03
バカ笑いする声が木々を揺らす。風を吹き飛ばすように景気良く吐き出される笑声は二重奏で、片方は私の口からあふれている。
「あはははは死ぬ死ぬこれ絶対に死ぬ!」
「バカ! あんたのせいだよ! どうしてくれんだいこの、あははははは!」
デュエットを組んだフェンリルの口からも、同じように笑声があふれて止まらない。
苦しくて体を伏せる。笑い過ぎて喉がつりそうだ。でもまだ幻覚を見ていないので、もう少し生きている。転がっているフレアウルフの首がおしゃべりを始めたら回復薬を飲むか、回復魔法を使うとしよう。さすがに、ここで死ぬのは嫌だと思った。これで死んだらマヌケもいいところだろう。恥ずかしくて二度とお日様の下を歩けない。
「あんた殺してやるからね絶対にふふ、ふ……あははははははぶっ殺すよ覚悟おし!」
殺意ばかりは本物だが、笑顔でいるので恐ろしくない。
それにしても物騒なことをいう狼だ。何か気に障ることをしたかしら。首を傾げ、しかし思い直す。彼女は昔から物騒だった。何かといえば殺すと脅し、けれど勇者に嗜められて止めるのだ。構ってもらいたくて泣く幼子のようなことをする。もう勇者はいないのに、きっと癖になっているのだろう。
「ヒーッ! ふひ、ははははは! ハーッこれだけ笑っていると愉快な気分にならないか?」
「ならいないよバーカ! 死ね! しにぇふ、ふふっはははははははははは死ね!」
元気がいいなあ、とほのぼのする。まだ幻覚は見ない。
「そうだ別のキノコも食べてみよう。涙腺がぶっ壊れる面白い毒キノコがあるんだあははははははは!」
既に笑い過ぎて目端に涙が浮いているのだが、これを食べるとおもちゃを取り上げられ泣いている子どもがびっくりして泣き止むほどギャン泣きすることになる。
「地獄を広げようとするんじゃないよバカ!」
「あははははははは!」
だって気になるじゃないか。
声には出せなかったので、せいぜい震える腹の中で返事をする。
これだけ笑っているのに、フェンリルはちっとも愉快な気分にならないという。私は愉快だと思って始めたことなので既に目一杯の愉快を享受している。
感情とは常に如何ともし難いものであるが、こちらの都合でどうにかなってはくれないものか。私は好奇心を捨ておかない。気になったのなら、やってみる。
「いつからそんな爆弾みたいな、ぁーーああはははははははは性格になったんだいこのバカ!」
「昔からそうだったよあはっはははははは!」
お披露目する機会がなかっただけだ。
邪魔な鞄をその辺へ放り、地面を這っていって目的のキノコをつかむ。焼き場で焼くという行為が困難であるため、火魔法で強引に焼いてしまう。少し焦げたが、まあいい。
「ははははむ、ぐっ……ああははははっ」
邪魔な笑声ごと、なんとか一口だけ飲み込む。熱い。そしてやっぱり不味い。
「はははははははは本当に食べたよこのバカァああははははは!」
「あはは、君もお食べぇええええヒヒッひゃはっ!」
身を捩って暴れるフェンリルの抵抗は、大口を開けて笑っているせいであまり意味がない。小さく千切って、狙いを定めてひょいと投げると、キノコはすんなり彼女の口の中に飛び込んだ。
「バカっむぐっっっっ……ん、あははははは!」
じゃば、とフェンリルの両目から涙があふれ出す。ボロボロ泣きながら大笑いする彼女の姿が愉快で、私の笑声もどんどん大きくなる。もちろん私の両目からも滝のように涙があふれて止まらない。
号泣と哄笑が混じり合って、誰かに見られようものなら魔物として狩られてしまうかもしれない有り様だ。私はそれでもいいが、フェンリルが狩られるのはさすがに申し訳ない。現状はとても愉快で、喉が裂けるほど笑い転げるのも、眼球が溶けるほど涙することも面白くてしかたない。けれどそろそろ区切りをつけたほうがいいだろう。
お詫びにフレアウルフの肉をご馳走したら、彼女は許してくれるだろうか。そんなわけないな。彼女は私が何をしても私のことが嫌いだし、許すとか許さないとか、そういう土俵には決して立ってくれないのだ。
強引に巻き込んでしまって、きっと冷静になったらフェンリルは私の頭を噛み千切ろうとしてくるだろう。さて、どうしたものか。
愉快に地面を転がりながら策を練る。ゴロゴロゴロゴロ、涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま、バカみたいな笑い声を爆発させて。
しばらく転がって、濡れているのが涙のせいか通過したフレアウルフの血かわからなくなった頃、体が何かにぶつかった。視線を向けるも、涙で何も見えない。
「何してんだ、お前ら」
ひゅっ、と思わず笑みが引っ込んだ。反射で魔力を練り、正気に戻る。フェンリルへの対策はちっとも浮かんでいないのでひとまず放置だ。この際、頭を噛み千切られるくらい受け入れようじゃないか。
声には聞き覚えがあった。というかヴィンセントだった。
涙に濡れた顔を袖で拭い、視界をクリアにする。
「やあ、ヴィンセント」
「今回は逃げないのか」
「……逃げてもいいのなら、今すぐに」
「いいわけねえだろ。ぶっ殺すぞ」
「……」
激昂するわけでなく、声を荒げもしない。こんなにもしっかりと、針が振り切れるほどにブチギレているヴィンセントは初めて見る。
「つーか、もう逃げてたよな。散々、それこそ飽きるくらい逃げ回ってたよな、お前」
「……そうだね」
長い逃亡生活。逃げていたのは、もちろんヴィンセントからだった。
魔王をぶっ殺そう。そう意気込んだ矢先に死んだ私は、これはヴィンセントが怒り狂うぞ、と確信して、次の人生が始まるや否や逃亡を決意した。とはいえ赤子から始まる人生で、旅に出られる年齢になるまでにはどうしたって時間がかかる。
どうか見つかりませんように。ヴィンセントが私にたどり着きませんように。
祈る神など私は持っていないので、ヴィンセントに祈った。その祈りは無事に届いたのか、なんとか成人まで見つかることはなく、私は心配する家族を振り切って全力で逃げ出した。豊かではないが貧困に喘ぐほどではない、健全な両親と優しい兄のいる、ごく一般的な家だった。
例の魔王が討伐され、比較的平和になった世界である。前世が過酷の極致だっただけに、今生は実に穏やかで優しい。それでも旅に出た。
できるだけ人間のいない土地を巡り、極力は自給自足の生活を心がけ、金を稼ぐためにギルドで最低限の仕事をして。視界に入るすべての金髪にビビりながら、今日まで生きてきた。
「お前、俺に何か言うことがあるよな?」
ある。これはさすがに、ある。
ない、と言うことはできない。ここでないと言い切るのは、さすがに心根が腐り過ぎている。しかしそれはそれとして、絶対に言ってなるものか、と反発する気持ちがあることも事実だった。
どうして私がこいつに謝罪せにゃならんのだ。
和解したような雰囲気を醸しておきながら、ヴィンセントがいないところで勝手に死んだ。急にいなくなった。置いて逝った。謝罪の一つもあってしかるべき状況だろう。寂しがり屋な彼に対して、あまりにひどい仕打ちだ。わかっている。
けれどあれは事故だった。避けようがない。制裁なら十分に、文字通り身を裂かれて償っただろう。
散々に繰り返したあくどい行為を棚に上げ、自己保身の言い訳を並べ立てる。そりゃあ、魔王復活の混乱に乗じて手製の麻薬を売り捌いて金儲けをしていたような男だったよ、私は。前世の家族を苦しめた領主に腹を立てて、私刑で毒を盛るような男だったよ、私は。ろくな死に方をしないことくらい、覚悟していたさ。
そんなことは承知の上で、きちんと理解したうえで、それでも嫌だと叫ぶ心がある。
「おい、なんとか言え」
青筋を立てるヴィンセントに頷いて、立ち上がる。
前に立つヴィンセントはブチギレているし、後方にいるフェンリルは笑いながらぶっ殺すと叫んでいる。逃げ場がない。死、待ったなし。
「ヴィンセント、すまない」
魔力を練る。
「はあ!? てめえ――」
初めて声を荒げたヴィンセントは無視して、後方のフェンリルに向かって回復魔法を放つ。途端に泣き止み、笑い声の途絶えたフェンリルが低く唸りながら飛びかかってきた。その姿はもう人ではなく、巨大な狼に戻っている。
ひょい、と横に飛び退いて、そのまま走り出す。荷物とキノコは惜しいが、命に比べればどうということはない。こんなにも命を惜しんだのは久し振りだ。
フェンリルの動線にいたヴィンセントの怒号を背に浴びながら、私は疾走した。魔法の才だけでなく、体格にも恵まれた今生の私は元気である。剣の才能はやはりちっともないが、走るのは得意だった。得意を伸ばすために努力を重ねたおかげで、三十歳を過ぎても体は健やかである。
性根が腐り、ろくでなし具合はますます悪化しているものの、それはもう今後どれだけ転生を繰り返したところで治りはすまい。
「待てエース! てめえ、ふざけんな!」
「すまんな! 君に謝るなんて死んでもごめんだ!」
あっはっは、と。それこそ最低な捨て台詞と共に高笑いをこぼしながら、私はすたこらさっさと逃げ出した。我ながら、これはひどいと情けなくなる。
ヴィンセントよ。私はこんな男である。どうかもう、忘れておくれ。私はきっと今後も、君の寂しさを埋めてはあげられないよ。
口が裂けても言わないことを、意味もないのに胸中で吐き出した。
まったく情けない。とんだろくでなしもいたものだ。




