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エピローグ


 つるりとした鼻を何度も撫でる。傷は消え、痛みも消えたはずなのに、いつまでも残っているようで落ち着かない。


「おい、いつまでやってんだ」


 ぶすっとしたヴィンセントが、表情通りの声でこちらを睨めつける。


「俺の回復魔法が信用できねえのか」

「効き過ぎるから、どうしても痛みが残留するんだよ」


 もっとゆっくり治ればいいのに。瞬きの内に綺麗にしてしまうから、頭が追いつけずまだ痛いんじゃないかと錯覚する。


「じきに治まるから、気にするな」


 自分から噛みついてきたのに、どうしてかヴィンセントは返事をしない。視線を投げると、きつく奥歯を噛みしめていた。耳がぴくぴく動いている。


「……どういう感情だ、それ」

「うるせえ。放っとけ」

「何なんだ……」


 自業自得とはいえ鼻を削がれ、その様を知人たちに笑うだけ笑われ、謝罪はあまりに情けない状態ではあったが辛うじて済ませた。昼食の最中に流血沙汰が起きたというのに、誰も彼も笑うばかり。私の認識が古いままになっていただけで、メリンダは意外と血の気が多かったりするのだろうか。少なくとも私が通っている間に、あんな事態を起こすようなやつを見たことはなかったが。

 もう早いとこ町を出よう。面白いから言いふらしてやろう、と笑う声がしていた。血で何も見えなかったから顔を確認できなかったことが惜しまれる。

 鼻を削がれた情けなさに打ちひしがれている間に、すっかり昼を過ぎてしまった。少ない荷物をまとめるのにそう時間はかからなかったが、門の出入りは多くなってくる時間帯だ。短気なヴィンセントが舌打ちしだす前に通り抜けられるといいが。


「なあ、エー……ジャック」


 おっかなびっくりといった様子で名を呼ぶヴィンセントには、どうしても調子を狂わされる。慣れるしかないのだろうが、慣れることができるとは思えない。


「何だよ」


 意識して声から棘を抜く。昨日の今日で、すっかり喧嘩腰が板についてしまった。これまで苦労して物腰の柔らかい人間を演じていたのに、約四百、いや五百年ぶりに被った猫が剥がれそうだ。


「お前ギルドで、……あの金なんだよ」

「……」


 無視した。

 言いたくない。全身でそう主張する。言いたくない。


「な、何だよ! 教えろよ!」


 教えたくない。言わない。


「君こそどうなんだ。王を脅迫したなんて聞いてないぞ」


 痛いところを突っついてやると案の定、ヴィンセントはぎくりと体を強張らせた。


「うっ……そ、それは……まあ、色々あって」

「話せよ」


 言いたくないほどのことをしたのか、あるいは私に知られたくないのか。ヴィンセントは強情に歯を食いしばって言葉を潰していた。


「私が戻らないと旅を再開しないと言われたんだろ。でも魔王は倒した」


 その間で起きたことなのだろう。


「ぐ、軍を動かした」


 促すとあっさり告げられた。その内容に、自然と眉根が寄る。


「……どうやって?」


 王は絶対に軍を動かさない。旅の最中、幾度も話し合って、けれど決して覆らなかった結果だ。王は自陣の戦力を割かない。

 魔王討伐などという任をたった四人、後半は五人に押しつけるような人間だ。まともじゃない。

 軍を出せと何度も言った。人数と戦力で叩くしかないと。相手は魔王だけでなく、これは魔族との戦争なのだ。魔族と五人、この戦力差でどうしろというのか。

 言葉を尽くしても結果は変わらなかった。軍は魔族に襲われた人々の支援に回す。軍は出さない、その一点張りで。

 成功しても失敗しても、切り捨てるつもりだとわかっていた。力があるばかりの所詮ははみ出し者。金で釣って使い潰すつもりだと。しかし生憎、私たちはヴィンセントという暴君のおかげでそういう扱いには慣れていたし、いざとなれば暴力で反逆する気満々だった。だからあらゆる手段で金を引き出したし、報酬を受け取ったあとはヴィンセントも暴力で解決したのだろうと思っていた。

 しかしまさか、ヴィンセントが軍を動かせたということは、彼だけは違う使い道を見出されていたのだろうか。


「そんな顔するなよ。話し合ったわけじゃない」


 よほど険しい顔をしていたのか、ヴィンセントは耳を垂らした。


「お前、俺に言ったろ。昔は人の精神に干渉して服従させる魔法があったって」

「……言った」


 装備を修復する魔法を編み出している最中、そんなこと不可能だと鼻で笑うヴィンセントに語って聞かせた昔話だ。昔は今より大気中の魔素濃度が濃かったから、日常的に使える些細な魔法や、使いどころの限定されたよくわからない魔法なんかもたくさんあった。装備を修復する魔法もその一種で、昔あったのなら、現代でもどうにかできるはずだと。その派生で、魔素に関係なく禁忌として葬り去られた魔法もある、と。


「それを使ったんだ」

「……できたのか」

「できた」


 言葉が出て来ない。

 ――こいつの、こういうところが。

 胸の奥がチリチリと焼けるような痛みに襲われる。それが何であるか私は嫌というほど知っているが、気づきたくないので無視した。


「服従させて軍を動かして、仲間たちには軍が先に魔王を倒したら、俺たちへの報酬はなしだって言ったんだ」

「で、でも……」


 みんな報酬は受け取らなかったじゃないか。その場で解散したんだろ。

 言おうと思った言葉は全部、ヴィンセントの痛々しい表情に潰された。


「魔王を殺したあと、俺たちに怯えて腰を抜かしてる軍の連中を尻目に、みんなが言ったんだ『報酬はお前が受け取れ。俺たちは要らないから、エースを見つけて渡してやれ』って。そのまま解散した」


 そんなこと、一言も……。


「だから絶対に見つけなきゃって。俺は俺で寂しくて、どうにかなりそうだったし」


 返事のできない私をどう思ったのか、ヴィンセントは続ける。


「王宮に戻ったら、ごちゃごちゃ色んなこと言われたけど、どうでも良かった。みんなとの約束だから報酬をもらうことは譲れない。ちゃんと五人分もらえるようにまた服従させて、あとは俺のこととか魔法のこととかわかんなくなるくらい強力な混乱の魔法を王宮中にまき散らして、逃げた」


 混乱。精神干渉の魔法を応用させたのだろう。魔法に関しては本当に天才だ。どちらも禁忌として葬られ、とっくに失われた魔法だ。俺はただ、そんな魔法もあった、と言っただけなのに再現して、実際に行使までしてみせた。


「お、俺は話したぞ! お前も話せよ! 何だよあの金!」

「みんなのところに届けてもらったんだよ」

「は……?」


 白状するしかない。


「君たちが魔王を討伐したって噂を聞いてから、私はみんなを探したんだ。会いたかったし、勇者にはお別れも言ってなかったから。面倒事を押しつけたまま一人だけ抜け出した負い目もあったし」

「さ、探したって……会えたのか!?」

「会えたよ」


 見つけたとき、戦士は小さな食堂をやっていた。私の顔を見るやフライパンをぶん投げてきたときには死ぬかと思ったが、わんわん泣くので火傷の文句は言えなかった。まさか熱したフライパンを人間に向かって投擲するやつがいるとは思わなかった。

 神官は孤児院の院長をやっていた。こちらも私の顔を見るや抱き上げていた子どもをぶん投げてきた。受け止めたし、子どもははしゃいでいたが、正気じゃない。彼は泣かなかったが、代わりにボコボコに殴られた。

 勇者は従えていたフェンリルと結婚していた。雌だとは知っていたが人型になれるとは知らなかった。こちらは何も投擲しなかったが、代わりに日が暮れるまで膝詰めで説教された。


 いろんな話をして、交流を続けて、葬式にも行った。どいつもこいつも息子を頼むだの孫をよろしくだの頼むんで、転生するたびに戻ってくる羽目になった。今ではすっかり彼らの家系のあしながおじさんだ。金は要らないから遊びに来て、と言われることのほうが多いが、最近はすっかり足が遠のいている。懐かしくて、涙腺が緩んでいけない。

 蓄えていた金を切り崩し、稼いだ金も切り崩し、貧困に喘ぎながらもみんなに金を届け続けている。万が一、私が死んで転生するまでの間に金で苦労することのないように。

 戦争、飢饉、あらゆる厄災は唐突にやってくる。その際に少しでも救える命を増やすために、要らなくても蓄えておけと言い聞かせて。自分たちで使えなければ次の世代に、私の次が必ずまた届けるから、必要になったら迷わず使えと。

 時にはバカをやるやつも出たが、それもまた人間らしいと金を届けることはやめなかった。バカは殴って邪念を追い出せばいいだけだ。


「な、え……は……?」


 わなわなと肩を震わせるヴィンセントはショックよりも混乱が勝るようで、変な声を漏らしながらしばらく悶絶していた。しかしハッとして私を睨む。


「俺は!? 俺、お前に探してもらった気がしねえ!」


 だって探してないし。

 顔に出たのだろう。ヴィンセントはカンカンに怒りだした。


「何で俺を探さないんだよ! 俺も仲間だったろうが!」

「どの口が言うんだ。要らないって捨てたのは君じゃないか」

「そ! れを、言うなよ」


 言うよ。何で言われないと思った。

 どうやら湿っぽい気分は吹き飛んでしまったようで、彼の金髪が威嚇する猫のように逆立つ。長い耳がピンと立って、ともするとつかみかかってきかねない。


「俺はみんなにお前を見つけられなきゃ殺すとまで脅されて、必死になって各地を放浪してたってのに、お前その間、みんなと仲良しこよししてたってのか!?」

「まあ、そうなるな」


 みんなと再会して懐かしさに胸を焼かれてなきゃ、この町に戻ることもなかった。


「卑怯だぞ! 俺だけ除け者にして、お前のほうがよっぽどひどいことしてるじゃねえか!」

「逆だ、逆。君がひどいことをしたから、被害者が団結してるんだよ」

「じゃあ俺のおかげだな!」


 ショックのあまり混乱しているらしい。ついでに、混乱をすべて怒りとして吐き出すことに決めたようだ。しかし怒り過ぎて、自分でも何を言っているのかわからなくなっているのだろう。とんでもないことを言い出した。これからどんどん言葉を選ばなくなって、ろくでもないことを言い出すに違いない。


「俺のおかげで団結したなら俺に感謝して俺のところに戻ってこい!」


 ほら、さっそくろくでもないことを言い出した。


「君ね、そういうところだよ」

「どういうところだよ!」


 顔を真っ赤にして噛みつく様は、何だか子犬でも相手にしている気分だ。


「謝ったし反省してるし一緒に旅するんだから、俺のところに戻ったっていいじゃねえか!」

「それは嫌だ」

「何でだよ!」


 ヴィンセントの境遇を知って気持ちに変化が生じたのは事実だ。だからって、私のトラウマが消失したわけじゃない。昔の関係に戻ってやり直すには、まだ傷が痛む。


「言ったろ、私は人間だ。エルフの君にいつまでも付き合ってられないよ」

「どうせ転生するんだからいいじゃねえか」


 簡単に言ってくれる。

 私にとって転生は前向きなことじゃないと、何度も言ったのに。自分の都合のためならあっさり忘れてしまえるらしい。こういうところは、彼の境遇関係なく、純粋に性格の悪さだと思うのだ。


「転生するたびに君のところに戻って来いって? 嫌だよ」


 私には私の人生がある。


「三百年は俺が探したんだ。次はお前の番!」

「嫌だよ。君のために人生を使う気はないんだ」


 四百年近く生きてなお少年の姿をしているエルフだぞ。一体、私の人生の何回分になるのだろう。

 それに、私の転生はそんなに都合のいいシステムになってない。死んで、次に生まれるまでの期間には結構なムラがあるのだ。一年足らずで転生することもあれば、死んでから百年経ってた、なんてざらにある。

 三百年も寂しさを引きずっているような男だ。もし何百年も転生しなかったら、それまでこいつはずっと私を待ち続けることになる。


「付き合いきれない。お断りだ」


 私を探せと仲間が言うから。それだけなら、きっとここまで食い下がることはなかっただろう。見つけ出して金を渡して、少しの期間でも一緒に旅をすれば、それで気持ちの整理をつけられただろう。

 そうではないから、寂しさを振り払えないから、孤独に慣れないから、ヴィンセントはきっといつまでも私を待つ。


「~~~~っっっっお前は俺のものなんだから言うこと聞けってばっ!」


 子どもの癇癪のほうがもう少し理論的だと思う。

 相手にするだけ疲れるとわかっている。しかし私はヴィンセントに所有物扱いされると、どうしてもかちーんときてしまう。


「私は私以外の誰のものでもないって言ったろ! 私は昔から君のそういうところがきぃ~~っ、……好きじゃないんだ!」

「ついに嫌いって言いやがったなこの野郎!」

「言わないように我慢しだろう!」

「それもうほとんど言ってんじゃねえか!」

「言わせたんだろう!」


 白熱する喧嘩に水を差すように、ぽん、と肩に手を置かれた。振り返ると、酒好きな門番の相棒が、冷ややかな視線を向けていた。

 いつの間にか門まで到着していたらしい。話に夢中で気づかなかった。これだから歩き慣れた道は嫌なんだ。周囲を確認しなくても足が覚えてしまっている。


「荷物、出して」


 あと、うるさい。

 静かな声を受けて、後ろに並んでいたらしい人々から笑声が弾けた。かなり目立っていたのか、揶揄う声が多く投げかけられる。


「す、すまない……」


 顔に熱が集中する。

 通れ、と荷物を消されるや否や、ヴィンセントの腕をつかんで門の外に飛び出した。人々の笑声が振り切れるまでしばらく走る。


「お前のせいだぞ」


 ぼそっとこぼされた不満に口元が引きつったのが自分でわかった。


「お前が駄々をこねるから、恥をかいた」

「君がしつこいからだろう」

「何が嫌なのかさっぱりわかんねえ」


 こいつ、人がなけなしの優しさで言ってるというのに。


「ろくでなし暴君エルフ」

「それ悪口じゃねえか!」

「悔しかったら、人の気持ちを汲み取れる男になれ」

「舐めんなよ! 昔よりはできる!」

「オークの排泄物からゴブリンの排泄物になった程度で威張るな」

「お前……そんな悪口どうやったら思いつくんだよ!」

「悔しかったら君も転生してみるといい。無駄に生きてると無駄な語彙も増える」

「もっとマシな利点で誘えよ!」


 マシな利点があったらするのか。


「もういいから、行くぞ。まずは東にある町に行く」

「何があるんだ?」

「孤児院」


 こいつはまず、幼い子どもと一緒に人との接し方を学ばせるのが手っ取り早いだろう。私みたいに言い返すこともなく泣き出す子どもたちに囲まれて、せいぜい己の態度を改めるといい。

 返事がないので不満なのかと隣を見ると、ヴィンセントは顔を丸めた紙のようにしわくちゃにしていた。ぶっさいくな顔だな。


「どんな感情なんだよ、それ」

「俺、お前のそういうとこ、ほんっっっっとうに、嫌い!」

「どういうところだよ!」


 ゆっくり区切って言うな、腹が立つ。

 気を落ち着けようと見上げた空は相変わらず晴天で、だから少しは曇ったりしろよ、とやはり八つ当たりする気持ちが浮かんだ。まったく私というやつは、成長しない男だ。


「よし、行くぞ!」


 声に出して気合を入れると、


「おう!」


 と妙に元気な返事が返ってきた。これは、あのときにはなかったものだ。思わず破顔して、私はそんな自分を振り切るよう大きく踏み出した。

 

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