20 あの日の音色
目を開けると、広々とした草原が広がっていた。
ここが夫人の無意識の世界?
パパによると、無意識の世界というのはその人の一番心に残った風景が選ばれることが多いみたい。
「いい景色だなぁ!」
紋様からヨルンが飛び出し、楽しそうに駆け回った。
「ヨルン、遊びじゃないんだから。夫人にとって大切な場所なのよ」
「分かってるよ。でも気持ちいいだろう。ほら、乗れよ」
私はヨルンに跨った。
「で、どうするんだ?」
「まずは夫人を探そう」
この世界の夫人はあの音色を記憶している可能性があるとパパは言っていた。
まずは本人に会って話をすることが問題解決の第一歩。
それにしても、とってものどか。
青空が広がって、緑が眩しくて、風も心地いい。
夫人が生まれ育った領地なのかな。
ヨルンは嬉しそうに草原を駆けた。
しばらくして色とりどりのお花畑が見えてくる。
花畑の真ん中で、鮮やかな緑色の髪の可愛らしい女の子が花を摘んでいた。
ヨルンの足音に、女の子が振り返った。
きっとこの子が夫人だ。
つまり、夫人にとって子どもの時代がとても大切で印象的だったということだ。
私はヨルンから下りる。
「誰?」
「私はオリヴィエ。あなたは?」
「メイ」
やっぱり夫人だ。今の私と同じくらいの年齢かな。
「綺麗なお馬さん!」
「ボクは馬じゃ……むぐぐ」
私はヨルンの口をやんわりふさぐ。
「可愛いお馬さんでしょ。ヨルンって言うの。触ってみる?」
「いいの?」
「もちろん」
「やった!」
夫人はヨルンを優しく撫でる。
「首筋を撫でてあげると喜ぶよ」
「ふふ。可愛い~。こんな綺麗なお馬さん、初めて見たわっ」
「あなた一人?」
「うん。パパとママはお仕事でいないの」
「それじゃあ一緒に遊びましょう。ヨルンに乗せてあげる」
「本当!?」
一緒にヨルンに跨がった。
ヨルンは八本の足で大きく地面を蹴ると、空を飛ぶ。
みるみる地面が遠ざかり、青空や白い雲が近づく。
「すごぉぉぉぉぉぉい!」
夫人がはしゃいだ。
それから夫人が望むがままに、あちこちを走り回り、気付くと夕方。
「そろそろおうちに帰らなきゃ……」
「送って行くよ。どこにあるの?」
「あっちっ」
夫人が指さしたほうへ向かえば、立派な邸宅が見えてきた。
ヨルンがゆっくり降下し、邸宅の前に到着する。
「ね、お茶を飲んでいかない?」
「ぜひっ」
夫人が邸宅に入っていくと、すぐに「おかえりなさいませ」とおばあさんが出迎える。
肌が浅黒い。異邦の人みたい。
「ばあや!」
夫人が飛びつくと、ばあやさんは優しく抱きしめる。
「お嬢様、こちらの方々は?」
「お友達なの。紅茶とクッキーを用意してっ」
「かしこまりました」
居間へ通してもらうと、すぐにばあやさんが紅茶とクッキーを出してくれる。
部屋を見渡せば、楽器を演奏する男女の肖像画が目に入った。
「あの人たちがパパとママ?」
「そう。二人とも、すごく有名な音楽家なの。今は王都で演奏してるのよ」
「メイも音楽が好き?」
「うん。将来、私もパパとママみたいな音楽家になりたいの!」
「きっとなれるわ」
「えへへ、そう思う?」
「うんっ」
しばらくすると、夫人が小さく欠伸をして、目を擦る。
「ばあやぁ~」
控えていたばあやさんが夫人を抱き上げると、優しくその背中を撫でながら、
“かわいいちっちゃいお星様
真っ暗な空をきらきら照らし
愛しい子へおやすみと囁いて
また明日また明日”
ばあやさんは歌を口ずさんだ。
その独特のリズムは、夫人の鼻歌ととても似ていた。
「その歌……このあたりではあまり聞かない曲ですね」
「これは私の生まれ故郷に伝わる子守歌なんです。お嬢様はこれがとてもお好きで、眠る時には絶対歌ってと仰るんですよ」
「とても素敵なお歌だと思います」
「ありがとうございます」
これで夫人が気になっている曲の正体は分かった。
「私、そろそろ失礼します」
部屋を後にすると、意識を集中する。
「分かったよ、パパ」
一瞬、体が宙に浮くような感覚があったかと思えば、目の前にパパがいた。
そこはもう無意識の世界ではなく、侯爵邸だった。
「気分は?」
「大丈夫」
パパが呪文を口ずさめば、夫人が目覚めた。
「ご気分はいかがですか?」
「いいわ。とても素敵な夢を見ていた気がします……」
「夫人。曲の正体が分かりましたよ」
私はリズムに乗せて、あの子守歌を口ずさんだ。
夫人の目が見開かれる。
「それだわ! 一体何の曲だったのですか?」
「夫人が子どもの頃に仕えていたばあやさんが口ずさんでいた子守歌でした。ばあやさんの故郷の子守歌だそうです。そして夫人は眠る時にその子守歌をいつもねだっていたんです」
「……あぁ、そうだわ。ばあや……そう、ばあや……いつも一緒にいてくれた……どうして、今の今まで忘れてしまっていたのかしら……」
夫人の目尻にはうっすらと涙が滲む。
「あら、私ったら。恥ずかしいわ。ごめんなさいね」
「どうぞ、夫人」
「……ありがとう」
私から受け取ったハンカチで目元を拭った夫人がピアノの元へ向かえば、子守歌をピアノで奏でながら、歌詞を口ずさむ。
その表情は柔らかく、とても幸せそうに満ち足りていた。
私たちは邪魔しないように部屋を出た。
※
「……涙を流すほど大切な記憶でも、忘れてしまうことってあるんだね」
公爵邸への帰路、馬車の中で思わず呟いてしまう。
「大切な記憶でも、いつの間にか、もっと大切な記憶で埋もれてしまうこともある。だが、それが悪い訳じゃない。それだけ幸せな人生を歩めているという証だからな」
「そっか。夫人はとてもいい人生を送れていたっていうことなのね」
本当の娘である主人公と再会したら、パパは私とこうして過ごしていたことを、いつかは忘れちゃうのかな。
そのことを考えると、しんみりしてしまう。
「──お前のことは絶対に忘れることはない」
不意なパパの一言に、ドキッとしてしまう。
「! こ、心を読んだ!?」
「読む必要もない。顔を見れば分かる。お前の父親なんだぞ」
パパは私の隣に座ると、優しく頭を撫でてくれる。
「えへへ!」
私はパパの膝にこてんと頭を乗せた。
パパは変わらず優しく撫でてくれる。
夫人の背中を撫でてくれたばあやさんみたいに。
「……子守歌は歌ってはやれないが」
「頭を撫でてくれるだけで十分っ」
パパに微笑みかけた。
この瞬間が、パパの中でいつまでも思い出したい記憶として残ってくれたら嬉しいなぁ。
その時、私は何をしているんだろう。
ふわふわした心地の中、そんなことを考えながら目を閉じた。
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