25 思い出の樹
私がいつものように殿下の元へ向かおうと王宮の広い敷地を横切っていると、「オリヴィエ!」と元気な声が聞こえた。
駆け寄ってきたのは、ジクリス・フューア・シーラッハ。シーラッハ公爵家の嫡子。
まったくジクリスってば、本当にフュリオが好きなのね。
あんなに顔をキラキラ輝かせちゃって。
「ジクリス、ごきげんよう」
「ああ。どうして王宮に?」
「ちょっと用事があって。ジクリスは?」
「訓練帰りだ。もし時間があったら、これから一緒に……その、茶でもどうだ?」
「ごめんなさい。これから用事があって」
「魔術塔か? だったら終わるまで待つぞ」
殿下のご学友になったこと、言っていいのかな。
そこへ賑やかな声が聞こえてくる。ジクリスのファンである令嬢たちだ。
「ジクリス様、先程の剣さばき、見事でしたわ」
「ジクリス様のために刺繍をいたしましたタオルです。是非お使い下さい!」
ジクリスはまるで猛禽類のような鋭い目で、令嬢たちを一瞥する。
「今、話をしているのが見えないのか? 話に割り込んでくるなんて無礼だろう!」
一喝された令嬢たちは顔を青ざめさせると、「も、申し訳ございません……っ」と震えながら逃げていった。
「ちょっと、ジクリス、言い方をもっと考えなきゃ」
いくら女嫌いとはいえ、かわいそう。
「無礼な連中に言い方なんて考える必要はない。やめてくれと言っても聞かないから、こうするしかない。それより茶の話だ」
ジクリスってそんなにお茶が好きなのかな。
確かにシーラッハ家のお茶は美味しいから、受けたい気持ちはあるんだけど。
「ごめんなさい。二時間くらいかかるの」
「そんな長く? 一体どんな……」
「──オリヴィエ!」
「殿下っ」
私とジクリスは慌てて頭を深々と下げた。
殿下が侍従と共にやってきたのだ。
「殿下、ご機嫌麗しく」
「君は……ジクリスか」
「はい。去年の夏の宴以来でございます」
「そうだったか。今から剣術の訓練か?」
「いいえ、帰りでございます」
「そうか。励んでくれ。公爵家の武は王国に欠かせないものだ」
「ありがたき幸せ。ところで殿下はこれから、お出かけでしょうか?」
殿下が私に目を向ける。
「オリヴィエを迎えに来ただけだ。行こう」
「はい。それじゃ、ジクリス。また……」
「待て」
「お待ち下さい」
殿下とジクリスは同時に言った。
「オリヴィエ。なぜ君はジクリスを呼び捨てに?」
「殿下、オリヴィエをどちらへ連れて行かれるのですか」
あ、あれ?
空気がぴりっとした?
「殿下。ジクリスとはこの間の剣術大会の時に知り合ったんです」
「そうです。私はオリヴィエに助けられたのです。彼女がいなければ、今ごろ私は騎士として活動ができなくなっていたかもしれません」
そうしてどこか得意げに(なぜ?)、魔導具の話をした。
魔導具を使用して反則負けになったことは知っていたようで、「そうだったのか」と相槌を打った。
「それ以来、親しくしているんです。二人きりでお茶を飲んだこともございます」
そんなどうでもいいことまで言わなくてもいいのに。
ほら、殿下の眉間にしわが寄ってる。
興味のないことを聞かされたからだわ。
「殿下こそ、オリヴィエとどちらへ?」
「今、オリヴィエに魔法の講義をしてもらっている」
「魔法の? しかし殿下は魔法を信用されていないのでは?」
「未来の国王として知見を広げなければいけないと思ったんだ。そこでオリヴィエに魔法のことを教えてもらっているんだ。毎回、二人きりで、な」
殿下は「二人きり」というところを強調する。
ジクリスはなぜか衝撃を受けたように、表情を強張らせた。
「オリヴィエ、本当か?」
「え、ええ。でも部屋の外にはフュリオもおりますし」
「でも部屋には二人きりだろう」
殿下は言った。
「ジクリス様。馬車を待たせておりますので」
ジクリスの従者が、主人に恐る恐る告げた。
「早く行ったほうがいい。さあ、オリヴィエ、私たちも行こう。今日も二人きりで、色々と教えてくれ」
「あ、はい」
「ジクリス……あれの目は……あれもオリヴィエを好意を……注意しよう……」
先を歩く殿下がぶつぶつと独り言を呟く。
どうしたのかな。
「二人の美男子の心を手玉に取るとはお嬢様は悪女でございますね」
フュリオがこそっと囁く。
「どういうこと?」
「それは……ふふ、そのうち分かると思いますよ」
私が小首を傾げると、フュリオは微笑ましげに口元を緩めた。
そうこうしている内に、殿下のお部屋に到着する。
今日もまた、お勉強の時間。
※
そんな日々が続いたある日、今日も今日とて殿下の元へ向かうと、殿下は珍しく疲れた表情をしている。
普段も分刻みのスケジュールで大変だろうが、そういう感情をこれまで表に出されないので余計に気にかかってしまう。
「殿下、ごきげんよう。今日もよろしくお願い致します」
「ああ……。今日も頼む」
「とてもお疲れのようですね」
「すまない。ここのところ教育のレベルを上げるとかで家庭教師が代わったんだが、その人が思いの外、厳しくて……」
この国を率いていかなければいけないからこそなのだろうけれど、私より一つ年上なだけなのに、詰め込み教育は大変だ。
王太子という立場上、常に誰かの目が光り、伸び伸び過ごすというのも難しいだろう。
と、殿下は、壁にかかった絵をどこか懐かしそうに見ている。
それはどこかの田園風景だ。
「あの絵、素敵ですね」
「……私がもっと小さな頃に、父上と母上と一緒に出かけた場所を描かせたものなんだ。すごく綺麗な場所で……」
「絵からでも伝わってきます」
「うん。日がな一日、のんびりと過ごして。父上も母上もずっとそばにいてくれたんだ。きっと私のためにスケジュールを色々と調整してくれたんだと思う。あの立派なオークの樹の下でお昼を食べて、ごろんと原っぱに横になって……あの時間が一生続いてくれたらと幼心にも思ったほどだ」
「……殿下。今日は魔法の勉強はやめて、あそこへ行ってみませんか?」
「どうやって?」
「私の使い魔であるヨルンはとても素早いんです。きっと思い出の場所まであっという間に到着します。魔法の授業時間である二時間のうちに戻ってくれば問題ありません」
「いいのか?」
「はい」
「是非、頼みたいっ」
「かしこまりました」
「……君はやはり素敵な人だ」
「え? 今なんと?」
「いや。とても嬉しいと言ったんだ」
殿下の明るい顔を見られると、私も嬉しい。
「行きましょうっ」
ヨルンを呼び出すと、跨がった。
「殿下、お手を」
「ああ」
「待てよ。誰だ、そいつ」
ヨルンは殿下が近づくと、同じ分だけ距離を取った。
かなり警戒してるみたいで、前足で床を擦る。
「王太子殿下。一緒に出かけるの」
「そんな奴を乗せるのかよ」
「お願い、ヨルン」
「……ヨルン、乗せて欲しい。決して君を不愉快にしたりはしないと約束する。この通りだ」
「殿下!? 頭を下げる必要は……!」
「いいや、こうすることが正しいだろう。オリヴィエ、君が教えてくれたんじゃないか。使い魔というのは魔法使いの大切なパートナーだ、と。自分が認めた相手以外を乗せたくないと思うのは当然のこと」
「ヨルン、お願い。本当に少しの間だけだから」
「……分かったよ」
「ありがとっ」
私は、ヨルンの首に抱きつく。
「ありがとう、ヨルン」
殿下はとても嬉しそうに表情を明るくする。
私たちはヨルンに跨がった。
「それじゃあ、行きますねっ」
ヨルンがバルコニーの柵を越え、高々と跳んだ。
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