルドの魔力回路、まだループしてる。落ち着かせないと、術者本人に被害が出るかもしれない」
俺は少し考えた。
「カルド」
彼が俺を見た。
「今すぐ詠唱を完全に止めろ。一語も出すな。魔力を全部、解放しろ。暴走を続ければ、お前自身の回路が焼き切れる」
数秒の沈黙があった。
カルドが、杖を下ろした。
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魔力が、霧のように散った。
アリーナが静まり返った。
観客席から、誰かが小さく声を漏らした。
それが連鎖して、ざわめきが広がった。
実況が言葉を探していた。
「……え、あ、ええと——カルド選手の魔法が、発動前に——」
俺はセレーナに言った。
「接続、維持してくれ。Aクラスの他の生徒の動向を監視する」
「……わかった」
セレーナの声は静かだった。
緊張ではなく——集中していた。
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Aクラスの一人が、前に出た。
カルドではない。副委員長格の男子生徒だ。
「……カルドが止まったくらいで、俺たちは終わらない」
彼が杖を構えた。
他の生徒も続いた。
一人ずつの詠唱が、訓練された精度で始まった。
リーダーを失ったシステムが——再起動しようとしていた。
俺は視界のログを確認した。
```
状況更新:Aクラス再編成
カルド・ヴィエン:戦線離脱(魔力回路の一時過負荷)
副委員長以下11名:個別攻撃モードに移行
同時発動予定数:8
推定到達時刻:約7秒後
現在の俺の処理負荷:
単一標的解析(完了):89%
8標的同時解析(必要):推定340%
問題:処理能力が足りない。
```
340%。
俺一人の処理能力の、三倍以上だ。
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──次話予告──
カルドを止めた。しかしAクラスは止まらない。
8人が同時に詠唱を始め、レオンの処理能力が限界を超える。
「……一人で全部やるな」
レオンの頭の中で、何かが切り替わった。
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