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第8話 交換条件⁉︎

 今朝も僕は洋間の平凡な天井を見て安堵する。

 僕はここにいる、令和の現代に。


 大正時代の山口正一という、世間に名も知られぬ作家の小説を読んでからというもの、ほぼ毎日僕は僕の夢の中で正一になっている。愛する志乃の姿が真夏(まな)であることの残念さは依然そのままだけど。

 相変わらず正一は志乃に会うたび小説の書き方を教えている。

 今、僕が重なっている正一の思考の中には、書いた小説を発表したり自費出版したりという欲求はない。


「おはよ……」朝、学校への道のりのいつもの合流地点で真夏は静かに呟いた。

「どうしたんだよ? お前らしく無い?」

 僕の問い掛けに俯くように頷いて、鞄から昨日僕が貸した古い冊子を取り出す。

「これ。全部読んだんだけど後書きに出てきた女性の名前、私の小説と全く同じ。正直ちょっと怖い」

 ……しまった。

 真夏は文体が影響を受けてしまうからという理由で極力本を読まないようにしていると以前自分から言っていた。なので僕が指定した短編以外、ましてや後書きなんか読む筈がないとたかを括っていた。


「志乃なんて古臭い名前、大正時代をイメージしたんなら被る事もあるって」

 顔を上げてこちらを向いて何か言い返そうとした真夏だったが、空虚に口をパクパクさせてまたすぐに俯いた。

 僕も口ではそう言ったが、そもそも名前の一致だけでは無いんだ。二人の関係性や生活に関係する部分に共通点が多いのだ。数軒の古書店巡りをしてやっと見つけた自費出版の短編集。その苦労から、こんなマイナーな本を真夏が読んだことある筈ないと考えていた。しかし、真夏が小さな頃に山口正一の小説を読んでいないかどうかなんてわからない。記憶に残っていない頃に読んだ事があって無意識のうちにその情景が浮かんできたのかも知れない。それが自分の内から湧き出たものかどうかなんて本人でも判断出来ない。

 僕はわざとらしく話を逸らした。

「真夏。今まで俺しか読んでない真夏の小説、このままだと誰にも読まれないまま消えちゃうんだよ」

「言いたいことはわかるけど、それって阿良弥(あらや)だって同じでしょ?」

「違うだろ? 俺とお前じゃ……」

「書きたいんでしょ、阿良弥も。同じだよ。わからないとでも思ってたの?」

 真夏はずっと前から僕が小説を書いてみたいけど書けない、書く自信がなく悩んでいることを見抜いていた。

 僕以外の第三者からの酷評を恐れて部活動の冊子に作品を発表出来なくなった真夏。自分の才能の無さに嘆きながら小説を書くことにチャレンジすら出来ずにいた僕。僕らはお互いに、一歩踏み出す勇気のない相手の事を思ってヤキモキしていた。


 正門まであと少しという所で真夏が立ち止まる。僕は気付かずに馬鹿みたいに一人で話しながら数歩(ある)いて、返事が無いので振り返った。

「阿良弥も書いて、君の小説。私が教えてあげる。そしたら私の小説も阿良弥以外にも……勇気を出してみる!」

 そう言って笑った真夏の顔は志乃と重なることのない、僕だけが知るいつもの真夏だった。

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