エピローグ
あ、これは無理だ。
結論は思いの外すぐに出た。
わからない。何をどう説明されても、どんなに思考を巡らせても、私には理解することがそもそもできない。
魂とは、すなわちそういうものである。
臓器ではない、とヴィンセントが言う。肉眼で見るものではない、とフェンリルが言う。しかし、であれば、一体どうやって見ろというのか。
腹を裂いても中にない。目を凝らしても認識できない。
そんなもの、見ようがないではないか。
魂とは、この世に創造された瞬間から宿り、個のすべてが記録されている。たいていは淡く発光しており、宿主によってさまざまな色彩があるらしい。ただし、私のそれは大変にやかましいという。
やかましいとは何だ。私の魂は絶えず奇声でもあげているのか。
ヤケクソで問えば、そういうことではないと冷静に返された。ではどういうことだ。さっぱりわからん。
曰く、私の魂はその発光が凄まじく、また極彩色に濁り絶えずその模様を変化させているという。何だ、そのやかましい魂は。極彩色に輝く魂など見たことがない、と二人は珍しく声を揃えた。
発光が凄まじい者は、稀だがいるらしい。
英雄と称えられるような偉業を成す者、純真なる信仰心を抱く者、特別に善良な者。偉大な者というのは得てして、魂から崇高なのである。
身近な例もある。
勇者がそうだ。私たちの友人で、フェンリルの夫である彼もまた、輝かしい魂の持ち主であったらしい。しかし私と違い、彼の魂は澄んだ青空を切り取ったような色をしていたという。
この差は何だ。
魂はその人のすべてを写す鏡であるという。善良な者は澄んだ色を、邪悪な者は暗い色を、偽りなく映し出すのだそうだ。とはいえ大抵はどちらともつかない色をしている。いつの世も、非凡な者は数が少ない。
では、極彩色に濁っているという私の魂はどうだろう。善良でないのは確かだがしかし、邪悪かと問われるとそれもまた違うらしい。よくわからん。
私がろくでなしであることは認める。否定などするものか。真実、私はろくでなしである。
濁っているのなら邪悪だろう、と言うのだが、二人の反応は煮え切らず、曖昧な返事があるばかり。
『邪悪なやつの魂とは、違うんだよなぁ……』
『どう違うかと言われると、なんとも言えないんだけどねぇ……』
こんな感じである。
そういうわけで、よくわからない魂を抱えた私はしかし、魂についてはさっぱり理解できぬまま、早々に研究を打ち切った。手がかりもなければ足がかりも見えない。縋るだけ無駄である。
今生の目的を失った私は暇を持て余し、キノコの研究という娯楽に興じる日々を送っていた。
「おい、たまにはキノコ以外を食わせろ」
「君はエルフだろ。エルフってやつはキノコが好物だというじゃないか」
いつものように、立派に育った食用キノコを使った料理を振る舞うと、ヴィンセントは思い切り顔をしかめた。
「俺を種族で括るな」
「好き嫌いはよくないよ」
「嫌いになったとは言ってねえ! 飽きたんだよ!」
好きなんじゃないか。
どうしてかヴィンセントは不機嫌に声を荒げる。私が丹精込めて育てた可愛いキノコたちの何が不満であるのか。さっぱりわからない。
「フェンリルをご覧。文句の一つも言わずに黙って食べている。食事の世話をしてもらっておいて我儘を言うような子は、外に放り出すよ」
「そいつ、食後の散歩って嘘吐いて、獣を狩って口直ししてるぞ」
「そうなの!?」
ぎゅるん、と首を回してフェンリルのほうを向く。彼女は澄まし顔で口いっぱいにキノコを頬張りながら、視線ばかりをスイッと横へずらした。
「私が愛情込めて育てたキノコより肉がいいって言うのか!?」
肉厚なキノコは本物の肉に勝る。愛情を注いだ分だけ価値は高まり、もはやドラゴンの肉と比較したってキノコのほうが美味いと断言できる領域に踏み込んだ。
肉は生に限る、と口の周りを真っ赤に染めるフェンリルと、肉は大盛りにしてくれ、と頬袋をパンパンのするエルフが相手でも、十分に満足させられる自信があった。
「そのキノコはフレアウルフを養分にしたんだぞ!? そんなの肉を食べているようなものだろう!?」
火に弱いキノコを育てるのに大変な苦労を重ねた。我が子も同然のキノコたちを肉に劣ると言われれば、私でなくたって憤慨するだろう。
しかし言葉を尽くしても、二人の反応は冷たい。
「俺たちが食ってるのはキノコだ」
「何を養分にしたかなんて知りたかないよ」
なぜなのだろう。どうしてわかってくれないのだろう。やっぱり私たちに仲良しごっこなんて無理だったのか。
食事という、生きていくうえで最重要な要素で意見がすれ違う。絶望的な価値観の違いだ。今からでも別れたほうがいいのだろうか。
「そんなことより」
心の中でしくしく泣き出した私の気持ちなど露知らず、ヴィンセントが話題を変えた。薄情な男だ。
「今日からの依頼って迷宮探索だったよな?」
「そうだよ」
やっと真面目に仕事をする気になってくれたか。
仕事をくれ、と申し出た私に対し、ギルド長はそれはもう大喜びした。お前にぴったりの面倒くさい依頼があるんだよ。そう言って差し出される数々の面倒事を三人でせっせと片付ける日々。
時に楽々と、時に喧嘩をしながら、時に大喧嘩の果てに探索予定の土地を消し飛ばし、なんだかんだ悪くない日々を送っている。
そんな私たちの今回の仕事が、迷宮探索である。大昔から存在する迷宮であるが、どうにも魔法でもかけられているのか精霊が住み着いているのか、その時々で迷路が変化するようで探索どころではなく、長らく放置されていた場所らしい。しかし最近になって、迷宮の中から魔物が湧くようになったということで、原因の究明と探索、原因の除去という長期依頼を請け負った。
「迷宮って、あの迷宮だよな?」
「そうだよ」
「探索するのか?」
「するとも。時間をかけるさ。金になるからね」
「あくどい野郎だな、お前」
「生きていくには金がかかるんだよ、ヴィンセント」
渋い顔をするヴィンセントに合点がいかないフェンリルが低く唸った。
「エルフは何が気に食わないんだい?」
気に食わないわけではないだろうが、私のろくでなしっぷりに呆れてはいるだろう。
「我々が探索する予定の迷宮はね、かつて私とヴィンセントが魔法の研究という目的でねぐらにしていた場所なんだよ」
途端にフェンリルは、げっ、と呻いて顔をしかめた。
「……あたしは夕飯の肉を狩ってるから、二人でお行き」
薄情な狼だ。
一緒に行こうと誘う私を、フェンリルは牙をガチガチ鳴らして拒絶する。
「冗談じゃないよ! あんたたちが遊び場にしてた迷宮なんて、命がいくつあっても足りないじゃないか! あたしはもうちょっと生きるつもりなんだよ!」
「心配ない。ヴィンセントの蘇生は正確だよ」
「それが嫌だって言ってんだよこのトンチキ!」
何が嫌なのだろう。死んだことなんてなかったように、綺麗な体で復活させてくれるというのに。
「でも君だって湧いてくるという魔物には興味があるだろう?」
フェンリルは魔物の肉も好んで食べる。曰く、普通の獣とは異なる風味が癖になるのだそうだ。私が必死になって毒抜きして、臭味を誤魔化して、人間が食べられる最低限の食材に加工して、それでも決して美味しいとは言えない肉だというのに。人間とは規格が違う。思い知るのはこういう時だ。
「あんたらが関わってる迷宮から湧いてくる魔物なんて、おぞましくて食欲が失せる」
食って堪るか。
フェンリルはとんでもなく不細工な顔で吐き捨てた。……そこまで嫌なのか。
「しかたない。ヴィンセント、探索は二人で行こう」
「それは構わねえけど、……何で魔物が湧くんだ?」
「迷い込んだ魔物が死んだあと腐って、瘴気が湧いたんじゃないか?」
迷宮内にはそれなりの濃度で魔素が残っていることだろう。瘴気と結びついて魔物を生んだとしても不思議ではない。
ちなみに精霊が住み着いたという線はない。遊び場を占領されては堪らないと、あの迷宮には至る所に精霊除けを施してある。わざわざ鉄製の罠まで仕掛けたのだ。経年劣化はあるだろうが、それでも四大精霊でも出張ってこない限り、あの迷宮が精霊の侵入を許すことはない。
「その辺も含めて調べよう」
「俺たちのせいだったらどうするんだよ」
「証拠を隠滅して、フェンリルが狩ってきた魔獣を腐らせて、これが原因ですって報告するだけさ」
「……ろくでなしめ」
「今更だな」
体ごと後ろに引いたヴィンセントに、肩をすくめる。本当に、今更だ。そんなことはもう、わかりきっているだろう。
「腐らせるんならそれなりの魔獣しか狩ってこないよ。もったいない」
「食べられない部分を集めて腐敗させればいいじゃないか」
「余さず食べ尽くすのが礼儀だよ」
「……」
本当に食い意地の張った獣だ。
「ともかく、のんびり構えて行こう」
「どうなっても知らないよ」
「なんとかなるだろう。君もいるし、ヴィンセントもいるんだから」
「俺は肉が食えて、面白ければなんでもいい」
ぐっと伸びをした拍子に押し出された笑声に、二人が重ねる。
悪くない。本当に、ともすれば愉快な日々だと言い切って違和感のないほどに、この生活は思いの外、充実していた。




