最終話 閉幕
「……ううん、ここは……?」
阿東カナが目覚めると、そこはまったく見覚えのないどこかの部屋の中。
畳張りの和室であり、彼女は敷布団で寝ていた。
木製の机。引き戸の押し入れ。
小さな部屋に見合った、小さなテレビ。
彼女にとっては知識でしか知らない、いかにもな一人暮らしの若者の自宅といった雰囲気の部屋だった。
「……ホントにどこなのここ? というか私、死んだはずじゃ……? もしかして、夢だった? いやでも、あのリアルな感じは絶対に夢なんかじゃ……」
「その通りです。夢ではございません」
不意に、部屋の右側から声が発せられた。
驚いて、声がした方向を見る阿東。
そこにいたのは、黒いタキシードに身を包んだ男。
リバースエッジの司会者だ。
「……さっき部屋を見回した時、アナタはそこにいなかったよね? この小さな部屋のどこから湧いてきたの?」
「まぁまぁ。それはさして重要な話ではありません。いま話をするべきは、あなたがここにいる理由についてです」
「それはまぁ、気になるけど……」
釈然としないながらも、阿東は司会者の話を聞くことにした。
リバースエッジにて、阿東が死亡した後、如月は晴れて優勝者となった。
そして彼は、リバースエッジを主催した『組織』に願いを告げた。
阿東カナを生き返らせてほしい。
それが、彼の願いだった。
「き、如月が、私を……!?」
驚いて目を丸くする阿東。
そんな彼女の様子に、特に何の表情変化も見せず、司会者は頷いた。
「私どもと致しましても、なかなかに難しい願いでした。しかし、あなた様の驚異的な生命力と、死亡後からあまり時間が経過していなかった点、そして心臓以外の肉体の欠損はほぼ無かった幸運も手伝って、どうにか蘇生に成功したのです」
「如月……。この恩、どうやって返せばいいんだろ……」
「それについては如月様から伝言が。『助けてもらった借りを返しただけだから気にするな』だそうです」
「気にするなって……こっちだって『気にしないでいい』って言ったのに。なんていうか、律儀っていうのかなアイツ。ゲームの途中でも何度か思ってたけどさ」
感慨にふける阿東。
しかしここで、彼女はハッとした表情で、再び司会者に声をかける。
「……そういえば! その肝心の如月本人はどこなの!? ここにはいないの!? というか、この部屋は何!? ここどこ!?」
「はい。如月様はここにはおられません。彼は私どもに『蘇生した阿東カナの今後の面倒を見てほしい』と伝え、私費で依頼料を納められた後、姿をお消しになられました」
「アイツ、私のために、自分のお金であなたたちに依頼を!?」
「叶えられる願いは一つまで。我々はあなた様を蘇生はしましたが、その後の面倒までは願いに含まれていなかったので。そしてこの部屋は、これからのあなた様のご自宅となるアパートです。近くの高校への入学手続きも済ませておりますので、明日から登校できますよ」
「え、私、学校に行けるの……? いや嬉しいけど、今はそれよりも如月のこと! アイツは今どこに!?」
「そこまでは私どもも存じておりません。ただ、順当に考えるならば、彼の一族の追っ手から逃れるため、そして、あなた様のスポンサーである『施設』がこれ以上あなた様に干渉できないように行動している……と考えられるでしょう」
それを聞いた阿東は、開いた口が塞がらなかった。
命を助けてもらっただけではない。ずっと抱いていた願いも叶えてもらい、己を縛る過去を断ち切ろうとさえしてくれている。
ただ、不思議なくらい、嬉しさは湧いてこなかった。
嬉しさはあるのだが、それ以上に別の感情が、嬉しさを押し潰してしまっている。
「……如月はさ、仮にもあのリバースエッジの優勝者になったワケだよね?」
「左様でございます」
「そんなアイツでも、自分の一族の追っ手から逃れるって、そんなに難しいことなの? あなたたちに願おうとするくらいだから……」
「ふむ。正確なところは私どもも測りかねますが、難しいと言えるでしょう。私個人の所感ですが、如月鋭介様の総合的な能力は、如月一族全体で見ると中の上といったところです。如月一族には彼より上の使い手がまだまだ存在します。あの白鷺凪と正面から戦える人間も少なからずいらっしゃるでしょう」
「アイツの一族、そんなにヤバかったんだ……。それじゃあ、アイツはこれから……」
「はい。これから先の道行きは、決して明るいとは言えないでしょう」
「……ああ、分かった。こんなにも尽くしてもらったのに、どうして嬉しくないというか、素直に喜べないんだろうって思ってたけど、私は今、自分が情けないんだ。これだけのことをしてもらったのに、私はアイツにどう報いればいいのか、まったく見当がつかないんだ……」
そう言って、阿東の視線は下へと落ちた。
薄い笑顔を浮かべてはいるが、今にも涙を流しそうな雰囲気だった。
そんな阿東の様子を見かねたのか、司会者が口を開いた。
「如月様に報いる方法ですか。であれば、ひとまず、幸せに生きてみるのはいかがでしょう」
「幸せに生きる……? これだけのことをしてもらって、私一人だけのうのうと?」
「それは言い方が悪いです。如月様は、あなた様の幸せを願って、このようになされたのでしょう。であれば、他に何の返礼もできない以上、彼の期待に沿った生き方をするのが、あなた様にできる最上の返礼になるのでは」
「たしかに、それはそうかも……」
「それに、如月様も、まだ現時点で未来が完全に閉ざされたわけではございません。あなた様が真っ当に、そして幸せに生きていけば、どこかで道が交わり、再会できる日も来るでしょう。何かを施したいのであれば、その時に食事にでも誘ってさしあげたらよろしい」
「……そんな簡単なことで、いいのかな」
「良いと思いますよ。大事な人からの贈り物は、何であれ嬉しいものですから」
「そっか。……もしかして、アナタって意外と良い人?」
「如月様から、あなた様のご面倒を見るよう依頼されてますから。あなた様がそのような曇った表情をなされては、契約不履行になってしまいます」
「なんだ。結局お金のためなのね」
「失敬な。信用信頼のためですよ。……ところで」
「まだ何かあるの?」
「先ほどあなた様は、如月様を『律儀』と称されました」
「うん、言ったわね」
「そんな律儀な如月様が、大事な人の目覚めをその目で確認しないなどと、そんなことがあるのでしょうか。私にはそうは思えず」
「……それって、もしかして」
司会者が言わんとしていることを察して、阿東は立ち上がり、部屋の窓を開けた。
ここはアパートの二階。
目の前の道路は雑踏で、多くの人々が行き交っている。
前方には様々な一軒家や商店などが立ち並ぶ。
そんな住宅街から突き出るように、ところどころ五階建てくらいのマンションやビルが建っている。
そんなビルのうちの一軒。
阿東のアパートの前方五百メートル先のビルの屋上に、如月の姿が見えた。
黒い忍者装束ではない、白いジャージ姿の如月だ。
「あ……やっぱりいた……!」
大きな声を上げて、お礼を述べようとした阿東。
しかし先述のとおり、アパートの前にはたくさんの人々がおり、あまり大きな声を出すと目立ってしまう。
だから阿東は、小さな声で礼を述べた。
普通ならまず聞こえない声量と距離だったが、如月の耳なら問題ないだろう。
「如月……ありがとう」
その阿東の声は、聞こえたのだろうか。
如月はすぐにその場から動き出し、ビルの屋上から飛び降りて姿を消した。
――リバースエッジ ~殺し屋たちのウラオモテ~ <完>