第二話 決別
一週間前のことだった。ピアノのレッスンの後、先生が才の顔を覗き込むようにして言った。
「津久見くん。コンクール、興味ある? 一位になると、オケと演奏出来るんだけど」
「コンクールですか?」
「そう。津久見くんなら、良い所まで行けそうな気がするんだけどな」
コンクールで一位になると、オケと演奏出来る。ピアノを弾く者として、それは、やってみたいことの一つのはずだ。
「来年の春だから、まだ勉強する時間もあるし。やってみたらどうかしら」
「考えさせてください」
そうは答えたが、かなり前向きな気持ちだった。
広いステージに、オケと指揮者。そして、ピアニストの自分。それを想像するだけで、胸が高鳴った。
申込書を受け取りカバンにしまうと、まるでもう一位をとったかのように心が弾み、家まで走ってしまった。
帰宅してピアノに向かうと、今日弾いた曲をさらった。そして、申込書をじっと見る。
(やってみようかな)
その時、唐突に気が付いた。
(待てよ、オレ。何考えてんだよ)
弾んでいた心は、一気にしぼんで行った。
(バカだ。何の為に、ミハラくんを切ったんだよ。オレ、何考えてたんだ。浮かれちゃって、何やってんだよ)
アスピリンというバンドでプロになるつもりでヴォーカルを交代させたのに、と才は自分を責めた。
ピアノは、才にとって大事なもので、生涯弾くのをやめはしないだろう。が、職業にしたいのは、ピアノではなくバンドのはず。
(何考えてるんだよ)
何度も何度も、自分を心の中で詰る才だった。
そして昨日、レッスンの前に先生に断った。先生は驚きを隠しもせず、
「え。何で? 絶対、やるって言うと思ってたのに」
「オレは、ピアノで生きていきたいんじゃないんです。オレには、バンドがあります」
「バンドは趣味で、ピアノが将来やっていきたいことだと思ってたわ」
落胆している先生に向かい、才は、
「今日でこのピアノ教室、やめます。今までお世話になりました」
「津久見くん。何言ってるの? コンクールに出なくてもいいから、やめないでよ」
「オレ……迷った自分が許せないんです。それだけです」
「津久見くん」
「さようなら、先生」
深々と礼をすると、教室を後にした。心は重く、俯きがちだった。才は、もう二度とクラシックは弾かない、と心に誓った。
(ごめん。ミハラくん)
家に帰り着くと、まっすぐ自分の部屋に行き、カバンを床に放ると、ベッドに横になった。布団を頭まで被ると、考えることを放棄した。




