第7話 浮世草子
大正時代に書かれた幾つもの作品群。
今、僕たちが目にする事が出来るものは数多とあるが、その時代に名の知られていない作家の作品は後世の人達に読まれる事なく消えていく。
真夏が書いている小説たちも、悲しいけれど何年も後に誰かが読むことはないんだ。
彼女の書きあげる世界は、その世界の住民たちは、おそらく僕の頭の中にしか残っていかない……。
「阿ー良弥!」
まるで何かの掛け声の様に呼ばれた僕の名前と共に自分のお尻に鈍重な痛みが走る。僕は変わらない朝の光景の中にいる。僕が今、ここに、この時代に生きていると実感出来る。
「なぁ真夏。お前ネット小説とかには興味ないのか?」
「何それ? 愛しい相方に二日ぶりに会った最初の言葉がソレ? せめて朝の挨拶くらいちゃんとしてよね。おーはよっ」
「……そうだな、おはよう。俺も自分の名前が挨拶みたいに使われる結果を知ってたら夢の話なんてしなかったよ」
学校までの道中、僕は真夏にインターネットの小説投稿サイトに今までの真夏の作品を上げてみてはどうかと話した。
しかし真夏は興味が無いと言いながら何処かよそよそしい表情でその話題を逸らそうとし続けた。
お互いの教室に別れる場所で、真夏の顔はクラスメイトや女友達に合わせた顔に変わっていく。
僕の知らない真夏の表情。
彼女の書いた小説を読んで、夢の中で僕が欲しかった才能を持っている自分を体験して、毎朝見ていた真夏の些細な変化にも気付けた。
ヒラヒラと僕に向けて別れの合図を送る真夏の掌を掴む。驚いた様子で真夏が恥ずかしそうに振り払った僕の手は、続けて昨日古書店で買った小冊子を鞄から取り出し彼女に差し出していた。
大正時代の有志によって作られた自家製本の短編集。今で言うなら創作同人誌のようなもの。それを真夏に渡した。
そう、これを入手した時点で真夏がこんな古くて希少なものを読んでいる可能性は皆無という結論に達した。だけど僕はこうやって作品を形にし後世に残す事の意味を理解したんだ。
この時、この短編集に寄せられた何人もの作家の卵たちが何を考えていたかのか。どんな生活をしてどんな世界を夢想していたのか? この冊子を読んだ時そんな想いが僕の中に溢れた。
現代。敢えてそう言わして貰う。
昨日買った冊子を読んだ僕の魂は、確かに大正時代の浮世の空をふわふわと遊覧飛行していた。時間旅行から帰ってきて最初に考えたのが真夏の事。いや、正確には彼女の書く小説世界の事。
学内での評価は散々だったが、世の中には僕と同じ様に彼女の書く小説を純粋に楽しく読める人々が沢山いるのではないだろうか?
「この中の山口正一って人の短編小説だけでも読んでみて」
「え? 正一って……」
戸惑って、僕の前で見せる顔とクラスで過ごす顔の入り混じった表情の彼女が僕から冊子を受け取った、
僕の手と彼女の手が直線触れなくても、冊子を通して触れ合った瞬間。
僕の姿が作者の山口正一に、そして真夏の姿は僕が想像した山口の恋人、村中志乃の姿に変わった様な、そんな錯覚に見舞われた。
「何で同じ名前の人がいるの? 大正からそっからとって適当に考えた名前なのに」
「あぁ、わかってる。全くの偶然だよ。ただ真夏の、お前が今この時代に居たって事実を残す事の大事さをこの冊子で感じて欲しいんだ。お前が人が書いた作品を読まない様にしてるのは知ってるけど、だけどこれだけは読んでみて欲しい」
短編を寄稿したであろう大正時代に生きた作者の名前と環境が偶々真夏の作品と似ていた。
後書きに書かれていた、彼の良き理解者でありパートナーであった恋人の名前までもが偶然一緒だった事は伏せておいた。