第七話 最低
夕方五時を過ぎた頃から、才は部屋の窓から外を何度も窺っていた。人影がないことを確かめると椅子に座るが、またすぐに立ち上がって窓のそばに立った。
六時を何分か回った頃だった。玄関に向かって歩いてくる人が目に入った。才は、すぐに部屋を飛び出した。普段は、廊下を優雅とも言えるような様子で歩くが、今はほとんど本気で走っていた。
呼び鈴が鳴ると同時に、才自らドアを開けた。そこに、待っていた人が立っていた。
「よー」
以前と変わらず、片手を軽く上げて笑みを浮かべている。それを見ただけで、才は変に鼓動が速くなって困った。
(落ち着け、オレ)
心の中で自分に言い聞かせる。そっと息を吐き出した後、
「いらっしゃい。バイト、お疲れさまでした」
なるべく冷静に言葉を発した。が、上手く出来ていたかはわからない。
「中に入ってよ」
才が促すと、三原は才の後についてきた。廊下を歩いている途中で、ばあやが現れた。ばあやは三原に深々と頭を下げると、
「いらっしゃいませ。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
言って、食事の席まで案内してくれる。ばあやは、三原の方をそっと見ると微笑み、
「ようやく約束を果たして頂けましたね。随分時間が経ちました」
ばあやの言葉に、才は中学一年の、あの雨の日のことを思い出した。
「今度誘った時は、絶対家の中に入ってよ?」
「ああ。約束する」
あれから四年も過ぎたというのか、と才は感慨深かった。あれから起きた様々なことが急に頭の中によみがえってきて、才はフッと息を吐き出すと小さく笑った。
二人が席に着いて少しすると、料理が運ばれてきた。三原は新しい料理を口にする度に、「うまいな」と言っていた。三原の生き生きとした顔を見れば、その言葉が真実であることが伝わってくる。才は、ひたすら黙って食べていた。
デザートのプリンアラモードが来た。これでもう何も運ばれてこない。才は、嬉しそうにスプーンを手にした三原へ、
「ミハラくん。ごめん。話を聞いてくれるかい?」
才がそう言うと、三原は急に表情を改めて、スプーンを置いた。そして、才に視線を向け、
「聞くよ。その為にここに来たんだから」
「ありがとう」
話そう。そう思いながら、ためらう。三原は相変わらず才を見ており、才の言葉を待っている様子だ。才は三原をしっかりと見ながら、
「オレね、クラシックピアノ、習うのやめた」
一気に言う。三原はしばらく思考をめぐらせている様子だったが、「は?」と目を見開いて言った。
「サイ。おまえ、何言ってんだよ。嘘だろ? 変な冗談言うの、やめろ」
強い口調でそう言った。才は俯き、首を振った。
「いや。今言ったこと、本当だから。オレ、やめたんだ。で、もうクラシックを弾かないことにしたんだ」
「だから。冗談はやめろ」
「冗談じゃないんだ。オレ、自分が許せなくて、そうするしかなかったんだ。これからも、弾かない」
三原が席を立ち、才のそばへ来た。その表情には、怒りや混乱が見て取れた。
「ミハラくん。オレは、メンバーを裏切ろうとした。君のことをバンドから切り捨てておいて、オレ、何て身勝手なんだろう」
才の言葉は、三原をより混乱させたようだった。三原は首を傾げると、「わかんねー」と呟いた。才は三原を少し見上げながら、
「オレは、最低なんだ」
吐き出すように言ったのだった。




