05
目を開ける。
窓から差し込む光が眩しい。カーテンを開けた覚えはない、と寝惚けた頭でぼんやりと思う。頭痛がする。寝不足だ。寝返って窓を背にする。
肉体よりも精神に蓄積した疲労が引き起こす頭痛は尾を引く。
今日は急ぎの用もない。依頼の報告があるにはあるが、そちらも急がない。このまま二度寝を決め込んで、少しでも体力を回復させようか。
横たえた体を起こすこともなく、つらつらと思考を巡らせる。
昔から朝に弱い。
どれだけ転生しても、寝起きの悪さが直ることはなかった。所詮は記憶を引き継いでいるだけ。器が変わっても中身が同じなら、大した変化はないのだろう。つくづく迷惑な話だと、これまで幾度となく思ったことをまた思う。
「……」
憂鬱なことを考えたせいで、ただでさえ気怠いというのに体が重さを増した気がする。
起きたくない。
「おい、起きろ」
上から落ちてきた声に、体がびくりと跳ねた。意識の外から飛び込んできた声に、眠気が吹き飛ばされてしまった。
体を起こし、視線を巡らせる。
「相変わらず朝に弱いな、お前」
呆れたような、ちょっと嬉しそうな、複雑な表情をしたヴィンセントと目が合った。
気分が急降下する。
「朝一で見るのが君の顔か……」
「何だよ。文句あんのか」
あるに決まっている。
「出て行けと言ったろう」
「出て行ったろ」
「じゃあ何でここにいるんだ」
「お前が寝静まるのを待って、また中に入ったから」
「……」
いくら宿だからって、捕まるときは捕まるぞ。大体、どうして私の部屋で寝るんだ。自分の宿に帰れば良かっただろう。
文句は色々と浮かんだが、口に出すのは面倒で黙った。
「いいから早く起きろ。昨日の続きを話すんだろ」
ぶっきらぼうな言い方だが、弾みそうになる声を無理して抑え込んでいるのがバレバレだ。なぜこんなにも嬉しそうなのか。寝起きだというのに溜め息を吐きたくなる状況に、早くも頭痛が加速する。
「先にギルドへ行く。用を済ませたら食事だ。話し合いはそのあと」
「わかった」
一も二もなく返事を寄越す様子に、眉根に寄ったしわが深くなる。ヴィンセントが私の言うことに素直に従っている状況に慣れない。気味が悪い。居心地が悪い。
「昼には済ますから、それまで好きにしているといい」
「ついて行く」
「……」
嫌だなあ。隠すのも面倒でそのまま顔に彩って見せるも、寝起きの私は大抵、険しい顔をしているので伝わらなかったらしい。ヴィンセントは早く起きろと急かすばかりで、気にした様子もない。本気で付き纏うつもりだろうか。
目覚めたばかりだというのにもう疲れた。重い体を無理矢理に起こし、手早いとは言えないながらも身支度を整える。決して視界に入れてなるものか、と無駄な努力で無視してみるものの、効果はなくヴィンセントはけろっとしている。
「ハァ……」
「準備できたか?」
「ああ、できた」
「よし、じゃあ行くぞ」
どうして君が先導するんだ。思っただけで、口に出すのはやめにした。
二人並んで、足早に宿を出る。
「ヴィンセント、君の宿はどこだ」
昨日のように夜まで食い込むようなことになれば、引きずってでも宿に放り込んでやろう。
「ない」
「は?」
「宿はとってない。普段は閉門の前に町を出て野宿してる」
言葉を失う。
「そんなに驚くことか?」
「驚くだろう。どうして宿に泊まらない?」
「金がもったいない」
「魔王討伐の報酬が残ってるだろう」
ヴィンセントの金遣いでは、三百年経ったってきっと残っている。無駄な出費どころか、必要な消費もほとんどない男だ。
「あれは……あんまり使いたくない」
「君が使わないで誰が使うんだ。受取人は誰も生きてないぞ」
私を含め。
ヴィンセントはぶすっとしてそっぽを向いた。
「お前がいるだろ。あとで分けるから、受け取れ」
「要らないよ。私はエースじゃないんだ。それに、旅に同行しただけで、途中で離脱した人間が受け取っていい金じゃない」
命は懸けたが、途中までだ。報酬は魔王を討伐して初めて受け取る権利を得る。私は条件を満たしていない。最後まで命を懸けて頑張った人に渡るべき金だ。受け取れない。
「受け取れよ。俺が許す」
「要らない。それよりも、仲間たちの子孫にでも贈ってやるといい」
そちらのほうが、使い道として正しい。しかしヴィンセントはぶすっとしたままこちらを見もしない。
「……どこにいるか知らない」
呆れた。
「呆れた」
声に出た。
「かつての仲間の子孫がどうしてるか、そんなことも知らないのか?」
「しかたないだろ! かかわらなくていいって、……かかわったら祟るって言われたんだ!」
どうやらパーティ解散の一件は、すっかりヴィンセントの心をへし折ってしまったらしい。ボコボコにされようと追い返されようと、かつての彼なら強引に追いかけて目的を達成しただろう。罵られたらむしろ噛みつくような男であったのに。すごすごと引き下がるとは驚きだ。
しかし、それもそうかと納得する。彼にしてみれば、仲間だと思っていた連中から突然、総スカンを食らったのだ。立ち直れないほどの傷になっていても不思議じゃない。……それもこれも、自業自得の一言で片がつくところが救えない。
「それで有意義な使い道を思いつけないまま、持て余してるのか」
「……」
こくん、と小さく頷いた。
本当に、どこまでもしかたのないやつだ。呆れる。
「使い切れないまま君が死んだら笑えないな」
わざと明るい声を出す。
「もらってやるよ」
ヴィンセントができないのなら、私が使おう。
「ほ、本当か!?」
「君はどうせ家族をつくったり子孫を残したりは難しいだろうから、死んだら金も無駄になる。そんなもったいないこと、見過ごせないよ」
「てめえ人が感謝しそうになってるところに水差すな!」
おや、珍しい。ヴィンセントも感謝することがあるんだな。
言葉はすぐに浮かんだが、予想外に衝撃を受けてしまったようで声にはならなかった。目が乾いて、瞠目していたのだと気づく。
「お前、つくづく俺に対して失礼だな!」
「君の所業がそのまま返ってきてるんだよ」
こっちはすぐに言えた。途端に萎びたヴィンセントに、わずかに胸が痛む。私も相当なろくでなしだという自覚はあるが、誰かをいじめるのは不慣れだ。そろそろ気をつけてやろう。仕返ししたって何かが返ってくるわけでなし。
それからは無言で歩く。目的の場所にはすぐ着いた。
冒険者ギルド。現在は職業案内所、というほうが一般的な認識だ。まだ朝ということもあってか、人はまばらだった。中へ入って、萎びたままのヴィンセントを振り返る。
「すぐ戻る。君は待ってろ」
「わかった」
大人しく椅子に座るのを待って、そばを離れる。いくつかある受付窓口の中で、特に長い列ができているところに加わった。両隣の窓口を担当している嬢たちから、冷めた視線が向けられる。居心地が悪い。
決して受付嬢を顔で選んでいるわけではないのだが、どうしても個人的なお願いを叶えてもらうのに、この窓口の嬢でなければいけないんだ。君たちは最初、私の願いをすげなく突っぱねただろう。このご時世に冒険者なんてやっている若造の魔法使いに余計な手間をお願いされるのは確かに気分が悪いだろうけど、これは私にとって大事なことなんだ。邪険にされると足が遠のくのはしかたない。すまないね。
胸中で言い訳を並べていると、順番が回ってきた。
「あら、ジャックさん! 今日は来てくれたんですね!」
ぱっと破顔したのは、例の受付嬢だった。薄くなってはいるようだが猫人族の血が流れているそうで、彼女の猫撫で声は大変に愛らしいと男たちの間で評判だ。ちょっと面倒な依頼でも、彼女にお願いされると断るのは難しい。
「これ、依頼完了の報告書」
新たに発見された植物の調査。
新たに、とはいっても一昔前にはそこら辺の道端にも普通に生えていたものだった。生でも食べられるハーブで、刺激性も少ないとあって一時期すさまじい流行を巻き起こした。育成よりも食べるほうに関心が傾いたために摘まれまくって、ここ最近は見かけなかった。しかし元が強く、放っておいても時期になれば次々に茂る。時間はかかったが、今後はまた流通するだろう。
「はい、確かに。いつもありがとうございます」
「こちらこそ、仕事をもらえて助かってるよ。私のようなしがない魔法使いは依頼を回してもらうのも一苦労でね」
「ご謙遜を! ジャックさんならどんな依頼だって楽勝でしょう?」
曇りのない笑顔に目を細める。眩しい。
魔王に脅かされることのない世の中では、冒険者などという稼業は流行らない。定職に就いて、安定した収入を得られる生活を選ぶのは自然なことだ。ギルドに持ち込まれる依頼のほとんどは、日常の困りごとを解決してくれる便利屋を求めてのものばかり。それも職業案内の紙に埋もれて探すほうが難しいほど数を減らしている。
平和な世の中で、冒険者が生き残るのは難しい。特に私のような若者……に見える男が定職にも就かずフラフラしているというのは、眉をひそめられる筆頭だ。
「過大評価だよ」
「そんなことありません! ジャックさんがすごい人だって、私ちゃんと知ってますから! はい、今回の報酬です!」
ムッとして声を張る彼女に苦笑して、渡された報酬をささっと仕分ける。
「ありがとう。それじゃ、これお願いするよ」
四つに分けた袋の内、三つを受付嬢に渡す。
「はい。ではいつも通りお届けしておきますね」
「助かるよ」
「ジャックさんのためならいつだって!」
ますます苦笑する。彼女の信頼はいつだってまっすぐで、くすぐったい。
「近いうちにまた来るよ」
「ジャックさんにピッタリなご依頼を用意して、お待ちしてますね」
「お願いするよ。最近、運動不足だったから。たまにはしっかりした依頼を受けるよ」
「やったあ! お任せください」
どん、と胸を叩いた彼女はすっかりやる気になってしまったらしい。お手柔らかに、とお願いしようと口を開いて、しかしそれより早く外套の裾を引かれた。
「おい、まだか」
ヴィンセントだった。声から不機嫌があふれている。短気は相変わらずらしい、と嬉しくない情報が手に入った。
「もう終わった」
「腹減った」
「ああ」
せっかく楽しい気分だったのに。萎んでいく気分にげんなりしながらも、受付嬢に挨拶するために笑みを貼りつけた。
「すまない、今日はこの辺で……」
失礼するよ。最後まで言えなかった。
目をまん丸にした受付嬢が、じっとヴィンセントを凝視している。何事かと、思わず彼女の反応を待ってしまった。
ややあって、私とヴィンセントを交互に見た彼女は大きく息を吸って、
「ろくでなし暴君エルフ!」
ビシィッ! と、ヴィンセントを指差して絶叫した。