第19話 翻刃
九頭巡一郎は、幼い頃から毒やウイルスを生成するのが好きだった。
自分が生成した毒やウイルスは、まるで我が子のように愛しかった。
生成したそれらを虫や犬猫に盛って、のたうち回って死ぬところを見るのが楽しかった。
彼の両親は、そんな息子を、化け物扱いした。
九頭巡一郎が八歳の時、人間に毒を盛ってみたいと思った。
自分を虐げ、ロクに研究や実験もさせてくれない両親を被験者にした。
表の世界で生きられなくなった九頭は、幼くして裏社会に身を投じ、様々な犯罪グループや闇組織で働いた。
幼いながらも優秀な化学者である九頭少年の力を求める組織は多かった。八年ほど前には、阿東カナがいた『施設』にもアドバイザーとして出入りしていた。
だが、どの組織も最終的には九頭を追放した。
あるいは、九頭を始末しようとした。
曰く、「お前はコントロールが利かない」。
曰く、「仲間を実験台に使うな」。
曰く、「誰がこれほどの危険物を作れと言った」。
自分が悪く言われるのは構わない。
クソみたいな性格をしているという自覚はある。
しかし、どうして皆、自分の製品をも認めようとしないのか。
危険すぎる薬品? あまりにも殺しすぎる猛毒?
殺すための製品を作っているのに、人が死ぬことの何がおかしいのか。
このリバースエッジで勝利したら、九頭は『組織』の助けを借りて、日本中に毒を撒く。自分が造り出した作品の性能を世の中に知らしめるために。ついでに苦しむ人間の姿も見られて一石二鳥だ。
自分の製品の価値を、全ての人間に認めさせる。
それが九頭巡一郎の願いである。
「邪魔はさせねェ……。栄光を掴むのはこのオレだぁッ!」
如月に向かって、九頭は怒鳴るように宣言した。
対する如月は、阿東を傷つけられた怒りの表情のまま、白鷺の刀を正眼に構えている。
その場から動かず、にらみ合う両者。
様子見が続くが、両者の間の空気は重圧で震え、まさに一触即発といった状態。何かのきっかけ一つで、二人は一気に動き、目の前の標的に対してトドメを刺しにかかるだろう。
先ほどの如月の斬撃で、九頭は右腕を失った。右手に生えている大爪でなければ、白鷺の刀を受け止めることはできない。再生能力により、斬られた右腕を拾ってくっつけることはできるが、恐らく如月はそのような暇を与えてはくれない。
だが、逆に言えば、如月も白鷺の刀を使わなければ、九頭に致命傷を与えることはできない。
(この際だ、右腕は捨てる……。如月の刀に最大限の注意を払いつつ、攻撃を仕掛けてきたところを左腕で迎え撃つ! ヤツも負傷している。動きは鈍くなっているはずだ。オレは心臓か脳、どちらかを集中して守っていればいい。肉を切らせて骨を断っちまえば、オレの勝ちだ!)
思考を巡らせ、九頭は如月を迎え撃つ態勢に。
さらにもう一つ、彼には考えがある。
(阿東カナを助けたいんだろう? その傷じゃどうせ助からねぇけど、だからって見捨てるほど薄情にもなれねぇよなぁお前は! 今すぐにでも助けに行きたいはずだ。しびれを切らして、まもなく飛び掛かってくるぞ。オレはそこにカウンターを合わせるだけでいい!)
そして、九頭の読み通り、如月が動き出した。
刀を持つ両方の腕を引き絞りつつ、正面から九頭へと駆ける。
「うおおおおおおっ!!」
「予想通りだ! はははッ、来やがれェ!」
如月の接近を待つ九頭。
彼が持つ白鷺の刀に、全力の注意を向ける。
あの刀さえ防げば、九頭は勝てる。
如月は、まだ刀を動かさない。
刀を持つ腕を引き絞ったまま、九頭に向かって駆け続けている。
もう間もなく、如月が九頭を射程範囲内に捉える。
刀を突き出せば九頭の心臓に命中するであろう間合いに。
「まだか……まだ来ねェのか……!?」
……そして。
如月が、引き絞った両腕はそのままに、刀から手を放した。
九頭の目にはスローモーションに見える。
如月の手から離れた白鷺の刀が、ゆっくりと落下していく。
「…………は?」
困惑が、九頭の脳内を埋め尽くした。
(その刀は……お前の唯一の勝ち筋だろ? なんで捨てた? いったい何の意味があって……)
九頭は、まばたきほどの一瞬であるが、落ちていく白鷺の刀に視線が釘付けになった。
その僅かな隙を突いて、如月が一気に九頭との間合いを詰めた。
そして、左右の掌底を重ねて、九頭の胸部にまっすぐ叩きつけた。
「破っ!!」
「ぐっ……!?」
捨てられた刀に気を取られて、九頭は如月の接近を許してしまった。
……が、しかし。
如月の掌底ごときで破壊されるほど、今の九頭の肉体は軟弱ではない。
それどころか、如月が放った両の掌底は、いったい何をしたかったのか分からないくらいに、九頭にとっては痛くもかゆくもなかった。
「……そんな攻撃が効くか、馬鹿がよォォォ!!」
勝ち誇ったように叫び、左の裏拳を振るい、九頭は如月を殴り飛ばした。
「がはっ……!」
如月も咄嗟にガードしたが、受けきれずに吹っ飛ばされた。
倒れた如月。
立っているのは九頭。
リバースエッジの勝者が、決まった。
九頭は、倒れた如月に向かって歩き出す。
「まだ息があるな? お前が生きてたらゲームが終わらねぇんだ。本当ならオレの毒でじっくりと死ぬところを観察してぇんだが、今から忙しくなるからな。時間が惜しい。楽に殺してやるから感謝し……ろ……?」
……如月にトドメを刺すために歩こうとした九頭だったが、足が動かなかった。右足、左足ともに負傷は無いのだが、彼の意思に反して、彼の両足は一ミリたりとて踏み出せない。
さらに、九頭は呼吸が苦しくなってきた。
全身から力が抜け始め、立っていることもままならなくなり、膝をつく。
「はぁッ……はぁッ……!? 何だ……何が起こってる……!?」
九頭の顔色がみるみるうちに青くなっていく。
その時、ハッとした表情を浮かべて、九頭は如月を見た。
「お前……お前の仕業だな……!? お前、オレにいったい何をしたァ……!?」
「如月流暗殺拳”鐘楼”。秘伝の掌底で生み出す特殊な振動を相手の心臓に打ち込んで鼓動を停止させる。もうアンタの心音は聞こえないよ」
「あ、暗殺拳……!? テメェ、最初から刀は囮で、こっちが本命かッ!」
「そうだ。暗殺拳も使うと言っただろ? ……ああいや、勘違いだった。アンタには言ってなかったな。阿東さんには言ってたけど」
説明しつつ、如月はふらふらと立ち上がり、近くに落ちていた白鷺の刀を拾い上げた。そのままゆっくりと九頭に近づいていく。
トドメを刺すはずが一転、トドメを刺される側に。
九頭は、その事実を受け入れられなかった。
もう心臓が停止しているはずなのに、九頭は気合いで動いた。
如月めがけて走り寄り、左腕を振り上げる。
「クソガキがぁぁァァアアア!!」
「はっ!!」
短い声と共に、如月は下から上へ刀を一閃。
振り下ろされた九頭の左腕を斬り飛ばした。
「なぁッ……!?」
両腕を失い、尻もちをついた九頭。
もう、どうあがいても、次の如月の一太刀を防ぐことはできない。
瞬間、九頭の思考を「後悔」が埋め尽くす。
自分が優勝すると信じて疑わなかったのに。
こんなゲーム、参加するんじゃなかった……と。
「ま、待て! 待ってくれ! まだ実験が終わってない新製品がたくさんあるんだ! コイツらを完成させてやらなきゃ死んでも死にきれねぇ! なぁ頼むよ!? 待て待て待て待て!」
「往生、しやがれっ!!」
「待ッ――」
如月は、振り上げた刃を翻し、振り下ろす。
九頭の頭部が、袈裟の方向にかけて真っ二つになった。