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追放したことは謝るから戻ってきてくれと言われても  作者: かたつむり3号
第三章 走れ! 走れ! 走れ!
21/22

05


 森へ戻ると、フェンリルが私の荷物を丁寧に踏みつけていた。中身をすべて出して並べ、一つひとつ、上から踏みつけぺちゃんこにしていく。彼女は再び人型になっていた。


「やあ、お待たせ」


 声をかけると、フェンリルはゆっくりと振り返った。とても愛らしい、太陽のような笑顔を浮かべている。しかしこめかみには青筋が立っているので、機嫌がいい、ということではなさそうだ。

 私と、私の後ろにくっついているヴィンセントの姿を認めると、途端に笑みを凶悪に歪めた。にぃ、と持ち上げた口から覗く牙は鋭く、ギラギラと私を威嚇する。


「遅かったじゃないか。待ちくたびれて、あんたの荷物を潰してたところだよ」

「すまない。ヴィンセントとの話し合いに思いの外、時間を取られてしまったんだ」


 荷物のことは気にするな。待たせた詫びだ。好きに潰してくれて構わない。

 こちらも笑みを返すと、フェンリルは途端に不機嫌に顔を染めそっぽを向いた。荷物から足を退けたので、白けてしまったのだろう。近寄り、無事な分だけ回収する。

 回復薬の入った瓶と、岩塩らしきもの、手帳は無事だった。気持ち薄くなった気のする鞄に詰め、肩にかける。残念ながら、ナイフは犠牲になってしまった。よほど丁寧に踏んだのか、破片が随分と細かい。

 彼女のこういう執念深さが、勇者との縁をぎっちぎちに結ばせたのだろうか。


「フェンリル、私のキノコはどこかな?」

「捨てた」

「……」

「ちゃんと炭にしてから捨てたから、安心おし」

「……」

「また口に放り込まれちゃ堪らないからね」

「……」


 自業自得。諦めるしかなさそうだ。

 吐息で気を散らし、気持ちを切り替える。


「さて、ヴィンセント。さっきも言ったが、私の人生についてくるなら、今回はフェンリルも一緒だよ」

「……うん」


 改めて確認すると、ヴィンセントは素直に頷いた。

 ……幼子のような反応は、幼子のような容姿でなければ愛嬌を押しつけられないと、近いうちに教えてやろう。中身の幼さと外見の聡明そうな青年風がちぐはぐで、ちょっと気持ち悪い。

 げんなりしていると、フェンリルの咆哮が鼓膜をつんざいた。


「冗談じゃないよ!」


 荒々しく振り返った彼女は、私の胸倉をつかみ上げる。爪先が浮いてしまった。狼の姿が巨大なだけに、人間の姿になっても彼女は大きい。恵まれた体躯の私よりも、頭一つ分は大きいだろう。あるいは怒りのために体が膨らんでいるのかもしれない。


「あんたのことも嫌いだってのに、大嫌いなエルフまで増えたんじゃ堪らないよ!」

「そう言われても、私は一人しかいないのでね。諦めてくれ」


 まさか裂いてそれぞれが持ち帰るわけにもいかないだろう。


「あたしが先だったんだ。エルフと共有する気はないよ!」

「しかたないだろう。ヴィンセントは諦めない。長寿の彼と、転生する私はともかく、先祖返りとかいう君には今生しかないんだろう? 全員の希望を叶えるには、三人で行動するしかないよ」


 先に交わした約束を優先しろ。

 フェンリルの言っていることは表向き、至極まともに聞こえる。しかし彼女は私に対して、食わないでやるから人生を一回分、自分のために使えと脅したのだ。真っ当でない方法で結ばれた約束を、律義に守って優しくしてやる義理はない。


「ヴィンセントと私を共有するか、諦めるか。君に与えられた選択肢は二つだ」


 正確には脅されて結んだ約束ではないけれど、そこは無視する。


「どうする? 私はどっちでも構わないよ。魂の研究なら、ヴィンセントと一緒でもできる」

「あたしの都合は無視かい?」

「そうだよ。君は自分の寂しさの置き場所がないから私に押しつけたいんだろ。寂しくないよう今生の間はそばにいてやると言ってるんだ。それで我慢しろ」


 ぐぅ、とフェンリルが低く唸る。しかし反論しないところを見るに、どうやら図星であったらしい。

 どいつもこいつも寂しがり屋で困ってしまう。


「あたしはそいつを食い殺すかもしれないよ」


 ただの脅しだ。殺し合いに発展すれば、ヴィンセントの勝ちは揺るぎない。フェンリルがいかに俊敏で、どれだけ鋭利な爪や牙を誇っていても、ヴィンセントの魔法技術のほうが勝る。彼女だってその程度のことはわかっているのだ。

 魔法では彼に及ぶべくもなく、かといって身体能力でカバーさせてくれるほどヴィンセントは甘くない。勝ち目がない。


「我々が一緒にいるのはあくまでも私の魂の研究のため、という前提を忘れないでくれ。目的のためには嫌い同士の中を取り持つくらいするさ、私は。仲良くしろとは言わないが、喧嘩をしたら私が殴るからね」

「そりゃ仲良くしろって言ってんのとどう違うんだい!」


 一緒だよ。仲良くしろって言ってんだから。


「とにかく殺し合いなんて物騒な真似はしないでくれよ。そうなったらさすがにどちらかの手足をもぐことになる」

「随分と余裕な物言いじゃないか。あんた、自分が一番強いとでも思ってるのかい?」


 自惚れるな。フェンリルはそう言っているのだ。

 もちろん、自惚れなんてとっくの昔に擦り切れている。彼女は何もわかってない。彼女のほうは、わかりたくもない、と思っていることだろうが。


「もちろん戦闘となれば私が最弱だよ。人間の枠組みの中でならそれなりだろうけど、その枠から一歩でも出たら私なんて羽虫みたいなものだ」


 私は強くない。強いふりが得意なだけだ。


「でも私が死んで困るのは君じゃないのか?」

「……」

「勇者のことを語って寂しさを紛らわせるのに、他に適任なんていないだろう」


 私とヴィンセントを比較して、フェンリルがより嫌っているのはヴィンセントのほうだ。体は大きくなっても彼女ではヴィンセントを殺せない。かつてフェンリルを下したのは勇者であったけれど、ヴィンセントにだってそれくらい容易くできた。

 彼の実力はそれほどに果てしなく高みにあって、魔族だろうと並ぶのは難しい。


「殺す、殺すとしきりに君は脅すけど、私の命は最優先で守るべきなんじゃないか?」


 寂しさを埋めるために私を必要としているのは、フェンリルだけではない。ヴィンセントは私を探し出すために何百年だって時間をかける男だ。執念深さは彼女の比ではない。

 私を本当に殺してしまえば、彼女はヴィンセントの怒りを買う。喧嘩はもちろん、殺し合いだってしたくないだろう。


「私の命を惜しんでいるのは君と、ヴィンセントの二人だけだ。……あぁ、こうしようか。君たち二人が殺し合いを始めたら、君たちの手足をもぐのではなく、私の心臓を潰そう」


 ビクッ、と体を震わせたのはフェンリルだけではなかった。

 ヴィンセントが真っ青な顔で私の袖をつかむ。

 今生ばかりはそう安売りするつもりはないが、これくらい脅しておかなければ平気で喧嘩をしかねない。そうして獣の喧嘩というのはたいてい、血が流れる。そのまま殺し合いに発展しては堪らない。釘は深めに打っておいて、打ち過ぎということはないだろう。


「私が死なないよう、せいぜい仲良しごっこに励むんだな」


 命を無駄に使い潰すのは私の得意技だ。惜しくない。惜しまない。惜しむ気がない。

 繰り返し続けた死の経験は、私から恐怖をすっかり抜き取った。どうせまた終わらないのだろう。どうせまたどこかの誰かに生まれ直して、一から人生を始めることになる。

 きっと、魂をすり潰すために必要なものだったはずなのに。

 死にたくない。そんな当たり前の意識すら薄れてしまった私は死に慣れ、目前に迫っても何も感じなくなってしまった。自殺だって選択肢の一つとして、常にそばにある。

 ヴィンセントと、フェンリルと。自分の人生を他者のために、それも彼らのために使わなければならない。無駄にしないためには、彼らの協力が必要だ。


「わかったかな?」


 確認すると、ヴィンセントはすぐに頷いた。素直でよろしい。

 フェンリルのほうを見ると、彼女は唸っていた。よほど不満であるのか、人間の顔から徐々に獣の面に戻りつつある。顔が前へ伸び、ハッとして引っ込みまた伸び。見ていてちょっと面白い。

 しばらく顔面を奇怪に歪めていたフェンリルだったが遂に決意が固まったのか、人間の顔に戻ってから頷いた。


「わかった」


 不満だけどね。フェンリルは躊躇わず毒づいた。

 納得していないことくらい、言われなくてもわかっている。それでも一緒にいようとする私たちには、これくらいの縛りが必要なのだ。


「それじゃ、話し合いも済んだことだし宿をとろうか。今後の活動方針についても、きちんと意見をまとめておく必要があるだろう。そうそう、二人ともフレアウルフの解体と運搬を手伝うんだよ。君たちの宿代になるんだから」


 ナイフはフェンリルが踏み潰してしまったから、彼女の爪が頼りだ。運搬には力が必要で、そこも彼女に頼ることになるだろう。……そう思うと、フェンリルをメンバーに加えたのは正解だったかもしれない。


「私の生活が基準になるから、フェンリルには人間の姿でいてもらうことが増えるよ。活動していくうえで名前も必要だね」

「……あの人がくれた名前で呼んだら殺……噛むからね」

「君が嫌でない名前を一緒に考えよう」


 そういえば、勇者は彼女に名を授けたのだった。耳慣れない名前だったし、私たちには呼ばせてくれなかったから忘れてしまった。万が一にも噛まれないよう、あとで教えてもらおう。


「ヴィンセントはまだ冒険者をやっているのかい?」

「ああ。お前だってそうだろ」

「まぁね。今は魔王もいなくて比較的平和だ。仕事の内容を選ばないと、三人もいたんじゃすぐに金がなくなるな。羽振りがよくて楽な仕事を紹介してくれる知人なんかいないのかい?」

「俺に人脈を期待するな」

「エルフ脈でもいいよ」

「もっとない」


 困ったな。長生きのくせに人付き合いは下手なままなのか。成長しているのは外見だけとは、残念なエルフもいたものだ。

 しかたない。ギルド長を訪ねて仕事を紹介してもらおう。すぐに手が出る男だが、こんな時代にも安定したギルド運営をしている男だ。顔は広い。常々、私の能力に見合わない研究者気質に文句を言っていたし、やる気の欠片でも見せてやれば仕事の一つや二つ、工面してくれるだろう。

 キノコの研究ばかりやっている私だというのに、お前ほどの力があれば云々とうるさかったんだ。

 いっぱい食べてこんなにも大きな体に育った女と、自然との調和など忘れ去った肉食エルフを食わせていかなければならないと脅せば、より報酬の大きい仕事を回してくれないだろうか。

 つらつら考えていると、フェンリルがぼそりと呟いた。


「あの人の子孫は、元気にやってるかい……?」

「君の子孫でもあるだろう」


 フェンリルは返事をしなかった。代わりに耳が真っ赤に染まる。その辺は乙女であるらしい。いつもそうしていれば可愛いというのに。


「せっかくだから探そうか。前回は魔王のせいでそれどころでなくてね、実は戦士の子孫のその後も追えていないんだ。神官の子孫と、あの孤児院の子どもたちのことも気になるけど、あそこにもずっと行けていないし」


 エースの時代に築いた関係を復活させることはきっと、もうできない。随分と間を空けてしまったし、そもそもジョン・グローバーの時代には関係性が希薄になり過ぎていて、限界だった。

 何かしらの理由をつけて新しい関係を築き、金を受け取ってもらえるようにしたい。


「……やっぱり、いい。忘れとくれ」


 努めて明るい声を出したつもりだったが、フェンリルはすっかり萎れてしまった。


「どうして?」

「あんたの執念深さに寒気がしたのさ。あたしの魂は今回だけだ。様子を見るだけなのか援助するつもりなのか知らないが、あたしがいなくなった後まで永遠に面倒見てもらおうなんて思ってないよ。恩を着せないどくれ」

「……」


 そんなつもりはない。私の自己満足でしていたことなのに、そんな風に言われてしまうとは思わなかった。驚いて声が出なかった。


「それに、あの人の血がまだ続いているなんて知っちまったら、あたしはきっとまた戻ってきたくなる。こんな気持ちは今回だけで懲り懲りだよ」


 どう言葉をかけるべきか。悩んでいる間にヴィンセントが代わりに口を開いた。


「俺は戦士の子孫にも神官の子孫にも勇者の子孫にも会いたい。でも、こいつがいつまでもエースの後悔を引きずって金を渡してるのは、気に食わなかったんだ」


 俺がやめさせる。

 ヴィンセントは宣言した。


「だから探して会いに行くって決めても、文句言うなよ」


 フェンリルの目をまっすぐ見つめるヴィンセントの言葉は、真剣だった。彼女も同じように彼を見る。


「……あたしは鼻がいいんだ。金のにおいがしたら殺……噛みついてやるさ」

「お前が噛んだら死ぬだろ」

「あんたが蘇生させりゃいいじゃないか。魔法はお得意なんだろ、エルフ」

「そういう問題じゃねえ!」


 何やらぎゃーぎゃーと喧嘩を初めてしまった二人を見て、私は思わず漏れそうになった笑声を慌てて腹の底に沈めた。

 何だ、仲良くできそうじゃないか。


「さあさあ、二人とも。仲良しごっこの出だしとしては及第点だ。これらをギルドに運んで換金したら食事に行くから、喧嘩はそこまでにしておくれ。食事中に喧嘩したら、宿はベッド一つの部屋をとるからね」


 ぎょっとした二人が動きを止めた。

 体の大きな女型の狼と青年のエルフ、健康体の人間。一つのベッドに眠れるのは当然、一人だけだ。床で眠るのは嫌だと思ったのだろう。二人は互いから距離をとった。


「よし、それじゃあ行こうか」


 さっさと歩き出した私に二人が続く。もう誰も、文句を言いはしなかった。

 

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