06
ろくでなし暴君エルフ。
意味と、誰に向けた言葉であるのか理解するのに手間取っていると、私より早く理解したらしいヴィンセントが髪を逆立てた。慌てて羽交い絞めにする。
「な、んだとこらてめえ! この、くそ、離せ!」
どうやら、というかやはり、ヴィンセントに向けた言葉であったらしい。
「事実を言われたからって怒るな」
「暴言を吐かれたから怒ってんだよ!」
じたばたするヴィンセントをどっこいどっこい押さえ込み、眉を吊り上げた受付嬢に向き直る。一応、確認しておこう。
「えーと……ろくでなし暴君エルフって、」
「その人! その人ですよ、ジャックさん! 昔、とっても優秀だった魔法使いさまを自分勝手な理由でクビにした挙句、結局は困って国王陛下を脅迫したっていう、凶悪なエルフですよ!」
押さえ込んだヴィンセントの顔をじっとり覗き込む。
「脅迫の件は初耳だ」
「……き、今日、言うつもりだ、った」
エメラルドグリーンの双眸が暴れまわる。嘘じゃねえか。
「私、ここに就職するって決まったとき、おばあちゃんに懇々と言い聞かされました。金髪で緑の目をした偉そうな少年エルフには気をつけろ、って」
腰に手を当てぷんすか怒って見せる受付嬢の姿に、思い出す何かがあった。この表情には、見覚えがある。
「おばあちゃん……って、まさか……」
「はい! 私は昔ここで受付嬢をしていた猫人族の孫です!」
頭を抱える。猫人族、という情報から気づくべきだった。
彼女の祖母は、私が追い出される直前まで通っていたギルドの受付嬢だったわけだ。ヴィンセントの傍若無人な振る舞いも、それに振り回される私たちも、すぐそばで見ては今の彼女のように頬を膨らませていた。加えて、彼女の祖母は猫人族の血がまだ濃かった。人肉程度なら容易く裂くという爪を光らせていた。
暴れていたヴィンセントが途端に大人しくなる。一度、怒鳴り散らす彼の騒々しい声に耐えかねた彼女に、顔面をざっくり削がれたことがある。あのときの恐怖は忘れられなかったらしい。顔を両手で覆ってしまった。
「それにしても、髪と目の情報だけでよくこいつがそのエルフだとわかったね」
「ジャックさんと一緒にいたから、そうなんだなって」
「私?」
彼女の祖母の世話になっていたのはエースだ。もちろん転生の話はしていない。知っているのはヴィンセントと、かつての仲間たちだけだ。それも、勇者とは話をする前に別れてしまった。
「はい。受け取った報酬のほとんどを特定の場所に届けてくれるよう頼む変わり者が来たら、エースっていう冒険者さんの関係者だからっておばあちゃんが言ってました」
情報共有に余念がない。
さすが、お食事処『猫のしっぽ亭』の亭主をやっていた姉と協力して、報酬を受け取った冒険者をじゃんじゃん店に招いていただけのことはある。あれは本当に見事な連携だった。
町で有名な猫人族の姉妹に撫でられたら、骨の髄までしゃぶられるから気をつけろ。財布の紐をしっかり結べ。飲み食いする金以外は土に埋めておけ。
冒険者の間で飛び交う注意喚起はほとんど意味をなさず、可憐な笑顔と猫撫で声、心をくすぐる褒め言葉、美味い食事と、あらゆる誘惑があれよあれよと財布の紐を緩め、宿に帰る頃には受け取ったばかりの報酬が随分と軽くなっていた、というのは有名な話だった。実に商魂たくましい。惚れ惚れする。ちなみに私たちの場合も、戦士と神官がコロッとやられて危うく文無しになるところだった。……数回はなったかもしれない。
荒稼ぎした金のほとんどを、魔王軍の被害にあった人々への支援に回していたとみな知っていた。協力できることなら最大限、と常連になる連中は後を絶たない。搾れるところまでは搾るが、決してぼったくっているわけではなかった。笑って流せる、お茶目な子猫たちだったし、愛されていた。
「……どうりで、最初から私を信頼してくれるはずだ」
「ふふ、びっくりしました? 私たち、家族ぐるみのご縁なんですよ」
家族ぐるみ。なるほどエースの関係者というのは、血縁関係にあるという認識でいるわけだ。転生の話を信じてもらうより、そちらのほうが好都合だし、そういうことにしておこう。
「そんなことより! 気をつけてくださいね、ジャックさん。そのエルフは人に心があることを知らないから、ひどいことを言われたら鼻を削ぎ落とせっておばあちゃんが言ってました!」
おばあちゃん、孫への助言が物騒だ。素直な娘さんなのだから、あまり過激なことを吹き込まないほうがいいだろう。
私の身を案じるあまり、ヴィンセントのトラウマをボコボコにしていることに気づけていない。彼はさっきから顔が真っ青だ。
自分が周囲からどんな目で見られていたか。こうまできっぱり突きつけられるのは辛いだろう。
「大丈夫だよ。彼はもう反省するきっかけをつかんでいるし、口喧嘩じゃ負けないから」
「そうですか? でも、本当に嫌なことされたら言ってくださいね。おばあちゃんほどじゃないけど、私の爪も切れ味抜群なんです!」
にゃおん、と鳴いて爪を見せてくれる。綺麗に整えられた、美しい爪だ。
ひゅ、とヴィンセントの喉から変な音がした。
「ありがとう、覚えておくよ」
「はい、いつでも」
「それじゃあ、そろそろ行くよ。また頼む」
「はい、お待ちしてます」
爽やかな笑顔に見送られ、子鼠のように萎んだヴィンセントを引きずってギルドを出る。
「ほら、腹が減ったんだろ。自分で歩け」
抱え起こすが、まだ顔が青い。
「夜は昨日のお詫びも兼ねて『猫のしっぽ亭』に行くから、朝と昼は質素でも文句言うなよ。それから、昨日のことは君もきちんと謝るんだぞ。あんな騒ぎにして、みんなのせっかくの食事時を台無しにしたんだからな」
まあ、急なことに驚いて反射的に殴り飛ばした私が起こした騒ぎだが、原因は彼にあるので同罪だろう。むしろ過失の分配は、彼のほうへ多くを振り分ける。
返事はないが自力で立ち上がったようなので、待たずに歩を進める。
話し込んでいたために思ったより時間が過ぎたらしい。町は早くも賑わいを見せていた。通りを適当にぶらつき、パン屋でサンドイッチを購入する。
「お、俺が払う!」
「いいから、しまっとけ」
ハッとした様子で駆け寄ってきたヴィンセントを雑にあしらう。
「肉……は、食べられるんだったな」
頷いたヴィンセントの耳はすっかり垂れていたが、無視してサンドイッチを手に持たせる。
「宿代もケチる癖に簡単に奢ろうとしなくていい。それの分配は宿に戻ってから、話し合いのあとにでもしよう」
「……わかった」
ヴィンセントは拗ねた子どものように口を尖らせる。慣れない。居心地が悪い。記憶にこびりついたかつての彼の姿とのずれに、どうしても戸惑ってしまう。
容姿に変化のないことも拍車をかけているのだろう。改めて、エルフなのだと思い知らされた気分だ。
出会った、……出遭った頃と同じ、十代の少年に見える容姿。よくよく観察してみれば、ローブもブーツも当時と同じものだ。どうりでデザインが古いと感じたわけだ。
金髪は相変わらず輝いて見える。双眸には変わらず炎が灯っている。そういえば、猫のしっぽ亭で再会したときは雨にでも降られたように感じたが、いつの間にか昔の明るさを取り戻している。
ふと思った。
「君、いくら何でも容姿に変化がなさ過ぎないか?」
当時の彼は八十歳、あれから三百年。もう少し、例えばそう、私と同じ二十代くらいに成長していてもおかしくない。
ぎっちり具の詰まったサンドイッチを早くも半分ほど平らげたヴィンセントが、怪訝な顔でこちらを睨んだ。
「俺はエルフの中でも内在魔力が桁違いに多いんだ。老ける速度も他より遅い」
「そういうものか」
「エルフなんて皮を剥げばほとんど魔素の塊だぞ。そのうえで、俺の魔力器官は魔素の生成も魔力への変換もそこらのエルフの比じゃない」
「あ、そう……」
魔素、か。魔法の素であり、生命エネルギーでもあるそれを生成し、魔力へと変換するための臓器、魔力器官そもそもの性能が、人間とエルフとでは天地ほどの差がある。ヴィンセントはそこから更にもう一つ天地を加えて差を広げているということか。
人間では、私では決して到達しえなかった高み。見下ろす景色は一体、どれほどのものだろう。
「君は、私たちをどう思っていた」
うっかり口が滑った。
ピクリ、とヴィンセントの耳が上向いた。二対の宝石がじっと私を射抜く。昨日の続き。今するつもりはなかったのに。少なくとも、こんな町中でするつもりじゃなかった。
頭上に広がる晴天はあの日の空に似ていて、途端にサンドイッチの味がわからなくなる。ふい、とうつむいたヴィンセントが口を開いた。
「仲間だと、思ってた」
小さな声だった。
「俺が見つけて、俺が誘って、俺が引き込んだ、俺だけのもの」
お前は俺のものだ。昨夜のヴィンセントの声が脳裏に響いた。
「君だけの、私たちは道具だった?」
「違う!」
燃える双眸の熱に焼かれた。
「違う……。自分だけのものは初めてだったけど、仲間だから、宝物にしようと思った」
そんなことを考えていたのか、こいつ。そのうえであの扱いだった。
「お、俺は里じゃ宝って言われてたから、そのまま接してただけだ。だって――」
「待った!」
自分のサンドイッチをヴィンセントの口に押し込んで、強引に続きを潰した。変な汗が吹き出して、背筋を冷たいものが伝う。顔からはすっかり血の気が引いていることだろう。
やばい、やば過ぎる。
私は多分、今、エルフの里の闇を垣間見る寸前だった。
吐き気を催すような胸くそ悪い話が、自覚なく語られる瞬間だった。
危ないところだった、と額の汗を拭う。こんな晴れやかな昼時にそんな重い話は聞きたくない。ヴィンセントが里を嫌うはずである。彼が語ろうとした内容が私の想像通りなら、彼のこれまでの言動のすべてが、そのまま里での彼への扱いということになる。
語らせなくて良かった。聞かなくて良かった。
私は今、初めて、転生を繰り返すこの魂に感謝したかもしれない。
初めての経験じゃない。そういう話を聞くのも、そういう境遇にいた人に会うのも、……そういう環境に生まれたことだってある。けれどそれを、ヴィンセントの口から語られるのは、それだけは耐えられない。
「ゴホッゴホッ、……何だよ急に」
問題なく食せたらしいヴィンセントが不満の声をあげる。
「いや、君と私たちの間に横たわっていた溝の深さを実感しただけだ」
「溝……」
冒険者になる。閉鎖的な里の中にあって、彼がどうやって夢を見つけたのかは知らない。けれど彼が私たちを見つけたのは、夢のために里を飛び出してすぐのことだと聞いた。
彼は本当に、真剣に私たちを仲間だと思い、大切にしていた。――しているつもりだった。少なくとも、本人にとってはそれが真実だった。だってそれしかやり方を知らないから。
道の端へ寄りしゃがみこむ。事実の衝撃が強くて眩暈がする。立っていられない。寄ってきたヴィンセントが立ったまま私を見下ろす。不安げに揺れる双眸は、無垢な幼子と変わらない色をしていた。
己の優秀さは嫌というほど知っていただろう。だってそう刷り込まれている。天上天下において最も尊い存在は己だと、周囲がそう言うのだから。疑うなんて、そもそも知らなかったのだ。
周囲のエルフを置き去りにするほど成長の遅い彼は、まさしく魔素の塊。神にも匹敵するような存在であったに違いない。生まれた頃からそんな扱いを受けると、それが当たり前になる。
至高の存在、神をも超越する可能性。更なる高みへと押し上げるための教育は、虐待と呼ぶのも生温いものだ。
私たちに向けていたものが彼にとっての宝へ対する正しい接し方。あれが正解だと、彼は教え込まれていた。おおかた、厳しいのは期待故だというのだろう。おぞましい。
いつかも忘れた転生先の記憶と相まって、吐き気がする。
「エー……ジャック、」
「ヴィンセント」
おそらくは青褪めているだろう顔を上げ、まっすぐ双眸を見据える。
「しばらく私と旅をしようか」
世界の当たり前を、彼の知る世界は違うのだと、きちんと知らせるべきだ。教える必要がある。
怠惰だったかつてのエースの罪を、今からでも償おう。あの頃は知らなかった。けれど今はもう知っている。
「で、でも……」
「私たちは対話の努力を怠った。君の態度がひどいからって、早々に関係の改善を拒絶したんだ」
拾われた恩の分くらいは、歩み寄ってみるべきだった。
「お、お前……俺のこと嫌いだろ」
「好きになろうとしてなかったからね」
共通の敵として、仲間たちと団結する理由にしていた。今だってヴィンセントから受けた仕打ちを水に流してやるのは難しい。傷は傷だ。それでも、その原因を知ってしまった以上は傷のままにしておきたくない。
都合のいい話だと、我ながら呆れる。けれど人間なんてそんなものだろう。自己都合で己を猫可愛がりする人間なんて、私でなくとも大勢いる。手のひら返しはろくでなしの得意技だ。
「私の力が必要なんだろ。貸してやるから、旅に付き合え」
「い、いいのか?」
「言っておくが、もう暴君のような振る舞いはさせないぞ。仲裁が必要な仲間はいないし、負うべき使命もない。腹が立ったら永遠に喧嘩することになる」
覚悟しろ、と無理して口角を持ち上げる。
「受付嬢から『ろくでなし暴君エルフ』なんて呼ばれず済むよう、少しはまともな男になろうな」
わざと意地の悪い言い方をすると、ヴィンセントも察したのだろう。
不細工な笑みを浮かべ、
「うるせえよ!」
と声を張った。
「そうと決まれば、猫のしっぽ亭へ行こう。謝罪を済ませたら荷物をまとめ、すぐに町を出る」
「そんなに急がなくても……」
「私は人間だぞ。君に力を貸すのはジャックの間だけだ。急がないとあっという間に死んでしまう」
立ち上がり砂埃を払う。視線を戻すとヴィンセントは目を丸くして震えていた。
「なっ、お、お前! 俺のところに戻ってくるんじゃねえのか!?」
「嫌だね。君の人生にいつまでも付き合ってられるか。エース時代と今生だけで、お腹いっぱいだよ」
べ、と舌を出して肩をすくめる。噛みしめられたヴィンセントの奥歯がギリィ、と軋んだ音を立てた。
「お前は昔っから泥水みたいな性格してやがる」
「君だって似たようなものだ」
「お似合いならずっと一緒にいても平気だろ!」
「やなこった。素敵な女性と恋とかしたいんだよ」
「俺のそばにいてもできるだろうが!」
「私の子どもに悪影響だから、嫌だよ」
「くそったれ!」
否定しないということは、その辺の自覚はあるらしい。伊達に三百年、仲間たちからの言葉を引きずっていない。
里の外の世界を少しは知って、仲間への仕打ちが過ちだと悟っている。今のヴィンセントとなら、少しはまともな関係を築けるかもしれない。
「ほら、行くぞ。まずは迷惑をかけた相手への謝罪を覚えろ」
「お前にも謝ったんだ。謝罪くらいできる!」
「あれが謝罪であって堪るか。私のやり方を見て、真似しろ。模倣は学習の基本だ」
「ガキ扱いするな!」
「一般常識一歳児が大人ぶるな」
んだとこら。やるのかこいつ。
早速、始まった喧嘩は猫のしっぽ亭に着いても終わらず、店先で大騒ぎする私たちは揃ってメリンダからしっぽりお灸を据えられた。具体的には鼻を削がれた。
「何で回復魔法使えねえんだよ役立たず!」
「エースじゃないからだよバカ!」
顔面からしとどに血を垂れ流しながらも喧嘩をやめない私たちを、メリンダ含め周囲の連中がどんな顔で見ていたか。……ちょっと思い出したくない。