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03


 昔むかしの、なんてことはない話である。


 何のとりえも特技もない、平凡でどこにでもいるような少年がいた。自分には使えない魔法に憧れ、自分では叶わない冒険を夢見て、そうして人生を腐らせていくばかりの大人になった彼はある日、死んだ。死因はもう覚えていない。

 事故か、あるいは誰かに殺されたか。病気だったかもしれない。少なくとも老衰ではなかったと思う。


 ともかく、彼は死んだ。

 そうして人生に終止符を打った彼は、死んだと思っていた彼は、不意に目を覚ます。


「あれから三百年は経った。死んだエースにどれだけ謝ったって、元に戻るなんて無理だよ」


 転生、というものであるらしい。

 満天の星空を流し込んだような見た目の女神にかけられた、これは呪いだ。いかなる充実も、いかなる絶望も、決して終止符にはなり得ない。肉体は死んでも、魂は不滅。必ずどこかの誰かとして、記憶を引き継いだまま新たな生を得る。そういう呪い。


「記憶を引き継いでいるだけの私に、何かを期待するのはやめろ」


 幾度、繰り返しただろう。何度も、何度も、嫌になるほど……嫌になっても終わらない。死ぬたびに目を閉じて、しかし必ず目を覚ます。いかなる死因も、私の魂を滅ぼしてはくれない。

 寿命を全うしても、病に侵されても、事故に遭っても、殺されても、自分を殺してみても。終わりが永遠であったことはない。目が覚める。

 転生先はランダムで、共通項と言えば性別が男であることと、肉体は人間であることくらい。農民であったり、貴族であったり、時に奴隷であったり。さまざまな人生を歩んできた。うんざりするほど、生きてきた。


「私にはジャックとしての人生がある。君の自己満足に巻き込まないでくれ」


 なぜかけられたのかも忘れてしまった。本当に呪いであったのかも、今となっては定かではない。それでも、果てのない転生は、これは呪いであると断定するには十分な絶望を私に植えつけた。

 これ以上はもう、お腹いっぱいだ。


 ぐっと黙り込んだヴィンセントは、なおも双眸を燃やす。


「名前が何であれ、お前の魂はずっとエースのままだ」


 わからず屋に言い聞かせるような声音だった。本当に強情な男だ。


「私は人間だから、魂のことなんてわからないよ」

「同じだ。でなきゃ姿形がすっかり変わったお前を見つけられるもんか」


 なるほど。これで一つ合点がいった。

 どうやって私を見つけたのか疑問だったが、その魂とやらが理由だったらしい。まったく、つくづくろくでもない呪いをかけられたものだ。姿も身分も才能も、転生するたびにさまざま経験してきたが、人間である以上は限りがある。


「魂か……」


 人間ばかりやっている身としては、理解に苦しむ話だ。


「それで? 私の魂を三百年後に見つけ出した君は、私を自分の元に引きずり戻して一体、何をさせようとしてるんだ?」


 結局、一度も答えてくれなかった。戻れ、とその一点張りで、目的も理由も語らない。そういうところが嫌なんだ。


「何も……」


 ともすると聞き逃しかねない、小さな声だった。


「何もしなくていい」


 聞こえはしたものの、その意味を理解することはできなかった。

 こちらをじっと見据えるヴィンセントの双眸は澄んでいる。嘘を言っているわけでも、それらしいことを言っているだけでもない。ごく稀に、彼はこういう目をした。一緒に旅をしていた数年間、その間にほんの数回、見たことがある。

 本心で、嘘も偽りもなく、真剣に言葉を吐くときの目だった。それが余計に、私の頭を混乱させる。


「何も?」


 堪らず聞き返す。

 ヴィンセントはやけに凛とした顔で、しっかりと頷いて見せた。


「何もしなくていい。俺のそばにいてくれるだけでいい」

「何で……」


 そんなことに一体どんな意味がある。

 三百年だぞ。私を追い出して三百年。それだけの時間を経て、転生を繰り返しそのたびに違う人間になる私を探し出して。屈辱だろうに土下座までして謝罪して見せて、その果てに何も求めないなんて正気じゃない。

 何か未知の生き物でも相手にしている気分だ。気持ち悪い。素直にそう思った。顔にも出たのだろう。ヴィンセントが狼狽した様子で腰を浮かせた。


「言ったろ。俺にはお前の力が必要なんだ」


 言葉を重ねたところで、理解できないことに変わりはない。

 何もしなくていい。ただそばにいてほしい。そんなの、ロマンス小説でしか見たことないような話だ。……ロマンス小説の中でだってそうは見ない。体中が痒くなる。

 生身の人間に対して吐いていい言葉じゃない。しかも吐いているのはあのヴィンセントだ。


「君、本当にヴィンセントか……?」


 ここにきてようやく、私は抱いていた疑念の一つを口に出した。そうだった。私は目の前にいるヴィンセントが本当に彼であるのか、そういえば疑っているのだった。

 私の言葉を受けて、途端にヴィンセントがものすごい渋面になる。


「俺が俺でなく、何に見えるって言うんだ」

「だって、……気持ち悪い」

「おまっ、言葉は選べよ!」


 君にだけは言われたくない。とっさに浮かんだ言葉はどうにか腹の底に沈めた。


「私の知ってるヴィンセントとあまりに遠い。耳から変な虫が侵入して脳みそを齧っていると言われても、ぶっちゃけ信じる」

「信じるなよ! 俺だよ!」


 嘘だ。言いたがったが、なんとか耐えた。


「くそ……だから言いたくなかったんだ。人が恥を忍んで白状したのになんて態度だ」


 毒づくヴィンセントに、今度は言葉を我慢できなかった。


「君の厚顔無恥は私たちの間では常識だぞ」


 恥じらうなんてますます偽者っぽい。そういうつもりで言ったのだが、どうしてかヴィンセントはカンカンに怒り出した。立ち上がり私の胸倉をつかみ上げる。


「いい加減にしろ! 真面目に聞け!」

「大真面目だとも。それほどに今の君は信じがたい」

「っ、……」


 だってそうだろう。長く一緒に旅をしてきたが、こんなヴィンセントは見たことがない。何もしなくていい、なんて。そばにいてくれるだけでいい、なんて。私に、……他の誰にだって、そんなことを言ったことはなかっただろう。

 いつだって偉そうに踏ん反り返って、上から命令を吐き、言葉でも態度でも私たちを踏みつけ。弱っている姿を見せるくらいなら、弱音を吐くくらいなら、舌を噛み千切って死んでやる、と言いかねなかった。


 実際、風邪を引いたことをギリギリまで黙っていたせいで死にかけたことがある。回復魔法をかけろ、と。ただ一言いつものように命令すれば済んだ話だというのに。

 ガタガタと体を震わせ、ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返し、顔は真っ赤で。誰がどう見ても不調であるのに平気だと言い張って、私たちを遠ざけて、そのくせ風邪のせいで魔法をうまく使えなくて自分で自分を治すこともできない。咳が止まらなくなって、顔色が赤から青、それすら通り過ぎて真っ白になってようやく、かすれた声で『風邪……』と呟いてぶっ倒れた。

 あのときほど、こいつはバカだ、と呆れたことはない。そういえばあのときは、神官と二人でいつ倒れるか賭けをして、無事に二百ビルゴ巻き上げたのだった。戦士は腕立て伏せすれば治る、とか言っていたのでお菓子を渡して部屋に押し込めたのだったっけ。懐かしい。


 そんな男が私一人を何百年も探し歩いて、謝罪して、おまけにそばにいろと言う。どうやって信じろというのか。無理だ。不可能だ。ありえない。


「裏があるか、君が偽者だと考えるほうが自然だ」

「だから、俺は俺だって言ってんだろ……!」


 血を吐くような声に、やはり真実を言っているのだと確信を深める。


「私をそばに置いて、それが何になるんだ」

「何にならなくていいんだ! そばにいてくれたらそれで、他にはなにも要らない」

「何で……」


 何でそこまで、何がそこまで君を駆り立てる。なぜそうも必死なんだ。

 ヴィンセントは視線を逸らした。長い耳の先がほんのりと赤らむ。


「さ、……」

「さ?」


 ぐっと噛みしめた奥歯からギリィ、と軋む音が聞こえた。沈黙が横たわる。そのまま黙るかと思ったが、ややあってヴィンセントは続けた。


「さ、みしくて……」


 ……は?

 こいつは一体、何を言っているんだ。

 今日、もう数えるのもバカらしくなるほど抱いた感想が再び、私の頭の中で反響した。頭痛がする。

 

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