2 公爵
ゼノン・ラムル・ネフィリムは机に積まれた書類を淡々と処理していく。
王国の魔法使いが集まる魔術塔の執務室。
「閣下、次は予算の裁可でございます」
フュリオ・ナスタークが書類を差し出してくる。
彼は公爵家の私兵集団、白狼騎士団の団長であり、ゼノンの秘書官を務めていた。
文面に目を通し、サインをする。
すでに日が落ちかかっていた。
書類仕事は膨大で、これであれば戦場で過ごすほうがよほど楽だ。
なにせ書類仕事に終わりはない。
いや、終わらせたくなくて、わざと膨大な仕事を自ら処理していると言っていい。
屋敷に帰らなくてもいい理由を、ゼノンは常に探していた。
その時、慌ただしく扉が開け放たれた。
「塔主様!」
その顔には常とは違う、焦りが見えた。
「ノックもせずに部屋に入るとは無礼だろう」
フュリオがたしなめると、「も、申し訳ございません。急用でしたもので……」と部下は口ごもる。
「何の用だ?」
「先ほど公爵邸より遣いが参りました。お嬢様……オリヴィエ様が倒れられ、目覚めないとのことでございます。急ぎお戻り下さい、とのことでございます」
全身から血の気が引く。
過去の嫌な光景が頭をよぎった。
「閣下、すぐにお戻りを。書類は全て私が」
「頼むっ」
公爵邸を頭の中に思い浮かべ、転移魔法を唱えた。
足下に魔法陣が展開され、青白い光がゼノンを包み込んだ。
まばたきをする間もなく、ゼノンは公爵邸の玄関広間に立っていた。
使用人たちが忙しげに廊下を行き交い、屋敷が異常事態にあることを嫌でも意識させられてしまう。
「公爵様、おかえりなさいませ。お出迎えもせず申し訳ございません。いつお戻りに?」
執事のジャレットが驚いた顔で駆け寄ってくる。
ジャレットはゼノンが子どもの頃から公爵家に仕えてくれている、屋敷の全てを任せられるほど信頼に足る人間だ。
「今だ」
「しかし馬車は……」
「転移魔法を使った。オリヴィエのことだが、医者は呼んだのか?」
「すでに。しかし外傷も何もなく、原因が分からないと言われてしまいまして。それで、魔術塔へ遣いを……」
オリヴィエの部屋に入ると、ベッドを囲んでいたメイドたちが頭を下げる。
彼女たちは顔を青ざめさせ、目を潤ませていた。
「何があったか教えろ。オリヴィエが倒れた時、誰かそばにいた? 誰が最初に発見した?」
「私でございます」
名乗り出たのは、オリヴィエ付きの侍女、ノアだ。
「昼食のお時間だとお知らせに参りましたところ、お嬢様が倒れているのを発見いたしました。いくら呼びかけても目を覚まされないので執事様にお知らせを」
「一人だったのか」
「はい」
「なぜ誰もついていなかった」
「申し訳ございません。お嬢様が、お一人になりたいと仰せになったタイミングで……」
思わず舌打ちをしてしまう。
「全員下がれ」
二人きりになると、オリヴィエの顔を覗き込む。
その顔を見ると胸の中に苦いものが広がったが、今は目を背けるわけにはいかない。
オリヴィエは苦しげに顔を歪め、浅い呼吸を繰り返している。
熱がないかと額に触れた瞬間、はっとする。
ゼノンの魔法器官が、あり得ないものを知覚した。
魔力だ。
弱々しいが、間違いなかった。
もし、そうであるのならば。
今のオリヴィエに似た症状を、よく知っている。
そしてその対処法も。
オリヴィエの手を握る。
とても小さな手。こうして触れること自体、赤ん坊の時以来かもしれない。
びっくりするほど冷たい。
体が生きることを諦めかけているように思え、鳥肌が立つ。
頭の中に忌まわしい記憶が去来する。
余計なことを考えるな。
今はオリヴィエを助けることだけを考えろ。
ゼノンは自らに言い聞かせた。
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