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04


 寂しい、という言葉について考えてみる。

 それは静寂に包まれひっそりしている様子であったり、孤独に寄り添われていたり、心細さを感じていたりといった意味があったはずだ。ではヴィンセントはそのいずれかに苛まれて、その解消のために三百年を費やしたというのだろうか。

 寂しい、と。そんなことのために三百年。いくらなんでもアホが過ぎる。


「君、バカだろ」


 思ったことがそのまま口から流れ出た。ヴィンセントは羞恥のほうが勝るのか、怒らなかった。胸倉を掴んでいた手を離し、よろよろと後ずさる。


「何とでも言えよ……」


 力ない声で、強がりを言う。耳の赤が頬にも根を伸ばしている。そんな姿、見せないでほしかった。

 吐き出した溜め息は鉛でも練り込んでいるのかと思うほど重くなった。


「私を追い出したあと、何があった?」


 私の声も随分と弱々しい。こめかみを揉み解し、眉間も揉み解す。頭痛がひどい。疲労でどうにかなりそうだ。いっそ寝てしまおうか。眠ったら、全部が夢になるかもしれない。ヴィンセントのことはすべてが夢で、私は食堂で酒を飲み過ぎて眠ってしまった。そういうことに、なってくれないだろうか。

 おかしなことを考える程度には疲れている。自分の状態は把握できた。次はヴィンセントの状態を把握しよう。

 視線で返事を促す。ヴィンセントはふいっとそっぽを向いた。


「想像はつくだろ」

「想像しえない結果になったようだから」


 何がヴィンセントをこうした。何がヴィンセントをこう変えた。きっかけは、原因は。


「……勇者が戻ってきて、怒られた」

「だろうね」


 そんな当たり前のことを聞きたいわけじゃない。私の反応を見たヴィンセントがムッとする。


「すげぇ怒られた。涙が出るほど怒られた。殴られたし、何日も口をきいてもらえなかったんだぞ!」


 もっと同情なり驚愕なり、それらしい反応を示せとでもいうのか、ヴィンセントは語気を強めた。

 パーティメンバーを独断で追い出した。知れば勇者が怒ることは想像に難くない。驚愕するほうが難しいだろう。あんな追い出され方をした私が、追い出した本人である彼に同情するわけもない。求められる反応を示すのは不可能だ。


「怒られただけで済んだのか?」

「そんなわけねえだろ!」


 当時を思い出しでもしたのか、ヴィンセントはどんどん熱を増していく。


「お前を連れ戻すまで旅は再開しないって勇者が言い出して、戦士と神官も便乗しやがったんだよ」

「それで私を探したのか?」

「そんなわ――……さ、探した」


 嘘じゃねえか。

 さっと顔を背けたヴィンセントの双眸は、網にかかった魚ばりに暴れている。こいつ、こんなに嘘が下手くそだったのか。都合が悪くても自分が悪くても堂々と開き直って踏ん反り返ってきたせいで、嘘を吐くことに慣れていないのかもしれない。

 じっとりした私の視線を受けて、ヴィンセントがまたムッとする。都合が悪いので開き直ることにしたらしい。わかりやすい。


「探した! さ、探したけど……見つからなくて、……」


 すぐにまた視線が泳ぐ。本当に嘘が下手くそだ。巧みに嘘を吐かれても腹が立つが、もう少し自然な言い方はできないものだろうか。これはこれで腹が立つ。


「勇者たちは説得に応じなくて……」


 説得ではなく、上から強気に堂々と命令した、の間違いだろう。それまでは私が相手をするのを面倒がって、みんなを説得していた。けれど私がいないパーティで、これまで通り我を通すのは難しかったろう。


「勇者は岩みたいに動かないし、戦士はどんどん不機嫌になるし、神官は返事もしなくなるし……」


 二人はヴィンセントの決定に賛成したことのほうが少ない。彼の話術で首を縦に振らせるのは不可能だろう。


「どうしようもなくなった」


 ……どうしようもなくなった。

 打てる手があまりに少ない。棘だらけの言葉しか吐けない。上から見下ろす姿勢を崩せない。彼のやり方では、誰も何も受け入れてはくれない。


「それで、どうした?」

「だから、どうしようもなくなったんだよ。魔王をぶっ殺したらパーティはさっさと解散した」

「待て。旅は再開しないって話だったろう」

「……するしかないだろ。時間ばっかり過ぎて、お前は戻らないんだ。意地を張ってる間にも魔族は侵攻を続ける」


 魔王討伐。私たちの最終目標はそこだった。魔王を殺さなければ終われない旅だった。


「魔王を殺して、その場で解散した」

「……」


 そこまで亀裂の入った関係で、よく魔王を討伐できたものだ。どうやって、と疑問は浮かびかけたが沈めた。今はそれよりも続きを聞きたい。


「怪我はしたけど全員が生き残ったから、それは……」


 安心していい、とヴィンセントは珍しく、気遣うようなことを言いかけた。


「一人で町まで帰って、少し休んでから一人で王宮まで戻った」

「驚かれたんじゃないか。四人で旅に出たのに、帰ってきたのは一人だ」

「そうでもない。報告して金をもらって終わりだ」


 さっぱりした言い方だった。


「本当にそれだけ?」

「なんかごちゃごちゃ言ってたけど面倒だったし、願いを叶えてやったのに偉そうにされてムカついたし。全部無視して……ちょっと暴れたかもしれねえけど、とにかく! 終わった」


 これ以上は言いたくないという空気を出すので、魔王討伐に関することを聞き出すのは諦めた。端からそちらは聞く気がない。

 知りたいのはヴィンセントに変化をもたらした何かだ。


「じゃあ、何がきっかけで私を探そうと思った?」


 返事がくるまで随分とかかった。迷うように視線を泳がせ、唇を噛んだりもごもごさせたり忙しなく、落ち着かない様子でもじもじしていた。


「寂しくなったんだよ」

「なぜ?」


 これまでだって三人と一人だったじゃないか。勇者が加わってからは、四人と一人半くらいにはなったが、その程度だ。附属品でしかなかった数人がいなくなったからって、急に寂しいと震えることなんてないだろう。

 首を傾げた私を見て、ヴィンセントはどうしてか少し、傷ついたような顔をした。しかしすぐに表情を一変させ、


「なぜって……当たり前だろ!?」


 激高した。


「ずっと四人で旅をしてたんだぞ! 勇者を迎えて五人、魔王討伐なんて面倒を終わらせるのがうんと楽になって、ホッとしてた矢先だ! やっと面倒が片付いて、これからは楽しい旅になると思ってたのに独りぼっちだ! 寂しくなって何が悪い!」


 ビリビリと空気を震わせる大声に、私は何も言い返せない。

 まるで知らない話を聞かされた。ただの駒だと思っていると、そう思っていた。貴重だが、ただの戦力。己の支配下で働く駒。ヴィンセントにとって私たちはそういうものだと、疑いもしなかった。


「君、私たちとの旅を楽しんでたのか?」

「おまっ、お前! 何でそんなこと疑うんだよ!」


 どうやら本当らしい。本気で、私たちとの旅を好意的に受け止めて、楽しんでいたらしい。

 かつての記憶が脳裏を駆け巡る。楽しかった。楽しい瞬間はたくさんあった。けれどそのいずれにも、ヴィンセントの姿はない。楽しい、嬉しい、笑顔のとき、いつだってそばにいたのは戦士と、神官と、勇者だった。


「君の態度はとても、そういう風には見えなかった」


 ぽつり、と意識せず言葉がこぼれた。

 ヴィンセントがざっくり傷ついた顔をした。傷つくこともあるのか、と私は私で衝撃を受ける。


「じ、じゃあ……どういう風に見えてた」


 泣き出す前の子どものような声で言われた。返事に困る。

 知らなかった。ヴィンセントは私たちを、ちゃんと仲間だと思っていた。そのうえであの態度だったのいうのは信じがたいが、今それはいい。私たちは彼のことを仲間だと思う努力もしなかった。だってそれなりの扱いを受けてこなかった。仲間だと、そう思っている相手への態度が、私たちの認識とあまりに違った。遠過ぎて、彼は違うのだと、そうとしか思わなかった。思い込んでいた。

 思いもしなかった。魔王討伐を国から押しつけられたとき、さっさと終わらせたいと思っていたのはみな同じだ。彼もそうだった。でもまさか、旅が終わってからの楽しい時間に、私たちを含めていたなんて。

 私たちの中ではいつまでも、三人と一人だった。勇者が加わってからも、四人と一人半くらいの変化しかなかった。そうじゃなかった。ヴィンセントの中ではずっと、私たちは四人だったし、五人だったのだ。


 引っ叩かれた気分だ。こんなことがあるのだろうか。

 ヴィンセントのほうを見る。私の言葉を待ちながら、彼は不安そうに体を揺らしていた。けれど視線はまっすぐ私を射抜いている。

 ここまで気持ちにすれ違いが生じていたのに、正直に伝えてしまっていいものだろうか。まるで想像していない。なんてことだ。やはりきちんと向き合って、話し合いをすべきだった。己の怠惰が痛々しい。


「君はまるで……王さまみたいだったろう」


 悩んで、しかし結局は素直に言ってしまった。他にどうしようもない。うまい言い逃れなんて思いつかない。角が立たないようにうまく嘘を並べてやれるほど、私も嘘が上手でないと思い出した。それに、傷ついている彼には申し訳ないが、慮ってやろうという気があまり湧かない。

 過去の記憶がじわじわと舌を焼く。ヴィンセントの本心はともかく、彼のやり方は、態度は、言葉は、私に根深い傷を負わせた。戦士も、神官も、同じくらい傷ついていた。勇者も、喜びばかりの関係じゃなかった。

 仲間だと思っていたのなら、もっと何かあったはずだと、どうしても思ってしまう。仲間を思いやるやり方、柔らかい態度、優しい言葉。もっとできたはずだ。もっと、適切な、友好を感じられるような何かが、あって良かったはずだ。

 かつての彼はやはり、どう考えても仲間に対して親切ではなかった。誠実ではなかった。歩み寄る努力を怠った私たちの対応を反省する気持ちよりも、ひどいじゃないか、と彼を責める気持ちのほうがどうしても強くなる。だから、私を正直に言ってしてしまうことにした。


「私たちは大切にされてなかった」

「……それ、戦士に言われた」

「尊重されてなかったし、はっきり言ってしまえば、君が持ってるブーツのほうが丁寧に扱われてた」

「それは神官に言われた」


 言われただろうな。よく三人で愚痴を言い合っていたときの話だ。


「私たちにとって君は仲間ではなく、共通の敵だった。魔王討伐のあと国から支払われる金だけを目当てに、一緒にいただけ」


 国から声がかかったのは、ヴィンセントがいてこそだ。私たちという強大な力を持つ人間を見つけ、拾い、パーティに引き込んだ。彼がいたから、私たちは人々から敬遠される化け物でなく、救世主候補になり得た。彼なしで魔王を討伐しても、きっと金は受け取れない。わかっていたから、残ると決めた。……最初に残留を決めた理由はみな同じであった。


「お前もそんな風に思ってたのか」

「他にどう思えば良かった?」

「……わからない」


 私に言われるまでもなく、仲間たちから散々に言われたのだろう。ヴィンセントは静かに首を振った。向きは横だ。


「知らなかった。知らなかったからショックで、解散すると言われても止められなかった」


 ぽつりぽつりと言葉を探しながら、ヴィンセントはゆっくりゆっくり語り始めた。


「色々なことを言われた。なんて言われたかは、言いたくない」


 聞かないよ、という気持ちを込めて、視線で続きを促す。


「金を受け取ったけど、分ける仲間はいなくなった。俺なら一人でも使い切れるけど、時間がかかるだろ」

「そうだね」


 戦士が食堂を経営する資金にしよう、と言っていたほどの金額だ。それが、私の分を含めるとして五人分。使い切るのはよほどの贅を尽くさない限りそれなりの時間を要する。


「でも、時間だけならいくらだってあるだろう」

「そりゃそうだけど、使い道のほうがない」


 頷く。

 ヴィンセントはあまり金をつかわない。自給自足の生活が長かったし、町で生活しなくても森で十分に生きていける。本は愛していたが、一度、読んでしまえば百年くらいは忘れないので手元に置いておく必要もなかった。今は図書館という便利な施設がある。


「勇者のところにも戦士のところにも神官のところにも行ったけど、受け取ってくれなかった。話も聞いてくれないし、……だからもう、お前しかいなかった」

「里に帰るという選択肢もあったろ」

「帰りたくなかった」


 これまでで一番、嫌そうに顔をしかめた。ヴィンセントは故郷を良く思っていない。里を出て冒険者になるというヴィンセントの夢を、家族も里の連中も快く思っていなかったらしい。


「それで私か」

「だって、お前は俺を嫌ってなかっただろ」

「何でそう思う?」


 これは素直な疑問だ。あんなにも頻繁に衝突して、仲の良かった時間なんて数えられるほども覚えていない。あったかどうかも怪しい。なかった気さえしている。

 嫌いだと、はっきり伝えたことこそなかったが、思ったことがない、と言い切れるほど私はできた人間ではない。


「お、俺のやりたいこと、みんなが嫌がってもお前はそうじゃなかった」


 開いた口が塞がらなくなって、手で顎を持ち上げて閉じた。

 嫌だったとも。大いに嫌がった。でも嫌がっていてもこいつは絶対に意見を変えないし、話し合いなんて無理だった。だってそもそも話を聞かない。時間だけを無駄に垂れ流すくらいなら、最初から折り合いをつける手段を模索するほうが合理的だ。

 みんなが納得できる着地点を探す。そのうえで、ヴィンセントが面倒なことにならないように希望は最大限叶える。どれだけ胃痛がする思いで頭をひねっていたと思っているのか。それを言うに事欠いて……。頭痛がひどくなってきた。


「嫌がっても埒が明かないと知っていたんだよ」

「じゃあ嫌だったのか!?」

「嫌だったよ!? どこの世界に、スライムの群れを焼き払う魔法を構築してる間の時間稼ぎでちょっと食われて気を逸らせとか、大規模な浄化魔法を展開するから囮としてアンデッドの群れと追いかけっこしてここまで引き連れてこいなんて作戦に同意するやつがいるんだよ!」

「効率がいい方法を言っただけだろ!」

「どれもこれも犠牲者が出るだろうが!」

「お前と神官は蘇生魔法が使えるんだから問題ないだろ!」

「体の傷は治せても心の傷は治りが遅いんだ! 人間の寿命じゃ死ぬまでに回復できないんだよ!?」


 食いでがあるから今回は戦士、アンデッドは神聖な存在に惹かれるから今回は神官。そんな理由で選ばれては囮にされそうになった二人が一体、どれだけ怯えて震えていたと思っているんだ。

 魔王軍幹部としてグロテスクな展開にも割と慣れっこだったフェンリルが本気で引いていたことにも、さては気づいていなかったな。


「そ、そんな……」


 顔から血の気を引かせたヴィンセントが膝から崩れ落ちる。こいつマジか。

 どっと疲れが押し寄せる。もう無理だ。これ以上はもう付き合えない。少なくとも今のままでは、絶対に無理だ。


「もういい、わかった。ヴィンセント、出て行ってくれ」

「え……」


 途端に表情を曇らせたヴィンセントが、嫌だと小さく首を振る。嫌じゃない。出ていけ。


「このまま話を継続するのは不可能だ。一度、休憩しよう」

「き、休憩?」

「眠って、明日もう一度ゆっくり話し合おう。今日はもう疲れた。限界だ」


 体はもちろん、とにかく心を休ませてあげたい。こんなにも負担をかけてしまった。可哀想に、びっくりしただろう。ゆっくり休めばまた元気になるよ。

 抱きしめて撫でてあげたい気分だった。

 肩を落とし、頭を抱える。視界の中にヴィンセントがいることにも耐えられない。頭がおかしくなりそうだ。


「あ、明日……」

「そう、明日。続きは明日にしよう」


 早く出ていけ。私はすぐにでも眠りたい。


「わかった」


 たっぷりと間を空けて、ようやくヴィンセントは返事を寄越した。


「よし、それじゃあおやすみ。君も早く――」

「と!」

「……と?」


 体を横たえようと立ち上がった私の足元に這い寄ってきたヴィンセントが、まっすぐ視線を交えた。胸がざわつくのはなぜだろう。嫌な予感がする。


「泊まっていいか?」


 いいわけがない。


「出ていけ」


 もうヤダこいつ。

 

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